夏が近づいて、日も長くなり、外で遊ぶのが楽しい季節になりました。私の家の近くには公園があって、子どもたちが、砂遊び、一輪車、ブランコ、サッカー、野球をして夕暮れまで遊んでいます。そう言えば、虫たちも出てきました。じつは大人たちも遊んでいますね。今は、サッカーのワールドカップがあって、世界中からいろんな人たちが応援にやってきますね。
大人もそうですけれど、子どもたちは、もっともっと遊ぶことが好きです。どんな国に住んでいても、それは同じです。大人たちが戦争をしている国、例えばパレスチナの子供たちも遊びます。でも兵隊たちが戦争を始めると、まず大人たちが走って逃げます。すると子どもたちは簡単に取り残されるのです。アフガニスタンの子どもたちが遊ぶ原っぱには、地雷がたくさん埋まっています。ずっと戦争ばかりしてきた大人たちが、埋めたのです。貧しい国の子どもたちは、学校に行きたくても、行かせてもらえません。家族を助けて、家や畑や工場で働くのです。お父さんとお母さんと別れて、道で暮らす子どもたちもいます。お腹がすくと、ゴミ捨て場からゴミを拾って食べます。病気になっても、お医者さんに診てもらったり、薬を買ったりすることが、とても難しいです。
そう言えば、イエスさまも子供のとき、ユダヤの王様に殺されかかって、お父さんとお母さんに連れられて、大急ぎでエジプトに逃げたことがありました。大人になったイエスさまは、子どもたちのことが大好きでした。
イエスさまは病気をなおす力をもっていたから、そして、うちひしがれた人たちを励ますことができたから、イエスさまに「さわって」もらおうと思って、子供たちが連れられてきました。
そこには、きれいな服の子どもたちも、汚い服の子供たちもいました。イエスさまのお世話をしていた人たちは、「ここは子供の来るところじゃありません。さっさと連れて帰りなさい」と叱りつけました。するとイエスさまは、かんかんになって怒ったのだそうです。「子供たちを解き放て。じゃまをしてはいけない。この子供たちは、神様の子供たちなのだから」。
きれいな服の子供たちは、本当は、お父さんとお母さんから、「イエス先生のじゃまをしてはいけません。後ろに座って、おとなしくしていなさい」と言われていたのでした。汚い服の子供たちは、おなかがすいていたので、イエスさまと一緒にご飯を食べたかったのです。病気の子供は、元気になって、イエスさまと一緒に遊びたかったのです。
イエスさまは、子どもたちを一人ずつ抱き上げて、祝福しました。そして一緒にご飯を食べて、そのあとは、夕暮れで空が真っ赤になるまで遊びました。
木登りをしたくても、病気のせいで身体を動かすことのできない「りんちゃん」が、木登りをした話をしましょう(以下、青木道代[文]・浜田桂子[絵]『ペカンの木のぼったよ』〔こどものとも486号、福音館書店、1996年〕より)。
以下その要約: 小さいときの病気のために歩くことのできない「りんちゃん」(男児)が、幼稚園のペカンの木の下で、マットレスの上に寝かされている。「みっちゃん」(女児)がやってきて、いっしょに寝転がって、途中の野原で見た〈ねこざぶとん〉の話をする。りんちゃんは「うんうん」と頷く。〈ねこざぶとん〉は、母ねこと子ねこたちが一緒に寝ているようすを見て、みっちゃんが発見した表現。他の友だちも、マットレスの上に一緒に横になって、〈ねこざぶとん〉を想像する。ペカンの木を下から見上げているうちに、皆で木登りして〈ねこざぶろん〉を探すことになる。そのうち、りんちゃんも木登りしたがっていることに気づき、皆でりんちゃんを持ち上げようとするが、重くて持ち上げることができない。「りんちゃんがもっと小さいか。ぼくたちがもっと大きくなるかすれば、できるんだけどなぁ」。そこに先生が、りんちゃんを、おぶい紐で背中に結び付けて木に登ろうと申し出る。皆は、「りーんちゃん、頑張れ。せーんせい、おとすなよ」と掛け声。りんちゃんは、「あー、あー」と声をあげる。やがて皆は木から下りて、ねこざぶとんのあった原っぱに、おやつを食べに行く。
「子供たちを解き放て」というイエスの言葉の意味について、考えてみたいと思います。
I
「大人」が世間の荒波にもまれて、良くも悪しくも「世知に長け・せちがらい」存在になってしまっている一方で、「子供」は、「白紙」状態(タブラ・ラサ)である、つまり未だに世のケガレに染まっていない、純粋で無垢な存在であるという考え方があります。
こうした考え方は、18世紀西欧のロマン主義から生まれました。ジャン・ジャック・ルソー(1712-1778)の著作で、日本でもよく読まれている『エミール、あるいは教育について』(1762年)は、出版されるとすぐにパリ高等法院から摘発されたそうです。ある百科辞典に、次のように書いてあります。
「当時、民衆は抑圧のもとにあり、子供は〈小さなおとな〉でしかなかった。〈人は子どもというものを知らない〉、教育を考えるためには子どもがなんであるかを研究することから始めなければならないとして、孤児エミールに託して自然の歩みに従う教育のあり方を追及した本書は、子どもの発見の書であり、子どもの権利の宣伝の書と言われる」(平凡社・世界大百科事典「エミール」の項目。執筆者:堀尾輝久)。
「子ども」とは、ヨーロッパ近代になって、〈発見〉されたものだったのです。注目されるのは、「当時、民衆は抑圧のもとにあった」という発言と、子どもの発見は、同時に「教育」の発見であったことです。
Ⅱ
教育の対象としての子どもが発見される以前、いわゆる「子ども」は、「人間以前」の存在として、半人前の存在でした。
イエス時代のイスラエルでは、律法をまだ学んでいない子どもたちと、その必要のない女性たちは、社会においても、神の前でも半人前に扱われました。ユダヤ教のあるラビの発言として、次のようなものが伝えられています。
「朝寝、昼酒、子どもとの無駄話、民衆の溜まり場での道草、これらが人を滅ぼす」
「大人」であればそれでよいとも言われていませんが、「子ども」はせいぜい無駄話の相手としか見なされていません。子どもに対する低い評価は、古代世界に一般的でした。パウロの発言にも、そうした一般的な評価を前提にしたものがあります(ガラテア4章:「成人」と「未成年者」の対比)。
Ⅲ
では、「子ども」を発見し、子どもたちに教育の権利を認めて学校制度を作り上げた私たちの社会は、子どもたちにとって解放的な社会になっているでしょうか。この問いに、何の躊躇もなく「然り」と答えることのできる人は、残念ながらいないと思います。
1989年11月20日に国連総会で採択され、5年遅れて1994年4月に、日本の国会でも批准された「子どもの権利条約」に、次のような一文があります。
「人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的、民族的もしくは社会的出身、財産、障害、出生またはその他の地位にかかわらず、いかなる種類の差別もなしに、この条約に掲げる権利を尊重しかつ確保する」(第2条。訳文は、NCRC子どもの権利条約ネットワークより:http://www6.ocn.ne.jp/~ncrc/crc_1_1.htm)
イスラエルの神は、アブラハムの側女、つまり正妻でないハガルが生んだ息子の泣く声を、お聞きになったのでした(創21,17)。
とりわけ「障害、出生」という二つの言葉に注意してください。私たちの国では、父母が法律的に夫婦でない子どもの戸籍は、そのことが分かるようになっているそうですね。また知的・肢体的な障害者の権利が社会で積極的に保証されていないことは、学習権と並んで、就職に際して大きなハードルが立ちはだかっていることを考えれば、すぐに分かります。
現在の子どもたちを取り巻く環境の厳しさは、私たちもよく知っています。子どもたちは欲望と商売の道具にされています。私の家には、どこで聞きつけたのか、塾の案内や早期教育のダイレクトメールが、子どもの実名入りで送られてきます。コンピューターゲームやキャラクターグッズは、日本で開発され、世界中で売られています。
とりわけ母親にとって、子どもは重い重い「課題」です。〈嫁して三年、子なきは去れ〉という諺に見られるような〈産む性〉としての女性への圧力は、本当にいまや過去のものでしょうか。また子どもが幸いにして健康に育っても、ちょっとできが悪ければ、「それは、お前のしつけが悪いからだ」と家族から言われる。小学校のクラス会で、数人の母親は、ポロリと「苛々して子どもを叩いてしまう」と漏らすそうです。なんという圧力でしょう。母親にのしかかる圧力は、子どもたちに向けられる他ないではありませんか。
現在、文部省は、学校教育に競争原理を再び大幅に取り入れて、エリート養成を目指そうとしています。〈勝つのは一人だけ、他はみな敗北者である〉という、不景気な時代の大人社会のあり方が、子どもたちにも及んでいるのかも知れません。このような価値観は、人を孤独にします。物は溢れていても、「自分の居場所が分からない」と呟く若者は、大学生にも少なくありません。
すると、「子ども」を発見し、教育の機会を保証しても、社会全体に抑圧的な要素がある限り、子どもたちは全然解放されない。抑圧は、むしろ、より巧妙なかたちで親にも子にも、そして教師たちにも及んでいる、と考えるべきでしょう。
Ⅳ
イエスは、子どもたちを遠ざけ、彼らの「居場所」を奪う大人たちに向かって、激しく「憤った」(14節)とあります。私たちがイエスの憤りを逃れることは難しいように思います。では、どうすればよいか。子どもたちが、そしてそのまた子どもたちが、安心して生きていける世界を用意しておく責任は、やはり大人たちにあるのですから、この問いは避けられません。
もっとも私たちの社会は、良くも悪しくも私たちの能力と努力の結晶ですから、「その私たちに何ができるか」と問うだけでは、堂々巡りに終わる危険があると思います。もっと根源的に問うべきです。子どもたちは私たちの未来そのものです。ならば、私たちの希望の基である神の言葉を、想い起こすことが大切です。イエスは、こう語っています。
「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」(14-15節)
「子どものように神の国を受け入れる」とは、何を意味するでしょう。いろいろな解釈の可能性があると思います。しかし私たちのこれまでの考察との関連から見るとき、次の方向に理解することができるでしょう。すなわち、私たちが「子ども」たちを発見することに先立って、まず自分たちこそが「神の子ら」としての自覚を新たにし、自らの能力の限界を規準に据えた現実理解から、解放されなければならないことを。
「貧しい者たちは幸いなるかな。神の国は、君たちのものなのだから」(ルカ6,20)というイエスの招きと約束の言葉が、思い起こされます。この言葉は、私たちに「何かをせよ」と要求しているのではありません。むしろ私たちを、神の祝福の中に招き入れているのです。これを受け取ることが大切なのです。
宗教改革者マルティン・ルターは、死の直前に、「私たちは乞食だ。本当にそうだ」(Wir sind Bettler, das ist wahr)と書いています。これは彼の絶筆とされています。前後の文脈を読みますと、この発言は、決して絶望の表現ではありません。むしろその逆です。神の恵みを無償で受け、それを人生の高み低みの両方を通して味わい知り、それでもなお味わい尽くせぬ神の恵みに対する感謝と驚きの思いを表現したものです。
想い起こせば、私たち自身が、そうではなかったでしょうか。神は、私を受け入れ、私の願いや思いを拒まれなかった。私を、ハガルがその子を、イエスが子どもたちをそうしたように両の腕で抱き上げてくださった。私たちはそのことを信じて、洗礼を受けるのではありませんか。
「子ども」たちとは、私たちのことなのです。「子ども」たちは、神の前で、もう一度新たに発見されなければなりません。私たちのために、私たちの子どもたちのために、そしてそのまた子どもたちのために。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
Who We AreWhat We EelieveWhat We Do
2025 by iamachristian.org,Inc All rights reserved.