どのようにしたら聖書の預言を正しく解釈できるのでしょうか。
ある預言の解釈が正しいとみなされるためには、その一部が成就するだけではなく、その預言の解釈前もって行われ、すべてが成就することが求められます。しかしながら、エホバの証人の聖書の預言の解釈は、何度もはずれてきました。
このことは、エホバの証人が、神に誠実である努力を払っているとはいえ、自らの預言の解釈を調整する必要があることを示しています。
今回は、この点を説明したいと思います。
(1)エホバの証人は聖書を研究して多くの真理を見出したがその聖書研究は十分ではなかった
証人たちは、1914年以前にダニエル書に基づいて、1914年が特別の年となることを約四十年ほど予告してきました。確かに、1914年に第一次世界大戦が起きて1914年は歴史の大きな変わり目となりました。 しかし、第一次世界大戦中に自分たちの中心グループが投獄され、その後解放されることになることを聖書から予見していたわけではありません。ですから、私は1914年より以前のエホバの証人の聖書研究はかなりのことを成し遂げたかもしれませんが、聖書的に十分正確であったとは思いません。
さらにエホバの証人は、第一次世界大戦後も聖書研究に注力しました。その結果、多くの聖書の真理を見出しました。わたしは、エホバの証人が三位一体や、霊魂不滅の教えや火の燃える地獄の教えが間違いであることを理解するようになったのは、正しいことだったと思います。
それは箴言にある神の言葉を理解しようとする努力には、エホバが報いてくださるという言葉の成就でもあったと思います。(箴言2:3-5)エホバの証人は、確かに多くの点で聖書の正しい理解を回復したという点で、エホバ神の支持と後ろ盾を得ていたと思います。
わたしは、エホバの証人に、エホバ神の是認と助けが全然なかったとは思いません。なぜなら、聖書は、神が私たちの「からしの種粒」のような小さな「信仰」も評価してくださると述べているからです。(マタイ17:20)
また、証人たちは神の律法に従うために最善の努力を払っており、聖書に忠実に従おうとする信仰の人々に対する神のサポートの言葉を自分たちに当てはめるのも間違ってはいないと思います。
しかし、彼らの聖書の預言の解釈は、間違っていたので、彼らの予想通り物事は進展しませんでした。証人たちは1914年だけでなく、過去に何度も世の終わりが来ると予告して彼らの予告ははずれてきました。
(2)聖書の預言の解釈に間違うならばエホバ神から偽りの預言者とみなされてしまう
証人たちの場合は、1914年にイエスが王になり、それが世の終わりにつながると考えていました。そして、第一次世界大戦が起こり、証人たちは、それはイエス・キリストが天で王になった証拠だと考えました。しかし、証人たちが予測していたようには、それが世の終わりや楽園の到来につながることはありませんでした。
ところで、聖書は、エホバ神から遣わされた預言者をどのように見分けるのかをこのように説明しています。
『あなたが心の中で,「エホバが話されたのではない言葉をどのようにして知るのか」と言う場合であるが,もし預言者がエホバの名において話しても,その言葉が実現せず,そのとおりにならなければ,それはエホバが話されなかった言葉である。その預言者はせん越にそれを話したのである。あなたはその者に恐れ驚いてはならない』(申命記18:21-22新世界訳)
ですから、あるグループの聖書の預言の解釈の言葉が実現するかどうかは非常に重要なことです。もし、その預言者の言葉が実現しないならば、申命記の中では、それは神が話されなかった言葉であるということになります。さらに、神が命じたのではない言葉を話す預言者は死ななければならないと述べられています。(申命記18:20新世界訳)
エホバの証人は1914年に世の終わりが来ると予告したという点で偽りの預言者となった
エホバが真に遣わされた預言者であれば、その預言の言葉は実現しなければならないのです。そして、偽りの預言者は死ななければならないことになっています。ですから、聖書の預言を正しく解釈するのは、とても重要なことです。
でも、エホバの証人は、不誠実にエホバを代表したいとも、偽りの預言者でありたいとも考えていなかったはずです。それなりに聖書のダニエル書などの神の言葉の預言の解釈に基づいて、1914年にイエスが天で王になると考えていたのです。
(3)奇跡的な聖霊のサポートがないため理解が足りないため聖書の預言の解釈に間違うことがある
申命記のその言葉を判断基準とするならば、エホバの証人は、エホバが話されていなかった言葉を語った偽りの預言者だということになります。ですから、申命記の上記の言葉を考えた時に、もし、自分たちの思った通り事態が進展しなかった場合は、エホバから否認されてしまうという非常に危険な立場にたっているといいうことになります。
しかしながら、わたしたち聖書の解釈者たちは、もう奇跡的な聖霊のサポートはない時代に生きています。(コリント第一13:8-10)ですから、聖書の預言を解釈することに間違いが起きることはあります。
さらに、イエス・キリストは、「理解していなかったために打たれるべきことをした者は,少なく打たれます。」と言われました。(ルカ12:48)イエスのこの言葉は、十分理解していなかったために、間違った解釈をするという場合があることを示しています。
(4)聖書の預言の解釈に間違った場合自分たちの解釈を変更する必要がある
聖書の預言を正しく解釈することはエホバの是認を得るために、上で述べたように大変重要なことです。事態が自分たちの予想通り進展しなかったということは、自分たちの聖書の解釈にどこかに間違いが含まれていたということを示しています。
ですから、自分たちの聖書に基づく予想通り、事態が進展しなかった場合、自分たちの預言の解釈が間違っていたことを率直に認めるべきです。
その場合、自分たちの過去の聖書預言の解釈に固執し続けないことが必要でしょう。それを謙遜に見直すということが必要です。そのようにすれば、より正確な聖書の預言の解釈に到達できるかもしれません。
自分たちの預言の解釈を見直す場合、自分たちの目から見て、背教者だと思える人の聖書に基づいた言葉も考慮するならば、益を得られるかもしれません。それは、自分たちの間違いを正す助けになるかもしれません。
例えば、ヨシヤ王に対してエジプトのファラオのネコが「神のみ口から出た」「言葉」を語ったことがありました。しかし、ヨシヤはその言葉を考慮しなかったために、命を失ってしまいました。(歴代第二35:20-22新世界訳)
ヨシヤに対するエジプトのファラオの言葉は悪魔サタンからではなくエホバ神から出ていた
このことは、その言葉を誰が語ったとしても、たとえ背教者の言葉であつたとしても、神の言葉に調和している場合があることを示しています。ですから、背教者の言葉であっても、それは必ずしも悪魔サタンを源としていていない場合があります。神の言葉に調和している言葉を考慮しないならば命を失ってしまう場合があります。
証人たちは、大いなるバビロンによって神の民が捕らわれになり、解放されるという預言が自分たちに成就したと解釈しました。しかし、聖書はイエス・キリストが王になった直後に、クリスチャンが大いなるバビロンに捕らわれてその後解放されるというようなことは預言していなかったのではないかと思います。
(5)大いなるバビロンがさまざまな宗教グループを表しているという証人たちの解釈
今回は掘り下げて取り上げませんが、エホバの証人は、大いなるバビロンがさまざまな宗教グループを表していると解釈しています。そして、まもなく、国連が宗教グループすべてを攻撃して、世の終わりが到来すると解釈しています。
しかし、国連のスタッフ自体がさまざまな宗教を持っています。そして、国連のスタッフ自体が、宗教の集まりに参加しているでしょう。ですから、どんなに待っていても、国連が宗教グループを軍事攻撃するという事態は起きないでしょう。
現在の証人の解釈のままだと、また今度もエホバの証人の統治体は証人の成員たちを落胆させることになるでしょう。
ですから、わたしたちは聖書の預言を成就を考える上で、世界の実際の状況、また、私たちの周囲の世界の状況を客観的に観察するということが必要だと思います。
それで、わたしたち聖書の預言の解釈者たちは世界の事態の進展を観察し続けることが必要です。そのようにして、自分たちが聖書に基づくと考える解釈が成就しているかどうかを判断する必要があるでしょう。
(6)エホバの証人の聖書に対する信仰と忠実さを無視してはいけない
わたしはこの記事で、エホバの証人がエホバ神から偽りの預言者と言われて非とされる危険性があることを指摘しました。しかしながら、わたしは一般の人々は、エホバの証人が聖書に対して信仰を持ち、聖書を擁護し、聖書に従おうとしてきた事実を無視するべきではないと思います。
エホバの証人は、二度の世界大戦で、良心的兵役拒否の立場をとり、世界中で迫害・投獄されました。彼らの殉教者は彼らの神と聖書に対する誠実さを証明していると思います。そして、わたしはエホバの証人がその他の点でも、神の律法に従おうとしている立場は正しいと思います。
それで、わたしはエホバの証人が聖書の預言の解釈で間違いましたが、偽りの預言者として一刀両断に切り捨ててしまうのは、神の見方とは必ずしも一致しないと思います。彼らには、限定的にエホバ神の是認と支持はあるのではないかと思います。
しかしながら、 もうすでに何度も聖書の預言の解釈に間違ってきたと言うことは、エホバの証人は自分たちの聖書の預言の解釈を抜本的に変更しなければならないということを示していると思います。
そうしなければ、最終的には、エホバ神の是認を失って、その預言の解釈の間違いの責任を問われて、証人たちの統治体を始め、多くの証人たちが命を失うという事態も起こりうると思います。
それで、エホバの証人がエホバ神の是認を保持し続けたいと望むのであれば、間違った自分たちの聖書の解釈に調整を加えなければならないというのは事実だと思います。そして、そのように間違いを認めて預言の解釈に調整を加えることが自分たちの組織の一時的な減少を意味したとしても、それは、エホバ神の是認を保持するために必要な措置だと思います。
He is a cross pendant.
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He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
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