「主の名をみだりに唱えない」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

「主の名をみだりに唱える」とはどういうことか。そして、それがなぜ厳しく「罰せられ」なければならないのか。このことを理解するために、先ず、イスラエル民族の神が「ヤハウェ」という固有の名を持つことを指摘しておきたい。

人はそれぞれ「名」を持ち、そして「名」はその人固有の「人格」と分かちがたく結びついている。夫婦別姓にこだわる人々が主張するように、「名」は単なる符牒以上の意味を持っている。アウシュヴィッツの犠牲者たちは、腕に何桁かの数字の刺青を施され、その「番号」で呼ばれた。これだけでも人間性に対する甚だしい冒涜である。万事合理的になった現代でも「名」は重要である。まして、「名」に特別な意味があると信じられていた古代においては、なおさらだ。

モーセがホレブ山で神の顕現に接したとき、神に「名」を尋ねると、「わたしはある、わたしはあるという者だ」(出エジプト記3:14)と答えられた。「ある」というヘブライ語の動詞は「ハーヤー」で、「ヤハウェ」という神名はここから来たという説もある。とにかく、それ以来イスラエルの神は「ヤハウェ」という固有の名を持つ生ける人格として信じられて来た。自分たちと契約を結んで下さった神、喜びにつけ苦しみにつけ常に自分たちと共に「ある」神である。出エジプトの偉大な解放の物語は、このことの証しである。

このことの故に、イスラエル民族は「ヤハウェ」の名を特別に重んじた。後には、この名を冒涜する危険を避けるために、「アドナイ(わが主)」とか「シェーム(名)」という呼び方で代用したほどである。このことを考慮すれば、新共同訳が「主の名」と訳しているのは、普通名詞に置き換えているような気がして微妙に物足りない。「ヤハウェ」というのは、「村上」と同じように固有の名だからだ。その点、「あなたは、あなたの神ヤハウェの名を、空しいことのために唱えてはならない」(岩波版『旧約聖書』II)という木幡訳のほうが適切ではないだろうか。

では、「みだりに」唱えるとはどういうことか? 宗教改革者ジャン・カルヴァンは「偽証のとき…、余計なまた意味のない誓いの中で、神の名をみだりに用いること」(『ジュネーブ教会信仰問答』問160)と説明し、「真理を維持するために役立つ場合とか、愛や一致を保つためには」、神の名を唱えても一向に差し支えないと言った。『ハイデルベルク信仰問答』でもほぼ同じで、「要するに、わたしたちが畏れと敬虔によらないでは神の聖なる御名を用いない」(問99)ことだ、と言っている。これは、一般的な説明として受け入れ易い。

しかし、最近の研究によるならば、それだけのことではないらしい。古代中近東で広く行われていた「まじない」「魔術」には、「神の名を唱える」ことによって、その神の超人的な力を獲得できるという信仰があった、という。それゆえ、「神の名を唱える」ことは、神を「自分のために利用する」ことにも通じる。むろん、自己中心的な動機から他者を支配するためのテクニックとしても使われたであろう。このような考えは、契約の神ヤハウェへの人格的な信頼を脅かすものだ。そもそも、荒れ野の旅を導いて下さった契約の神・ヤハウェは、こうした「まじない」や「魔術」などは本来必要ないということを明らかにされた神ではなかったか。だからこそ、「あなたは、あなたの神ヤハウェの名を、空しいことのために唱えてはならない」!

この意味で、第三戒は現代においても極めて重要である。人間の自己中心的な動機から他者をほしいままに支配するためのテクニックとして神の名を濫用する危険は、決してなくなってはいないからだ。一例を挙げよう。

 ナチスに抵抗したドイツの神学者ディートリッヒ・ボンヘッファーは、十戒をベースに「罪責告白」を書いた。その中で、第三戒に関連して彼はこう書いている。

「教会は告白する。――教会は、イエス・キリストの御名をこの世の人たちの前で恥じ、この御名が悪い目的のために間違って用いられることに対して力をつくして防ぎ止めることをしなかったことによって、彼の御名を誤用するという罪を犯した。すなわち教会は、キリストの御名を口実として、暴力的行為と不正とが行われるのを見過ごしにした。教会はしかしまた、このいと聖なる御名が軽んじられることに対して、抵抗しなかった…」。

この告白の背後にある具体的な事情は、今日ではほぼ明らかになっている。それはこういうことである。---ヒトラーは、1933年の政権奪取の時以来、「キリスト教的」であることを標榜し、教会を取り込んで自らの野望のために利用することを狙っていた。この狙いは当たって、カトリック教会はその年の内にナチス政府との間にいち早く「政教協定」を結んだし、プロテスタントの側でも、「告白教会」による抵抗はあったものの、大多数はキリストの名においてナチスを肯定し、それに追随した。1932年に全国規模で統合された「ドイツ的キリスト者信仰運動」に至っては、ヒトラーに全面的な支持を与え、事実上彼の支配の下で「帝国教会」を形成した。このグループは、はっきりと「反ユダヤ主義」を唱え、ユダヤ人のいわれなき迫害と「ホロコースト」をキリストの名において是認し、それに協力した。これは、第三戒違反の現代的実例だ。

しかし、こういうことは、あの時代のドイツに限ったことではない。日本の教会も、戦時中同じような過ちを犯したし、昔から、いろいろな形でどれほどしばしば「神の御名の誤用」が行われたことか!

このように、第三戒は私たちを、この事実の認識と悔い改めへと促すものである。


 
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