十字架の悩みは我が罪のためなり
約2000年前の金曜日の午後の三時ごろ、黒雲が空を覆い、沈黙と暗黒が全地を覆っていた時に、主イエスの口から「十字架の七言」の第四言が発せられました。
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか)」(マタイ27:46)
これまでに経験したことのないことが主イエスの身に起こりました。それは私たちの想像をはるかに越えた恐ろしい経験でした。
イエス様はいつも神を「父」と呼んでおられました。それなのに、どうしてここでは「わが神」と呼んでおられるのでしょうか。思い巡らすに価するところです。
単なる「神」ではなく「わが神」ですから、単に客観的な存在としての神ではなく、自分と深くかかわっている存在として呼びかけておられるように思われます。
しかし「わが神」と呼ぶのは、父なる神に対する御子イエスの本来の呼びかけではありません。イエス様はいつも神に対して、「父よ」と呼びかけておられたからです。ですから、ここでの「わが神」とは、私たちの救い主である主イエスが、私たちの身代わりとして神に呼びかけておられたと考えてよいかも知れません。
この呼びかけが詩篇22篇1節にあるのと同じ呼びかけであることは有名です。その作者と主イエスが一体化しているのです。ですから、この詩篇22篇全体をよく理解する必要があります。詩篇22篇は、イエス様の受難の出来事の中で何度も引用されています。特に、マタイは主イエスの受難を描くのに、この詩篇22篇の1節、7節、8節、18節を引用しています。
人間の悩みの淵、だれも助ける者がいない孤独の中で、最も深い暗闇の中で発せられたこの「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という叫びは、決して絶望ではなく、暗闇の深淵の中にあっても神との信頼の絆がつながっている言葉です。なぜなら、もし信頼の絆が切れていれば、このような叫びすらあげることはない筈だからです。その根拠は詩篇22篇そのものにあります。
主イエスは十字架上でこの詩篇22篇の冒頭の叫びを口にされたただけでなく、その詩篇22篇の全体を祈っておられたと考えられます。つまり、この詩篇の前半は嘆きで終始していますが、その後半は神をたたえる賛美で貫かれているのです。
特に、詩篇22篇21節後半の「あなたは私に答えてくださいます」は、詩篇22篇の全体を見たときに、ここから内容が一転し、「嘆き」が「賛美」に変わる転換点となっていることに気づきます。そして続く22節からは完全に賛美の部分となっています。
ヘブル人への手紙2章12節には、この詩篇22篇22節「私は、御名を私の兄弟たちに語り告げ、会衆の中で、あなたを賛美しましょう」が引用されています。
兄弟たちに語り告げるべき御名とは、詩篇22篇24節に記されているように、「まことに、主は悩む者の悩みをさげすむことなく、いとうことなく、御顔を隠されもしなかった。むしろ、彼が助けを叫び求めたとき、聞いてくださった」というお方の御名です。このことを大会衆の中で讃えるというのです。イエス・キリストの来臨の目的は、まさに、この御名を告げ知らせることでした。
その御名とは、信頼する者を決して見捨てることはしないという父なる神ご自身のことです。どんな状況の中に置かれたとしても、たとえそれが死の谷を過ぎることであっても、父なる神を信頼することこそ愛であり、命であることを示すことでした。
神に敵対するサタンはその信頼の絆をなんとか断ち切ろうと、ありとあらゆる方法でイエス様を苦しめました。しかしイエス様は、「あなたは私に答えてくださいます」という確信を貫いていかれたのです。このイエス様の真実、イエス様の信仰が、神と人との本来の関係を回復させたのです。
私たちが人生で経験するすべての苦しみの目的も、すべて神への信頼の絆を強めることにあると信じます。エジプトから救い出されて荒野に導かれたイスラエルの民の苦しみ、ダビデの荒野での放浪を余儀なくされた不条理な苦しみ、バビロン捕囚という亡国の苦渋の経験、そして十字架という完璧な拒絶を受けられたイエス様の苦難、そして使徒たちの苦難と続くこれらのすべては、神との信頼を証するためのものであったことを知るとき、私たちはどんなに励まされることでしょうか。
苦しみの極みの中で、信頼の極みを貫いて下ったイエス様によって、私たちは神との信頼の絆を再び築くことができるのです。どんなに賛美しても賛美しきれません。ただ感謝するのみです。
今日の一言:十字架の悩みは我が罪のためなり
鶴田健次
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