啓示15・16章-七人のみ使いが七つの災厄を注ぎ出す(30)神の怒りを空気の上に注ぎ出すとは?

正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。

 

 

 第七の者が神の怒りの鉢の中から空気の上に注ぎ出します。すると、聖なる所のみ座から声が出て、「事はなった!」と言いました。(啓示16:17)その後、人が地上に現れて以来起きたことがないような非常に大規模な大地震が起きました。(啓示16:18)空気に神の怒りの鉢から注ぎ出すとは何を意味するでしょうか。 

(1)空気とは何か 

 第七の者が神の怒りの鉢の中から注ぎ出した空気とは何を意味するのでしょうか。文字通りの酸素や二酸化炭素が含まれる空気に対して神が怒りを表わす理由はありません。では、この比ゆ的な空気とは何でしょうか。 

 比ゆ的な空気が何であるかを示唆する聖句はないように思われます。しかし、比ゆ的な「空中」に言及する聖句はあります。エフェソス書の中で、パウロは、クリスチャンが、以前は、「この世の事物の体制にしたがい,また空中の権威の支配者,不従順の子らのうちにいま働いている霊」にしたがって,罪のうちを歩んでいたと述べています。(エフェソス2:2)  それで、「空中の権威の支配者」は、「不従順の子らのうちにいま働いている霊」です。空中とは「霊」が働いている場所です。 

 「不従順の子らのうちにいま働いている霊」とは何でしょうか。これは、悪霊なのでしょうか。そうではないようです。3節では、エフェソス2章2節と同じことを述べていますが、「わたしたちは皆,一時は自分の肉の欲望にしたがって生活」していたと述べて、悪霊に従って生活するのではなく、「自分の肉の欲望」にしたがって生活したことを述べています。 

クリスチャンは過去に悪霊ではなく肉の欲望に従って歩んでいた肉の欲望に従って歩むことは空中の空気の支配者だった 

 

 CEphoto, Uwe Aranas空中の霊とは肉の欲望に支配されながら歩む精神態度を意味する 

 

 すなわち、 この世の事物の体制の人々の「霊」とは、この世の事物の体制に影響されながら、罪を犯すことを気にかけないで、自分の肉の欲望にしたがって生活することでしょう。ですから、ここでは、「霊」が人々の間に働いている精神態度を表わしています。それは、空中に充満する「空気」のようなものであり、人々を支配している権威と言えるのではないでしょうか。 

この事物の体制の人々の霊とは自分の肉の欲望に従って生活するという精神態度  

(2)この霊とは何か 

 聖書の中の「霊」という語にはさまざまな意味があります。おのおのの聖句にある「霊」が何を意味しているかは、その文脈によって判断しなければなりません。霊の体を意味する場合もあります。(コリント第二3:17。ペテロ第一3:18。ヘブライ1:7,14)聖霊を意味する場合もあります。(ペテロ第一4:14。ヨハネ第一4:13。フィリピ3:3)霊の体を持つ悪霊を指している場合もあります。(ペテロ第一3:19) 

 これらの「霊」はわりと分かりやすいです。しかし、こうした意味の「霊」とは別に、上記に述べたように精神的な傾向や態度や感情を意味する「霊」があります。特定の聖書の箇所で、この霊は聖霊や霊者を意味するのか、そうした内面的な精神態度を意味するのか判別が難しい箇所もあります。 

 人の内面的な傾向という意味の「霊」は次のような例があります。 「信仰の霊」という語があります。(コリント第二4:13。ヘブライ4:12。フィリピ1:27)「同じ霊をもって歩んだ」と、「同じ足跡をそって歩んだ」とが並列しておかれています。(コリント第二12:18)内面の感情を示唆する「霊」もあります。(コリント第二7:13。ペテロ第一3:4。フィリピ2:1,4:23)内面の精神的知的な働きを示唆する「霊」もあります。(ペテロ第一1:11) 

(3)未信者の心の中に働く精神的な傾向と神に忠実なクリスチャンの心の中の態度は異なる 

 当然、神に忠実なクリスチャンの心の態度と、未信者の心の態度とは異なります。未信者は、神の言葉を知らないために、この世の事物の体制に影響されながら、自分の肉の欲望に従って歩みます。(エフェソス2:2,3)容易に罪に陥るでしょう。 

  神に忠実なクリスチャンは、信仰に調和しながら、神が与えてくださった将来の希望を保つという動機で歩みます。また、クリスチャンの霊は、攻撃的ではなく、クリスチャンは愛や温和さや辛抱強さなどの神の霊の実や同情心など利他的な態度、つまり霊を示すよう努力をするでしょう。(ペテロ第一3:4。フィリピ2:1,4)

 

                

Philafrenzyクリスチャンの霊すなわち精神態度と・・

この世の霊すなわち精神態度とは異なる  

(4)空気に神の怒りの鉢が注ぎ出されるとは? 

 それで、第七の者は、この事物の体制に表されている霊、つまり、内面の精神態度、心の態度に対する神の怒りを表明することになるのでしょう。すると、今まで起きたことがないような大地震が起きます。 

 「人が地上に現われて以来起きたことのないような大地震」という言い回しは、イエスの「世の初めから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難」という言い回しを思い出させます。(啓示16:16,18,19。マタイ24:21)さらに、それによって大いなるバビロンが倒れるのですから、この大地震とは、北の王が南の王を攻撃する三度目の国際紛争を意味しています。 

 このことは、第七の者は、この事物の体制の中でも、とりわけ、大いなるバビロンで示されていた精神態度に対する神の怒りを表明することを意味するでしょう。 

 それで、第七の者が神の怒りの鉢を注ぎ出すことは、南の王に対する裁きという司法上の決定に関連した言説が含まれるでしょう。(啓示16:7)さらに、北の王が南の王に軍事攻撃をすることを自由にするように神が容認する言説が含まれることになるでしょう。(啓示18:5,6)それによって、神は大いなるバビロンに裁きを執行されます。(啓示19:2) 

   大患難は決してエホバ神が引き起こすものではありませんが、エホバ神は大いなるバビロンが利己的にも神のご意志を無視して神の民を迫害してきたことを明らかにされ、有罪の司法上の裁きを下されるでしょう。 

 第七の者は、とりわけ大いなるバビロンが神の民を迫害することになった内面の精神態度、動機を明らかにしてそれが神の怒りの対象になっているとして糾弾することでしょう。

 

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