「主よ、わたしたちの神よ」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

アジア州の七つの教会に宛てた手紙(ヨハネの黙示録1-3章)は前回で終わった。は、一連の幻の最初のシリーズが始まる(11章迄)。ここでヨハネは、「七つの封印で封じられた巻き物が」神の手の中にあるのを幻で見る(5,1)。この封印が、小羊(イエス・キリスト)の手によって次々に開かれるという展開である。

さて、先ず「開かれた門が天にあった」(1)という言葉に注目したい。

聖書の信仰では、神は超越的な存在であるから、超越的な神の在り処である天を地上の人間が覗き込むことは出来ない。天と地は絶対に隔絶している。預言者イザヤが、

「わたし(神)の思いは、あなたたち(人間)の思いと異なり、わたしの道はあなたたちの道と異なると、主は言われる。天が地を高く超えているように、わたしの道はあなたたちの道を、わたしの思いは、あなたたちの思いを、高く超えている」(55,8-9)と言っている通りである。

しかし、その天に、人間のために「開かれた門がある」のをヨハネは見た。そして「ラッパが響くような」声が、「ここへ上って来い。この後必ず起こることをあなたに示そう」(1)と語りかけるのを聞いた。これはどういうことか?

我々の体験に照らして考えたい。我々の人生には、どうしても分からないことが多くある。元気で幸せに暮らしている間はあまり考えることもないが、一旦苦しい目に遭ったとき、ヨブのように、「一体、なぜこういう目に遭わなければならないのか?」という深刻な問いを心に抱く。答えはない。

ヨハネが黙示録を書いた第1世紀の終わり頃、キリスト教徒はローマ帝国の絶大な権威の下で苦しんでいた。その少し前に有名な暴君ネロ(在位54-68)が出て、彼のもとで、まだ単発的ではあるが、キリスト教徒の迫害は既に始まっていた。13章3-4節は、この皇帝の暴虐を暗示している。諸教会はさまざまな困難に直面し、そして今は、指導者のヨハネ自身もパトモス島に島流しになっている。

このような情況の中で、人は問わざるを得ない。キリスト教徒は別に何も悪いことをしたわけではないのに、どうしてこのような目に遭わなければならないのか。我々の将来はどうなるのか。世界の歴史は、どこへ向かっているのか。

パレスチナの人々のことを思い浮かべる。いつ終わるとも知れない、泥沼のような戦争の中で自爆テロに走る人々の心には、自分たちの将来が全く見えないという一種の絶望があるのではないか。独裁者の苛酷な支配を逃れて生命がけで亡命を求める人々も、故国における将来を諦めたのであろう。苦しみの中では、人はそうなる。

だが、ヨハネの目には天にある「開かれた門」が見え、「この後必ず起こることをあなたに示そう」という声が聞こえた。これが肝心の点である。今、自分たちの目には歴史の意味は隠されている。我々の人生は何らかの意味ある将来へ向かって進んでいるのか。それが見えて来ない。だが、天では、つまり神のもとでは、それは明らかであり、それを信じて礼拝が祝われる。「この後必ず起こることをあなたに示そう」!

それに続いて、ヨハネが見た色彩豊かな幻が描写される。「天に玉座が」あり、「玉座の上に座っている方」(2)が見えた。その方は「碧玉や赤めのうのようであり」、「玉座の周りにはエメラルドのような虹が輝いていた」(3)。また、玉座の周りには「白い衣を着て、頭に金の冠をかぶった24人の長老が座っていた」(4)。さらに「四つの生き物がいたが、前にも後ろにも一面に目があった」(6)。に、大変良く似た情景が描かれていることからも、当時広く流布されていたユダヤ教黙示文学の伝統に従って書かれていることは明らかだ。

少し脇道に逸れるが、今年のベルリン映画祭で、『千と千尋の神隠し』によってグランプリを得た宮崎駿(はやお)は、彼の映像作品の中で数々の不思議な「生き物」を創作した。あまり根拠のない推測だが、宮崎はエゼキエル書1章や、ヨハネ黙示録を熱心に読んだことがあるのではないか。

話を本題に戻す。これらの想像力豊かな描写には、一つ一つに意味がある。学者たちは詳しく説明しているが、今私はそれをすべて割愛する。ただ、玉座の周りには「白い衣を着て、頭に金の冠をかぶった24人の長老が座っていた」(4)という叙述と、そこには「四つの生き物がいた」(6)という言葉については説明しておいた方がいい。有力な注解書は、これらが「天使的な存在」だ、という点では一致している。

「四つの生き物」は天の玉座の前で、「昼も夜も絶え間なく」(8)神を礼拝し、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者である神、主、かつておられ、今おられ、やがて来られる方」(8)と賛美するすることを職務としている。

24人の長老たちも、自分たちの冠を投げ出して、「主よ、わたしたちの神よ、あなたこそ、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られ、御心によって万物は存在し、また創造されたからです」(11)と賛美告白している。

地上の歴史でどんな暗い出来事が起ころうとも、その過去・現在・将来は主なるわたしたちの神のみ手の中にあり、一切はそこから意味を与えられる。この真実は天においては曇りなく明らかなのだ。

ヨハネは、「ここへ上って来い。この後必ず起こることをあなたに示そう」と招かれた。我々もこの天上の礼拝・この賛美告白へと招かれているのではないか。


 
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