このシリーズの前の記事、「啓示17章-新・大娼婦が座る緋色の野獣は何を表わすか(36)七人のみ使いの一人がヨハネ級に預言の説明を行なう」で、一人もしくはグループのクリスチャンが大いなるバビロンに遣わされて、ヨハネ級に預言の説明を行なうのではないかという解釈を示しました。さらに、バビロンに遣わされたクリスチャンは、同時にバビロンの当局に獄の扉を開けるようにという要請を行なうようです。
(1)バビロンの当局に対する獄の扉を開けるという要請が聞き届けられる
七人のみ使いの一人はヨハネ級にバビロンの外に出るよう勧めることでしょう。(啓示18:4)実際、バビロンに捕らわれの状態にあるクリスチャンたちは、そこから逃れることのできる状態になります。
イザヤ書には、「わたしはあなた方のためにバビロンに人を遣わして,獄のかんぬきを下ろさせる。」という預言があります。(イザヤ43:14)それで何らかの形で獄のかんぬきを下ろして捕らわれ人を解放するようにという要請がバビロン当局になされてその許可が下りるのでしょう。
当然、ヨハネは良心的な兵役拒否者でないかと思います。それで、ヨハネ級のクリスチャンは南の王の国に対して剣をとって戦うことはしなかっのです。ですから、当局はヨハネ級のクリスチャンを解放する当然の理由があります。
さらに、過去に行われたこととして、刑務所や強制収容所に収容されている囚人が敵軍の襲来が近づいてきた時には、人道的な理由により、刑務所や強制収容所の囚人が解放される場合もありました。
七人のみ使いがヨハネ級に大いなるバビロンから出るように勧める時、そこまで、北の王の攻撃は迫っていないかもしれません。しかし、少なくとも、「大いなる都市は三つの部分に裂け」ることが預言されています。(啓示16:19)すなわち大いなる都市、大いなるバビロンは内戦のため三つに分裂しそうになっているのではないかと思います。
諸般の事情により、大いなるバビロンに捕らわれとなっている主に、ローマカトリック教会とギリシャ正教のクリスチャンの無実のクリスチャンたちが、獄から解放される可能性が出てくるのでしょう。同時に、バビロンにいる神の民に、バビロンから逃れるようにという呼びかけがなされるのでしょう。(啓示18:4)
それで、バビロンに司法上の裁きを下すという神の決定は、調査と事実、また、油そそがれたクリスチャンが実際に見聞きした事実に基づいてなされます。そして、総攻撃の前に無実のクリスチャンたちにそこから逃れる機会が差し伸べられます。それで、北の王が攻撃する南の王の土地に、確かに罪人だけが存在するようにする努力が払われます。
今日、戦時下のシリアで、大量の難民が発生しました。多くのシリアの一般人は欧米諸国やロシアの空爆、イスラム国の襲撃を経験して、国外に逃れざるを得ませんでした。そのため、シリアの国民の人口はおよそ二千万人でしたが、およそその半分になりました。シリア人は、周辺諸国に逃れました。それと同様なことが南の王の土地に起こるのでしょう。
南の王の国は、移民大国ですが、多くの移民は、故郷の故国に戻ろうと考えることでしょう。(エレミヤ46:16)
多くの移民は南の国の混乱のために故国に帰ろうと考えるかもしれない
(2)ヨハネ級のクリスチャンは剣をとって戦うのではなく山に逃げる
バビロンを裁くという神の司法上の決定は、まずヨハネ級に伝えられます。(啓示17:16)しかし、当然のことながら、クリスチャンは、武器をとって南の王を攻撃することはありません。
クリスチャンがすることは、いわば、戦時下の疎開です。戦火を逃れる避難です。捕らわれにあるヨハネ級のクリスチャンは大いなるバビロンにいる神の民と共に、山間部に逃げます。(マタイ24:15,16)それは、ちょうど昔、エジプトから虐待されていたイスラエル人が逃れた時に、大勢のエジプト人が同行したのと同じです。(出エジプト12:37,38)南の王の土地の神の民は、望むならば、ヨハネ級について南の王の土地を逃れることができます。 ヨハネ級のクリスチャンたちは、そもそも北の王に最初に攻撃されたのです。ですから、ヨハネ級のクリスチャンたちは、北の王の側にも、南の王の側にもついていない中立の立場の一般市民です。剣をとって戦わない無実の人々なのです。南の王は彼らを開放する十分の理由があるでしょう。彼らは、開放しても、南の王にとって何も脅威にならないのです。
(3)聖なる者の働きのひとつは神の怒りが解きはなされて地上に患難が起きないようにすること
七人のみ使いたちは、それまで、神の怒りが地に吹かないように制御する働きをしてきたことでしょう。聖霊で油そそがれたクリスチャンの働きのひとつに、「地の四方の風をしっかり押さえて,地にも海にも,またどの木にも風が吹かないように」する四人のみ使いの働きがあります。(啓示7:1)できるだけ、人々の命が失われないようにという努力が行われてきたのです。
それで、聖なる者たちの働きは、基本的に地上に戦争を引き起こすことではなく、地上の「肉なる者」である人々の命が「救われる」ようにすることです。(マタイ24:22)人類が滅亡してしまわないようにすることです。福音書には、聖霊で油そそがれたクリスチャンの努力のために、何らかの形で大患難が短くなると記されています。今はまだこれがどのように行われるのかは分かりませんが、確かに、「選ばれた者」たちのゆえに、大患難が短くされ、人々の命が救われるのです。
しかし、ここに至って、聖霊で油そそがれたクリスチャンは、自由に南の王に対して行うようにという発表を行ないます。そして、大いなるバビロンに二倍を返すようにという叫びが上がります。(啓示18:6)確かに、派遣された七人のみ使いの一人と、ヨハネ級のクリスチャンは大いなるバビロンの中で、クリスチャンに対するはなはだしい流血が行われていることを見聞きしたのです。 結局、クリスチャンたちの中には、国際紛争が起きないように最大限の努力を払っているクリスチャンたちが存在するのですが、そのような国際社会に対しても南の王に対しても奉仕をしてきた神に忠実なクリスチャンたちが迫害され、命を落としたのです。それで、それまで行っていた努力をやめざるを得なくなるのでしょう。 そして、エホバ神は、緋色の野獣が、大娼婦に自分の行いたいことを行なうままにされるので、大娼婦に対する裁きが行われることになります。それで、バビロンに対して攻撃を自由に加えるようにという叫びは、積み重ねられた事実に基づいています。それで、緋色の野獣は、自分たちの望みどおりに娼婦に軍事攻撃をすることになります。(啓示17:16)
しかし、北の王と緋色の野獣が、南の王に対して総攻撃をしかけるという行為が、神に是認されているわけではありません。そのような行為を行なう政府は、神による是認を得ることはできません。エホバ神はあくまで流血に反対しておられ、神の忠実なクリスチャンは、武器を取るのではなく、山に疎開します。
わたしたちは、そうした聖書の預言が成就するのを目撃すれば、聖書の背後に真の預言の神が存在されることを知ります。状況がそうなったならば、市民も山間部に逃げ、北の王の総攻撃を避ける必要が出てきます。(啓示6:15-17)
実際、聖書の預言の説明を受けて来た非常に多くの一般の人々が、聖書の預言が成就していることを認めて、選ばれた者たちに神の怒りから隠してくれるように援助を願い求めることが預言されています。(啓示6:15-17)その時、世界中の非常の多くの人々が北の王から逃れるという行動をとることになるでしょう。
わたしはその時のために、今正確な聖書の預言の解釈をするよう最善を尽くす責任を感じます。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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