東京キリスト教学園理事長 朝岡 勝
かつて震災支援に関わった私自身の経験を記した『〈あの日〉以後を生きる―走りつつ、悩みつつ、祈りつつ』(いのちのことば社、2014年)の冒頭に、マルコの福音書5章の会堂司ヤイロの12歳の娘と、12年間病に苦しんでいた女性の姿を取り上げてこう記しました。
「ここで僕たちは、12年という年月の重みに思い至る。1人の子どもが生まれて12歳になる、それほどの年月を彼女は苦しみ続けたのだ、と。
このような『時間』の重みへの想像力を持つように、と聖書は僕たちに促しを与えているのではないだろうか。
『震災から3年』。それは言葉にすれば、ほんの一言ですまされてしまうものだ。ある人にとっては、『もう3年か』というように、あっという間のことかもしれない。ある人にとっては、『まだ3年か』というように、時が止まったままのようになっているかもしれない。
では、僕にとってこの3年はどういう時間であったのか。
『時間』(クロノス)は中立的なものだが、しかし『時』(カイロス)は人によって、さまざまな伸縮や軽重の差を持つ。同じ時間を生きながら、しかしその受け取り方はさまざまなのだ。」
(本文3~4頁)
そして震災から10年。震災の年に生まれたお子さんはもう10歳。震災の年に10歳だったお子さんはもう20歳。この間に流れた「時」の持つ重みを想像し、受け取り直す日々を送っています。
* * *
震災から5か月後の夏、岩手県宮古の避難所で出会った中学二年生の男の子がいます。一緒にお昼を食べながら、地震直後のことをぽつぽつと話してくれました。
部活の道具や買ったばかりのゲーム機がすべて流されてしまったこと、地震と津波のあと、雪が降って寒くて仕方がなかったこと、食べ物がなく、避難所で冷たいおにぎり2つを家族4人で分け合って食べたことなどなど。
食べ盛りの中学生がそう話すのを聞いて、ぐっと込み上げてくるものがあったことを思い起こします。
あれから10年。もう青年になっているであろうあの少年は、今どうしているだろうかと思いめぐらします。
時の重みを想像すること。それは忘却に抗うためにできる、ささやかな営みの一つではないでしょうか。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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