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- 美しき人々
今日は、「美しき人々」について考えてみました。 本物の「美しき人々」とは、人生においてさまざまな苦しみを味わった人々でありながら、俗に言う「敗者の仮病」を演じることを拒み、自分にできる精一杯の努力をしながら成功をおさめ、幸せを手に入れることができた人々であると言えるでしょうか。 周りを見渡すと、あらゆる人種、あらゆる宗教、あらゆる皮膚の色の人々の中に、このような人が存在します。教育程度もさまざまで、中には信じられないほどのハンディキャップがあったにもかかわらず、彼らの多くは、それを踏み台にして成功したのです。 20世紀の初め、ニュー・イングランドの精神病院に、リトル・アーニーと呼ばれていた女の子がいました。彼女は、何にも反応を示さない緊張型分裂症患者でベッドにうずくまり、一言も話さ
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- チャンス
“チャンス” 世界中がコロナウィルスの話題で持ちっきりですが、先日、ふとチャンスということについて考えていたら、聖書のこの御言葉が頭に浮かんできました。 「わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。」(2コリント4:18)」 なぜこの言葉が思い浮かんだのか判りませんが、おそらくチャンスだと思えたことが必ずしも好転に結びつかず、逆に問題だと思えていた事が大きなチャンスにつながるということが人生にはあるものだ、というようなことを考えていたからだと思います。 私たち人間は、どうしても目に見えるものに大きく左右されがちです。しかし経験的にも分かることは、見えるものは一時的な場合がしばしばで、結局のところ、多くの
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- 心に描くイメージ
心に描くイメージ 幸いな人生を送るための最大の要素は、自分を愛することのできる者になることだとよく言われますが、これはどれだけ強調しても強調し過ぎることのない重要な要素です。なぜなら、私たちは自分自身を見る目と違った行動を取ることは不可能だからです。 その意味で、これまでもいろいろな機会にお伝えしてきた通り、心で自分をどのようにイメージしているかは、あなた自身の人生に計り知れない影響をもたらします。自分を愛することのできる人は、自分が愛される価値のある人間であることを信じているので、愛される人間、価値のある人間というイメージに基づく行動を無意識のうちに起こし、それにふさわしい結果を得るのです。 幸運なことに、人は誰でも、今まで自分のことをどのように心でイメージしてきたかに関係なく、自分の心
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- 誰もが困難を経験する
誰もが困難を経験する 神は私たちの誰にも困難のない楽園を約束されたりはされません。たとえあなたの人生が神の御手の中にあっても、それはすべてが楽な道とは限りません。 人生の谷を通ることは普通であり避けられないことです。あなたは今その中にいるか、ちょうどその中から出て来たところか、あるいは、その中に入って行こうとしているか、そのいずれかでしょう。神は祝福の中におられ、困難の中にもおられる神です。聖書の中のヨセフとヨブのことを考えてみましょう。この二人は正しい人で、神を信じ、神を敬う人でした。彼らは何一つ悪い事をしたわけではありません。しかし、彼らは二人とも多くの苦難に耐えなければなりませんでした。彼らの人生の旅路には、平坦な道よりも険しい道のほうが多かったように見えます。しかし、最後には、彼ら
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- 3語る言葉
『語る言葉』 ある賢者の弟子の中に、人の噂を好み、ありもしない話を作り上げては吹聴して歩く者がいました。 ある日、賢者はその弟子を呼んでこう戒めました。「言葉は命の水分であり、破滅の武器である。人を判断する言葉は三つの大きな門を通過した後話さなければいけない。」 すると、その弟子が尋ねました。「その三つの大きな門というのはどんな門ですか?」 賢者は答えました。「第一の門は『正確な事実に基づく門』、第二の門は、自分にその言葉を語る資格があるかどうかを吟味する『資格の門』、第三の門は、隣人にとって有益なことであるかを問う『徳の門』、これら三つである。」 まず、第一の門である『正確な事実に基づく門』を通過することは非常に大事なことです。人の噂を好んでする人に共通することは、正確な事実に基
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- 息子を失った父親の息子に託した思い
今日は、息子を失った父親の息子に託した思いについて考えてみました。 皆さんも一緒に考えてみてください。 ある裕福な男性と彼の一人息子は、珍しい絵画の収集が趣味でした。ピカソからラファエルまで、彼らのコレクションは実に目を見張るものがありました。そして、二人はいつも一緒に座って、価値ある作品を眺めながら、その一つひとつの素晴らしさを語り合いました。 ベトナム戦争が始まり、息子は出征していきました。そして勇敢にも一人の兵士仲間を救い出そうとして犠牲になり、戦死してしまうのです。やがて父親にその知らせが届き、父親は一人息子の死を深く悲しみました。 一ヶ月が過ぎた頃、ちょうどクリスマスの前の日に、玄関のドアをたたく音がありました。ドアを開けると、一人の青年が大きな包みを
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- 本当の自由"
今日は、”本当の自由”ということを考えてみました。 自由という言葉は、普段、何気なく使っている言葉で、水や空気のように、私たちにとって無くてはならない大切なものですが、それが無くならない限り、なかなかその有難さが実感されにくいものです。 果たして私たちは、この大切な自由というものを正しく理解し、その自由を本当に自分のものとして受け取り、またそれを生かして用いているでしょうか。もしかしたら、ちょうど水や空気が汚染されていて、そのために返って私たちの害となるように、自由というものが間違って受けとめられることによって、私たちの中に混乱をもたらし、時には大きな問題を生み出しているかも知れません。 さて、コリント書第一の10:23-33に、当時のコリント教会にあった一つの騒動が記されています。当時、
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- 本当の幸い
本当の幸い 私の愛読書である詩篇を読んでいたら、詩篇84篇のある言葉に目が留まりました。それは、「なんと幸いなことでしょう」という感嘆詞で、以下のとおり、三回ここに出ています。 万軍の主。あなたのお住まいはなんと、慕わしいことでしょう。私のたましいは、主の大庭を恋い慕って絶え入るばかりです。私の心も、身も、生ける神に喜びの歌を歌います。雀さえも、住みかを見つけました。つばめも、ひなを入れる巣、あなたの祭壇を見つけました。万軍の主。私の王、私の神よ。 なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ なんと幸いなことでしょう。その力が、あなた(神)にあり、その心の中にシオンへの大路のある人は。彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの
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- 絶対に諦めない」
今日は、”絶対に諦めない”ということについて考えてみました。物事はいつも思い通りにいくわけではありません。むしろ思い通りにならないことのほうが多いかも知れません。調子のいいとき、何でも上手くいっているときは、周りの人がたくさん寄って来て応援してくれますが、上手くいかなくなったとき、大変なとき、落ち込んでいるとき、果たしてどれだけの人がその人を受け止め、支え、励ましてあげることができるでしょうか。また、大変な状況にいる自分自身、くじけそうで、諦めてしまいたくなるとき、くじけずに、諦めないで、前に進もうとする心を持つことは大切なことです。そして、そういう大変な中で、諦めずに前に進む姿が、反対に多くの人の励ましになるものです。イギリス代表のデレク・レドモンド選手は、1992年のバルセロナ・オリンピ
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- 聖書66巻のテーマ
聖書66巻のテーマ聖書巻には、それぞれにテーマがあり、神の救済計画や人間との関係が描かれています。以下は、各書のテーマの概要を簡単にまとめたものです。これを頭に入れることで聖書全体の内容をより鮮明にイメージできるようになるはずです。旧約聖書1. 創世記: 創造、堕落、アブラハム契約、イスラエルの民族の始まり。2. 出エジプト記: イスラエルのエジプトからの脱出、シナイ契約、律法の授与。3. レビ記: 神への聖なる礼拝の規定、祭司の役割、清めの律法。4. 民数記: 荒野での40年間の放浪と神の導き。5. 申命記: モーセによる律法の再確認、約束の地への準備。6. ヨシュア記: 約束の地カナンの征服と分割。7. 士師記: 神を離れたイスラエルのサイクルと
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- 試練の目的
今日は、「試練の目的」について考えてみました。 人は生きている限り、誰でも試練を経験するものです。そして、この試練は、私たちの心の向け方次第では、人生の大きな転機となったり、また私たちの人格形成に大きな貢献をします。聖書の中にも、試練や患難に関する多くの記述があり、それらが良い目的のために用いられることが述べられています。 パウロは、「患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出す」と言いましたが、試練や苦難や患難を神から与えられた訓練として受け止めていくなら、そこには物事に対する新しい解釈が与えられ、そこを通らなければならない確かな理由が見出されるものです。 聖書の中に、人類史上、最大の試練を経験した人物として、ヨブという人が登場します。ヨブは、その厳しい試練を通し
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- 敵への愛」
今日は、『敵への愛』ということを考えてみました。自分の子供にはたっぷりの愛情を注ぐけれど、他人の子供にはそうすることを惜しむお母さんがいます。なぜなら、その愛は注げば注ぐほど減るからです。だから他人の子供には使えないのです。しかし、本当の愛は使えば使うほど、その人の中で育って増えていくものです。たとえば素敵な人が現れたら、自分はその人を愛することができる、と考えている人がいます。それはちょうど素晴らしいピアノが目の前にあれば、自分は上手に弾けるのにと言うのと同じです。立派なコンピュータを手にしたら自分は上手な文章が書ける、と言うのと同じです。一度もピアノの練習をしたことがない人が、どうして上手に弾けるでしょうか。毎日練習をしていればこそ、上手に弾けるのです。だから、いつでも、この人は肌が合わ
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- 神を愛する人々への約束
神を愛する人々への約束ローマ人への手紙8:28にこのような有名な御言葉があります。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。」今日は、この「神を愛する人々のために、神がすべてのことを働かせて益としてくださる」という御言葉に注目したいと思います。ここで明らかなことは、試練も困難も失敗もすべてが益になるという約束は、神を愛し、神のご計画に従って歩んでいる者に対するものであるということです。つまり、神を愛し、神の計画に従って歩んでいない者には、この約束は当てはまらないということです。もちろん、こういう約束があっても、色んな苦しみや、不合理なことが私たちの人生を襲うことがあるでしょう。神はすべてを益にし
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- ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)
ヴィア・ドロローサ(悲しみの道) 今日は、Good Fridayです。今から約2000年前の今日、人類史上最大の事件がありました。それは神の子キリストが人類の罪を贖うために十字架に架かられた事件です。 イエス・キリストはピラトの官邸で行なわれた裁判で死刑判決を受け、十字架を担いで処刑の場となったゴルゴダの丘まで歩いて行かれたわけですが、その曲りくねった道をVia Dolorosa(悲しみの道)と呼びます。そして、その道に沿ってイエス・キリストにまつわる出来事を記念した14のステーションが設けられています。 まず、第一ステーションから第九ステーションまでは旧市街の通路の傍らにあります。最初の地点は主イエスが裁判を受けたとされる総督ピラトの官邸の跡地で、現在はエル・オマリア小学校の校舎が
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- ゴールデンルール」
今日は、‘ゴールデンルール’について考えてみました。一人の風船売りが、サンタモニカのモールの外で風船を売っていました。売れ行きが思わしくなくなると、この風船売りは大きな風船を一つ空に飛ばしました。風船が空に舞い上がると、新たに子供たちが集まり、しばらくの間、また風船の売れ行きが良くなるのです。彼は色を交互に変え、白い風船、赤い風船、青い風船、黄色い風船、緑の風船を放ちました。しばらくすると、小さな黒人の少年が風船売りのズボンを引っ張り、彼の目を見つめながら、こんな質問をしました。「おじさん、黒い風船も手を離したら、飛んでいくの?」。風船売りは少年を見て、思いやりと理解と優しさを込めてこう言いました。「坊や、風船が飛んでいくのは、色には関係なく、中に入っているもののおかげなんだよ」。すると、そ
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- 二つのものの比較」
『二つのものの比較』 皆さんはミズスマシという昆虫をご存知ですか? 池とか沼の静かな水面を素早く泳ぎ回る黒い豆粒のような昆虫です。このミズスマシの目は人間と同じ二つの目が一対になっていますが、ミズスマシは二対の目を持っているので、合計四つの目があることになります。しかし、なぜミズスマシには目が二対も必要なのでしょうか。ミズスマシはいつも水面に浮かんでいて、水の上の空間と水の中の空間の境目に住んでいます。ですから、ミズスマシは二対の目をもって、一対の目で水の上の世界を見、もう一対の目で水の中の世界を見るのです。 同じように、クリスチャンも実は二対の目を持っています。一対は外なる世界を見るため、そしてもう一対は内なる世界を見るための目です。つまり、クリスチャンも、二つの世界に住んでいるのです
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- 「魂を勝ち取る教会②」ビビアン姉妹説教メッセージ
私たちは、これらのことを行うことを常に求められています。テモテ第2の手紙の4:2では、このように書かれています。「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」言い換えるならば、私達は常に準備ができていなければならないということです。 第一ペテロの手紙3:15−16では、「むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう。」 神
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- 十字架の七言(その2)
十字架の悩みは我が罪のためなり 約2000年前の金曜日の午後の三時ごろ、黒雲が空を覆い、沈黙と暗黒が全地を覆っていた時に、主イエスの口から「十字架の七言」の第四言が発せられました。 「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか)」(マタイ27:46) これまでに経験したことのないことが主イエスの身に起こりました。それは私たちの想像をはるかに越えた恐ろしい経験でした。 イエス様はいつも神を「父」と呼んでおられました。それなのに、どうしてここでは「わが神」と呼んでおられるのでしょうか。思い巡らすに価するところです。 単なる「神」ではなく「わが神」ですから、単に客観的な存在としての神ではなく、自分と深くかかわっている存在として呼びかけておられるように思
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- ペルシャの王妃エステル」
今日は、”ペルシャの王妃エステル”のことを考えてみました。 王はすべての婦人にまさってエステルを愛したので、彼女はすべての処女にまさって王の前に恵みといつくしみとを得た。王はついに王妃の冠を彼女の頭にいただかせ、ワシテに代って王妃とした。(エステル記2:17) これは旧約聖書のエステル記2章17節の言葉です。この御言葉から連想し、思わされることの一つは、神は、あなたのために定められた事を成し遂げるのに、あなたの賜物だけではなく、あなたの限界(障害)をも用いられる方だということです。 エステル記を見ると、彼女には、神が彼女に成し遂げて欲しかった事を成し遂げさせるのに役立った幾つかの限界(障害)がありました。まずエステルは両親を亡くした孤児でした。それから彼女はペルシャに住むユダヤ人で少数派でし
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- Mentorの大切さ
みなさんこんにちは!冬を感じる季節になってきましたね。前の記事でもありましたがクリスマスへ一直線ですね。幼い頃はその意味すらわからずただ祝っていましたが、今ではイエス様のご降誕を心から祝うことのできる特権に感謝です。さて、今回は「Mentor」について書こうと思います。日本語では「指導者」なのですが、あまりしっくりきません。辞書には「an experienced and trusted adviser」「経験があり、信頼できる助言者」とあります。私の大学では、Mentorshipプログラムがあり、私の専攻(ホスピタリティ)の業界の人と1対1でペアを組み、半年間一緒に活動します。Mentee(私)が色々何をしたいのか、などをリクエストしないといけないのですが、長い間その業界にいるMentorか

- The Cross Pendant
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
