命の書に記される」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

ヨハネ黙示録による説教も次第に終わりに近づいて、あと2章を残すだけとなった。この辺で、最も大事なことをいくつか再確認しておきたい。

ヨハネ黙示録は謎に満ちた独特な文体を持っているが、その主題は意外に単純だ。「世界はこれからどうなるのか。これは、いろいろな意味で先行きに不安を感じている現代人にとっても、真剣な問いである。この問いに対して、黙示録はこれまた単純にこう答える。「現在の状態がいつまでもダラダラ続くということはない、やがて終末が来る。いわゆる「終末論」である。

この「終末は、「恐ろしい破滅」を意味するかのようにしばしば誤解されているが、それは違う。黙示録の終末論は、21章以下で明らかになるように、やがて救いが完成され、天と地の一切が新しくされるということなのである。黙示録に限らず、聖書の終末論は「希望の教説(熊野義孝)なのだ。

それに先立ってさまざまな災いや苦しみが襲うと書かれているから、読者は恐怖を感じるかもしれない。だが、これはやがて来るべき終末の完成の前兆なのである。

この点は、我々を深く考えさせないだろうか。現在我々が繰り返し経験している災い・苦しみ・不安といったものは、滅びの前触れではなく、実に救いの前兆なのだとヨハネは言う。イエスも「これらは産みの苦しみの始まりである」(マルコ13,8)と言われた。だから、「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」(マルコ13,13)と。この逆転の発想こそ黙示録の最大の特色である。これまで読んで来た所でも、災いや苦難の預言がイヤというほど繰り返されたが、苦しみは大きければ大きいほど、実は終末の救いが近いということなのだ。これは、我々にとって深い慰めではないだろうか。

さて、先週私は「千年王国について述べた。終末に先立って千年間の「至福の時が訪れる、というのである。サタンは、もうこれ以上人々を惑わすことができないように縛られて、千年の間底なしの淵に閉じ込められる。そして、信仰の純潔を守って殉教の死を遂げた義しい人たちは生き返ってキリストと共に千年の間統治する、というのである。「至福の千年が到来する!

だが、それですべてがめでたく終わるというわけではない。「この千年が終わると、サタンはその牢から解放される(7)。サタンがまた出て来る!ベートーヴェンの交響曲の最終楽章は、もう終わるかと思うとまだ終わらない。黙示録の見るこの世の現実も、しばしばそのようである。サタンは再び牢から解放される。そして、「地上の四方にいる諸国の民、ゴグとマゴグを惑わそうとして出て行き、彼らを集めて戦わせようとする」(8)。

「ゴグとマゴグ。この怪しげな名前は、一体、何を意味するのか?

ヨハネはここで、明らかにエゼキエル書を念頭においている。その38章2節に「マゴグ」が出て来る。これは地名らしい。黒海南東、あるいは小アジアのカパドキア辺りではないかと言われる。イスラエルから見ると北に当たる。そして、38章15節には、ゴグが「北の果ての自分の所から、多くの民を伴って来る」とある。恐らく「ゴグとは北からの脅威、恐らくは騎馬大軍団の襲来を象徴的に示す名であろう。ヨハネ黙示録は、「至福千年の後でもなお、サタンはゴグとマゴグを惑わして戦争を起こさせると言う。「彼らは地上の広い場所に攻め上って行って、聖なる者たちの陣営と、愛された都とを囲んだ(9)。戦争の脅威はなかなかなくならない。これは世界史の現実である。

20世紀は「戦争の世紀」と言われた。日本軍による中国侵略。ナチスドイツが引き起こした世界戦争。朝鮮戦争やベトナム戦争。そして、最近では米英軍によるイラク攻撃。このような戦争の脅威はこれからも繰り返されるかもしれない。しかし、その後で、終末の救いが来る。世界は決して滅びに定められているのではない。

その時こそ、神はこれらの軍団に立ち向かうとヨハネは言う。「天から火が下って来て、彼らを焼き尽くした」(9)。これは、単に相手の部隊を打ち負かすと言うよりも、戦争そのもの・軍事力そのものの廃絶を意味するであろう。旧約の詩人が歌ったように、「主はこの地を圧倒される。地の果てまで、戦いを断ち、弓を砕き槍を折り、盾を焼き払われる」(詩46,9-10)。

その後で、最後の裁きが来る。死者たちは皆、神のみ座の前に出て、その「行いに応じて裁かれ(12)なければならない。その際、「幾つかの書物が開かれた」(12)とある。これは、いわば神の御手の中にある高性能のコンピュータのようなものだ。そこには、我々人間が生きている間何をしたか、どういう生き方をしたか、すべてのデータが最大洩らさずインプットされている。それを神は瞬時に引き出して裁く。

もう一つコンピュータがある。それは「命の書(12)と言われている。「命の書には、救われるべき人々のデータがすべて保存されている。ここに名を記されていない者たちは、「火の池に投げ込まれる(15)。

では、どのように生きれば我々の名は「命の書」に登録されるのか?

今日読んだところにヒントがある。例えば、戦争はサタンの業である、と明確に言われている。戦争は神の御心ではない。だから、やがて必ず廃絶される。サタンの業である戦争を肯定しないことが、「命の書」に登録される道なのではないか。

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