ペルシャの王妃エステル」
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
今日は、”
ペルシャの王妃エステル”のことを考えてみました。
王はすべての婦人にまさってエステルを愛したので、彼女はすべての処女にまさって王の前に恵みといつくしみとを得た。王はついに王妃の冠を彼女の頭にいただかせ、ワシテに代って王妃とした。(エステル記2:17) これは旧約聖書のエステル記2章17節の言葉です。この御言葉から連想し、思わされることの一つは、神は、あなたのために定められた事を成し遂げるのに、あなたの賜物だけではなく、あなたの限界(障害)をも用いられる方だということです。 エステル記を見ると、彼女には、神が彼女に成し遂げて欲しかった事を成し遂げさせるのに役立った幾つかの限界(障害)がありました。まずエステルは両親を亡くした孤児でした。それから彼女はペルシャに住むユダヤ人で少数派でした。また彼女は独身女性で、当時の男性優位社会においては何の権利もない存在でした。 ユダヤ人モルデカイの養女となった美しいエステルは、ペルシャ王クセルクセスの王妃に選ばれます。一方、ハマンという権力者は、モルデカイに対する個人的な恨みからユダヤ人絶滅の陰謀を企てていました。名もないエステルがペルシャの王妃となる機転によって、ユダヤ人はその絶滅の危機から救われ、神の人類救済計画が妨げられることなく進められていったというのがエステル記の意義です。 このように、神は、エステルに定められた事を成し遂げるために、彼女の美しさや頭脳や個性だけでなく、彼女のこうした限界(障害)をも用いられたのです。もし彼女が結婚をしていたなら王妃にはなれませんでした。もし彼女がユダヤ人の少数派でなければユダヤ人のことなど気にもかけませんでした。 エステルは、さまざまな限界(障害)を悲観的に捉えることをしませんでした。彼女は、自分が孤児であること、少数派のユダヤ人であること、何の権利もない女であることを悲観的に捉えるのでなく、むしろそれを神から与えられた特別な機会として認め、生きることで、ユダヤ民族を絶滅の危機から救い出すのです。ここに一つの教訓があります。つまり、あなたの人生において災難に思えることが、実はより大きな計画の一部であるということです。そして、その災難、限界、障害が自分の将来に違いをもたらすためには、それが神から与えられた特別な機会であることを認めることが大切です。 あなたは今、すべてが上手くいかず、どうすればいいか分からないと思っておられませんか。しかし、神はすべてをご存知です。人生の何事も偶然ではありません。喜びと痛み、機会と限界(障害)、神はそのすべてを用いることがおできになる方です。もしあなたがこの事を本当に信じ、神の御心にしたがって生きるなら、あなたの人生の益のために神が用いることのできないものなど何もありません。
今日の一言: 自分の限界で夢を制限してはならない 鶴田健次
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