「神の国と正義」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

I

この一ヶ月間ほど、いわゆるグローバリゼーションの陰の部分をはっきりと見せつけられたことは、かつてなかったと言ってよいでしょう。グローバリゼーションは人や物、そして情報を高速かつ大量に輸送することを可能にするシステムに依拠しています。航空機を用いたテロ、世界的規模の食品産業のネットワークを通して日本にも入ってくる異常プリオン、あるいは生物兵器やサイバーテロといった危険が、私たちの身の周りで、突然に現実的になりました。いわゆるグローバリゼーションは、それが単に貧富の差の拡大に終わらないためには、本来、世界全体の経済格差の是正や福祉の推進、そしてとりわけ軍縮や安全保障などの歩みと並行して進行すべきでしょう。ところが現状はどうか。アメリカとイギリスによって行なわれているアフガン空爆が、暴力と報復の連鎖をストップできるとは、おそらく誰も思っていないはずです。そして今、もしパキスタンに政変が起こった場合、誰が核爆弾の発射ボタンへのアクセスを握るか、誰にも予測がつかないのです。

こうした現実に直面して私たちは、「あぁ神様、この世界を救ってください」と叫びます。いや、ブッシュ米国大統領も、そして今回のテロの首謀者と見なされているオサマ・ビン・ラデン氏も、ともに既に何度も「神」について言及しています。一方は「God bless America!」と自国民に語りかけ、他方は「神はムスリム先兵による米国の破壊を祝福した」と宣言したのでした。

こうした「神」と「神」の対決という図式を前にするとき、私たちは限りなく悲しい。真の神は、私の企てを正当化するための単なる道具ではない神は、私たちに何を望んでおられるのでしょうか。そのことを、皆さんとご一緒に考えてみたいと思います。

パウロは、「神の国は飲み食いでない」と言います(17節)。「神の国」とは、例えば「天国」という言葉で私たちが連想するようなある特定の領域を指すだけではなく、元来は、〈人でなく、神が王として支配する〉という動詞的な事態を表現するダイナミックな概念です。他方「飲み食い」とは、己の腹を満たすこと、つまり飽くなき欲望の追究を意味すると考えてよいでしょう。神による支配は、己の欲望を満たすこととは違うのです。ならばテロリズムとの戦いもまた、キリスト教的な視点から見るとき、同時に己の傲慢さや強欲さとの戦いを含むものでなければなりません。テロリズムの遠因として、巨大な経済的・文化的・政治的な差別構造が存在する以上、客観的に富者・強者の立場にある私たちにとって、テロの恐怖との戦いは自己批判的に、とりわけ武力の行使に関して自己批判的に行なわれなければなりません。そうでない場合、つまり、例えば「飲み食い」のための投資や海外旅行がおじゃんになったと嘆くばかりで、「わたしは良いぶどうが実るのをまったのに、なぜ、すっぱいぶどうがなったのか」(イザ5,4)という神の問いかけを真剣に受け止めようとしない場合、私たちは、己の欲望にますます他者を巻き込みつつ、最後には自ら滅んでしまうのではないでしょうか。

それでは「神の国」とは何か。パウロは、「神の国は、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです」と言っています。これはどういう意味でしょうか。

「義」とは、旧約聖書で大変重要な役割を果たしている概念です。それは、人が行なう倫理的な行為を指すと同時に、人に与えられる良き幸福な人生そのものを指しています。それは、〈各人にその人のものを与えよ〉という分配の正義の論理よりももっと具体的に、命を支える共同性に対する忠実な生き方を意味します。

「義と慈しみを追い求める人は、命と義と名誉を得る」(箴言21,21)

とある通りです。そして義にかなう行為は、大地の実りと自然界における平和をもたらすとも考えられました。新約聖書、とりわけパウロにおいて「義」とは、何よりも先ず「神の」義、すなわちイエス・キリストを通して作り出された神との新しい共同性に罪人を招き入れるという救済行為を、つまり神なき者を義とする神の行為を指しています。ですから、〈やられたらやりかえす〉という正義は、キリスト教にいう「義」とは何の関係もありません。

「平和」もまた、広い意味をもつ言葉です。それは単に戦争のない状態を指すだけではありません。そこには民族の安全、弱者の保護を含む社会の秩序、個々人の幸福、旱魃その他の自然災害を免れること、さらには人と動物の対立関係が止むことまでが含まれます。「平和」は全世界を包括するのです。新約聖書は、神がイエス・キリストを通して、宇宙全体を包み込むような大きな平和を打ち立てた、と告白します。

「神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました」(コロサイ1,19-20)。

〈神が私を、御自分と和解させられた〉とは、私自身が、かつて神に敵対していたことを意味します(コロサイ1,21を参照)。ならば私たちは、テロリストたちに対しても、これ以上の犠牲者を防ぐための用心を怠らないその一方で、和解の手を彼らに差し伸べ続けることに、希望を失ってはならないと思います。

この関連で思い出されるのは、第二次世界大戦中、中国大陸で殺戮の限りを尽くした日本軍兵士たちを裁いた、周恩来指導下のかつての中国の態度です。彼らは日本兵や憲兵たちが、その犯した罪の深さ、身内を殺された側の人々の悲しみに自分から気づくよう、手厚く保護し看護しながら反省を促し続け、ついにはその多くを日本に生きて帰したのでした。しかし日本に帰国した彼らを、既に冷戦構造に組み込まれつつあった私たちの国は、どのように迎えたでしょうか。この人々が「もう戦争はこりごりだ」と言ったとき、当時の日本社会は「こいつはアカに洗脳されてしまった」と断定し、彼らがやっと取り戻した柔らかい心を踏み躙り、そうすることで同時に、報復への衝動を乗り越えて彼らに人間性を回復させた中国人民の心を、傲慢にも退けたのでした(野田正彰『戦争と罪責』岩波書店を参照)。

この歴史は、私たちの歴史の一部です。米国の攻撃性に戸惑う前に、自分たちが本当に平和を愛しているのかどうか、胸に手を置いて問うてみるべきです。

最後に「喜び」もまた、とりわけ旧約聖書において、単なる人間同士の感情ではなく、むしろ神の救済行為に対する人間の側からの反応として現れることに注意を払っておきたいと思います。

「主にのみ、私は望むを置いていた。主は耳を傾けて、叫びを聞いてくださった。滅びの穴、泥沼から私を引き上げ、私の足を岩の上に立たせ、しっかりと歩ませ、私の口に新しい歌を、私たちの神への賛美を授けてくださった。」(詩編40,1-4a)

と詩人は、その喜びを歌いました。義も平和も喜びも、神が人間に与えるものであることは、「聖霊によって与えられる」という表現が、誤解の余地のない仕方で示しています。

VI

続けてパウロは、こう言います。

「このようにしてキリストに仕える人は、神に喜ばれ、人に信頼されます。だから、平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか。」(18-19節)

「互いの向上に役立つこと」と訳されている箇所は、直訳すると「互いの建設に属することがら」という意味です。つまり互いにとって破壊的でなく、むしろ建設的なことがらを追及しよう、とパウロは言っているのです。このパウロの発言に関連して、最後に、一つのエピソードをお話したいと思います。

わたしが家族とともにスイスで暮らしていたとき、小学生の長女に、アフガニスタン人のクラスメイトがいました。エキゾチックなぐりぐり眼の美しい少女でしたが、ばりばりのチューリヒ方言のドイツ語を話すのが、とても可愛らしかったのを憶えています。彼女の父親は共産主義者であると聞いたことがあります。おそらく旧ソ連軍のアフガニスタン撤退後に始まった内戦を避けて、一家で西ヨーロッパに移住したのでしょう。あるとき彼女の母親が、小学校の音楽発表会に、幼い子供たちを伴って教会に現れました。私たちは教会のベンチに並んで座り、自分たちの娘たちが、スイス人のクラスメイトと共に、異国の言葉で楽しそうに讃美歌を歌うのを、ロウソクの光の中で静かな喜びに満たされて、共に聴きました。この一家は基本的にはイスラム教徒です。ちょっと怪訝な顔をしている私たちに向かって、母親である彼女は、「クリスマスは私たちにとっても楽しいお祝いよ」と穏やかに説明してくれたのです。

振り返って思うに彼女は、「平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか」というパウロの言葉を、そのさりげない振舞を通して、私に示しくれたのだと思います。その意味で、パウロの言葉は、キリストを信じる者とアッラーを信じる者の両方に「通じる」言葉であると言ってよいでしょう。神が私たちに求めておられるのは、まさにこのことです。


 
 

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