平和を願って追い求めよ」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

 5月25日の礼拝後、映像ジャーナリスト後藤健二さん(田園調布教会員)の「バグダッド・リポートを皆で聞く機会が与えられた。勇気の要ることだと思うが、彼はまだ危険が一杯のバグダッドに入り、そこで暮らす普通の人々に密着した取材をして来た。そのビデオを見ながら、生々しい報告を聞いたのだ。我々は強い印象を受けた。

 その後、反響はいろいろな形で広がった。一つは、いくつかの教会や学校(明星学園、東京女子大)などでも報告会が行われたことである。もう一つは、我々の教会の「青年会メーリングリスト上で活発な意見の交換があったことだ。それは、先週発行の「教会だよりに転載された。それぞれの発言を読むと、胸を打たれる。

 例えば、本間詠美子さんはこう書いた。「現地の生々しい映像、―― たとえば小さな子供にまで向けられる銃口や、埋められた死者の中から身内を探す人々の姿、足をなくした少女のまなざし、子供の心に残る戦争の傷を癒そうとする父親 ―― そういったものの印象はもちろん強烈です。けれど私の頭に最も残っているのは『今回の戦争ではアメリカ軍はなんでもしている』と後藤さんが言ったその言葉でした。

 私は今日の説教で、戦争の問題について述べたいと思うが、先ず、本間さんが「足をなくした少女のまなざしと書いたことで、58年前の記憶を呼び覚まされた。

 私は、敗戦の時、西八王子にあった陸軍の学校の生徒だった。8月1日の深夜、B29の猛爆撃を受けて学校は町と共に焼け落ちたが、その空襲で友人が何人も死んだ。一人は雨霰のように降って来る焼夷弾に背中を貫かれてそのまま燃えた。一人はベランベランと舞うように落ちて来た鉄板に頚動脈を切断された。もう一人は、右膝に直撃を受けて出血多量で息を引き取った。私はたまたまその場に居合わせたが、何もして上げることができない。ただ黙って彼の目を見つめていた。息はまだあったが、私のことが見えていたかどうか。もう何も見えなくなっていたかもしれない。次第に光を失っていく「うつろな目を、私は60年近くたった今でも決して忘れることができない。あの目! それが、15歳の私にとっての「戦争であった。

 戦争は、幾千万の少年少女たちの目から、辱められた女性たちの目から、あるいは病人やお年寄りの目から、そして平和に慎ましく暮らしている無数の一般市民の目から光を奪う。恐怖と絶望に人々の目は大きく見開かれ、そしてやがて光を失う。武装した兵士たちの目が吊り上り、充血しているのと対照的だ。

 丸木俊・位里さん夫妻は、「原爆の図によってこの目を描いたのではなかったか。彼らは広島や長崎の悲惨を描いたが、それで絵筆を止めることができなくなった。沖縄を描き、南京を描き、アウシュヴィッツを描いた。どの絵にも、恐怖に大きく見開かれた絶望的な目と、憎しみに血走った目が描かれている。戦争とは、こういうことなのだ。

 本間さんは、「今回の戦争ではアメリカ軍はなんでもしているという後藤さんの言葉に衝撃を受けたという。アメリカ軍に限らない。一旦戦争が始まれば、どこの国の兵士たちも、血走った目で誰でも殺す。それが戦争なのだ。

 今日のテキストが教えているのは、それとは正反対の生き方である。「皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい。悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりませんかえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです(8-9)。ここでお互いの間に行き交うのは、暖かく優しい眼差しである。これこそが神の意志である。

 この逆は、こうである。「互いの心をバラバラにし、苦しむ人と共に苦しむことを止め、本当は兄弟である人を憎み、憐れみの心を捨て、高ぶり、悪をもって悪に・侮辱をもって侮辱に報い、相手を呪うこと。―― これこそ戦争の根である。憎しみに燃え・殺意に満ちた目と、恐怖に怯えるうつろな目。このようなことは悪である。神の意志はそこにはない。だから、そのような「悪から遠ざかり、善を行い、平和を願って、これを追い求めよ(11)。

 最後に、「主はなぜ戦争をお許しになるのか?という問いに答えたい。主は戦争をお許しにならない。だが、神がお許しにならないことを人間はやってのける。なぜそんなことが可能なのか?

 これは昔から人を悩ませてきた難しい問題だ。なぜ悪が存在するのか? 神は愛である筈なのに、なぜ人間が罪を犯すのを放っておかれるのか? このような問題に論理的に答えようとすると、どのみち矛盾にぶつかる。

 恐らく、彼女の次の言葉が真理に近いのではないか。すなわち、「私たちはそういう耐え難いことを見るしかない。…それを見て、自分たちの無力さ、愚かさ、罪を自覚する時、はじめて主が罪なく死んだ人たちのために、私たちを立たせて下さる

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Emmanuel

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