幸福”

今日は、幸福ということについて考えてみました。人は誰でも幸福であることを願います。ところが人によってその求め方はさまざまです。また意識して積極的に幸福を求める人もいますが、多くの人は無意識的にただ漠然と幸福を願っているというのが現実かも知れません。あなたは如何ですか?実際、何が幸福なのか、どうなれば幸福なのか、そのためにどうすればいいのか、ということについても人々の考えはまちまちです。そして多くの人が幸福になるためにと願いつつ、かえってその反対の結果になることをしていることがあるのです。では、そもそも幸福とは何でしょう? どうなれば人は幸福を感じるのでしょう? あなたにとって、幸福と何ですか? どうすればその幸福を手に入れられるのですか? ロンドン大学のある教授が、世界54ヶ国を対象にして、

負うべき重荷”

今日は、”負うべき重荷”ということを考えてみました。新約聖書のガラテヤ人への手紙の中に、「人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷があるのです」(ガラテヤ:5)という一節があります。この『重荷』と訳されている聖書原文のギリシャ語は、兵士が背負っている背嚢(はいのう)を意味しています。その背嚢には、食料や衣類、その他、兵士が生きていくために必要なものが入っているものです。確かに重い荷物なのですが、しかし、それ無しには兵士は生きていけません。人が人生において背負っている重荷は、実は、この兵士の背嚢と同じようなところがあり、それは人が生きるためになくてはならない糧であると言えるかも知れません。誰でも自分から進んで重荷を背負いたいとは思いません。背負わされた重荷があれば、それから出来るだけ早く開放され

種蒔きと刈り取り”

今日は、種蒔きと刈り取りについて考えてみました。 わたしの考えはこうである。少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、豊かにまく者は、豊かに刈り取ることになる。(2コリント9:) 神は、しばしば与えることを種まきと比べられます。農夫のように、出て行ってたくさんの種をまけば、たくさんの収穫を得るのです。もし少ししか蒔かなければ、少しの収穫しかなく、まったく蒔かなければ、何の収穫もないのです。 どの農夫も、種まきを支出と考えたりはしません。彼らはそれを投資とみなします。彼らは、種を買わなければ収穫もないということを知っています。 農夫たちが種を蒔くとき、彼らは興奮と期待をもってそれを蒔きます。彼らは、一粒のとうもろこしの種を地に蒔くと、たくさんの実の付いたとうもろこしになるのを信じているからです

ネルソン・マンデラ”

今日は、 ”ネルソン・マンデラ”のことを考えてみました。「人類に対する犯罪」と言われた南アフリカ共和国の人種隔離政策(アパルトヘイト)と闘い、ノーベル平和賞を受賞したネルソン・マンデラ氏が12月5日午後8時50分に死去されました。95歳でした。アパルトヘイト撤廃を実現し、同国で初の黒人大統領になった後も、黒人が白人に報復することを許さず、人種融和の象徴として世界中から尊敬を集めた偉大なリーダーです。12月10日に持たれたマンデラ氏の追悼式では、参列した各国の首脳たちが故人の功績を讃えました。オバマ米大統領 「一人の人間に対するいかなる期待をも超える功績を残した。歴史上の巨人だった。国家を正義に導き、世界中の何十億の人々を揺り動かした。」潘基文(バン・キムン)国連事務総長  「許容することの偉

ピアノコンサートのお知らせ

来る7月日、水曜日午後時半から Las Vegas Japanese Community Churchにて、小堀英郎氏のピアノコンサートが開催されます。 数々のコンクールで賞を受賞されている小堀氏は、アジア、ヨーロッパ、アメリカの各地でコンサート活動をしておられますが、韓国語が堪能ということもあり、韓国では大変人気のあるピアニストです。 7月日の夕べのひととき、小堀氏の心温まる美しいピアノ演奏をぜひお楽しみください。  小堀英郎(Kobori, Hideo)プロフィール:大阪音楽大学ピアノ専攻卒業後、フランスへ留学。パリ・エコールノルマル音楽院にてジェルメーヌ・ムニエ教授のもとで研鑽を積み、同音楽院の高等教育科・演奏家、及び室内楽のディプロマを取得し卒業。兵庫県高校生音楽コンクール入賞、和歌

牧師室より # 6

さて今日は、人生における最高の投資について考えてみました。 「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(2コリント4:18)私たちは、どうでもいいような事のために、どれだけ多くの時間とエネルギーを浪費していることでしょうか。それに比べて、永遠のためには使うものは僅かです。私たちは、決して一時的なもののために人生を無駄にすべきではないのです。イエス様は、「手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくないものである(ルカ9:2) 」と言われました。また、使徒パウロは、「世の富を用いる者は用いすぎないようにしなさい。この世の有様は過ぎ去るからです(1コリント7:31)」と警告しています。あなたは

感謝祭礼拝のお知らせ~神様の恵みに感謝して~

感謝祭礼拝へのご案内皆さん、お元気でお過ごしですか?月日の経つのは早いもので、今年も感謝祭の季節になりました。皆さんにとって、今年はどんな一年でしたか? サブプライムの問題による金融市場の混乱は未だに尾を引き、リーマン破綻という一投資銀行の問題が金融システム全般の危機に拡大しました。また8月に米国債の格付けが引き下げられたことをきっかけに、世界の金融市場が大きく振れており、今後の世界経済はさらに大きな問題を抱えそうです。また私たち日本人にとっては、何と言っても3月11日の東日本大震災が今年一番の大きな出来事でした。特に津波による被害は想像を絶するもので、またそれに起因する原発事故も未だに多くの人々に不自由な生活と将来に対する不安を与えています。最近も、タイの記録的な豪雨による洪水で大きな被害

最高の自分を生きる”

今日は、目に見えるものに惑わされず、常に最高の自分を生きるということを考えてみました。 先日、ある方がマザー・テレサの有名な言葉を送って下さいました。これは以前、礼拝メッセージの中で引用したこともありますが、本当に素晴らしい言葉です。皆さんにも再度お分かちします。ぜひ、いつも目に付くところに貼っておかれるといいでしょう。 人は不合理、非論理、利己的です。気にすることなく、人を愛しなさい。あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。気にすることなく、善を行いなさい。目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。気にすることなく、やり遂げなさい。善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。気にすることなく、善を行い続けなさい。あなたの正直さと誠実さとが

聖書の死生観”

今日は、‘聖書の死生観’について考えてみました。死が近づいて来るとき、私たちにはクッションが必要です。他人が死んだときは、「ああ、そうですか…」で終わりますが、それが身近な人であれば、深刻に受け止めます。さらに、この死が自分という主観的な体験になるとき、人は極端な恐怖を覚えるようになります。死が近づいて来たら、その時には、それまでの栄華も功名も、何の意味もありません。自分が死に直面し、死後の世界を知らず、一握りの灰に戻るのだと思うとき、その人の挫折と絶望は実に形容し難いものです。 ホスピスで多くの死んで行く人たちの臨終を助けてこられた方々の話によれば、また私自身の経験からも、神を知らず、天国を知らない人たちは、最後の死の瞬間までこの世にすがり付き、恐れと不安と絶望を口にしながら死んで行かれま

牧師室より#119 孤独

今日は、“孤独”ということを考えてみました。人は誰でも“孤独”を感じる時があります。「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の”間”にある。」とは哲学者の三木清の言葉ですが、多くの人が行き交う賑やかな都会の雑踏の中で急に、“ひとりぼっちの自分”を感じたり、友達と楽しくお喋りをして、家に帰って一人になったとき、ふっと寂しさを感じたりということは誰にでもある経験ではないでしょうか。また、長年連れ添った伴侶を亡くしたり、家族や親しい友が遠い所に行ってしまったり、人間関係が上手く行かなくて疎外感を感じているときなど、人は孤独感に陥りやすいものです。孤独には、人生の中で誰もが感じる孤独や 帰属していないという孤立状態の孤独、また病的な孤独感など、いろんな孤独があります。もし人

怒りは感情の蓋”

今日は、‘怒り’ということについて考えてみました。私たちは、あまりにも怒りが大きいとき、自分の感情をコントロールできなくなることがあります。そして、その怒りを誰かにぶつけて相手を傷つけ、また自分も傷ついてしまうということはよくあることです。そこで今回みなさんに知っていただきたいことは、‘怒り’というのは最終的な感情ではなく、その奥にある感情を感じないための蓋になっているということです。したがって、その奥にある感情を自分で感じ受け止めることで、誰かにぶつけることなく怒りという感情と上手く付き合っていくことが可能になります。私たちは何もなければ、腹が立つことはありません。怒る時には必ず理由があります。そして、その怒りの奥にまた別の感情があるのです。たとえば私たちは、「わかってほしい」というニーズ

チャンス”

今日は、‘チャンス’ということについて考えてみました。今朝、瞑想の中で、「チャンスって何だろう?」ということを暫く考えていると聖書のこの言葉が頭に浮かんできました。「わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。」(2コリント4:18)」なぜこの言葉が思い浮かんだのか判りませんが、おそらくチャンスだと思えた事が必ずしも好転に結びつかず、逆に問題だと思えていた事が大きなチャンスに変わるということが人生にはあるものだ、というようなことを考えていたからでしょうか。私たち人間は、どうしても目に見えるものに大きく左右されがちです。しかし経験的にも分かることは、見えるものは一時的な場合がしばしばで、結局のところ、多くの事柄が普遍

プラス∞の人生”

今日は、‘プラス∞の人生’について考えてみました。このような美しい場面が描かれている名画を見たことがあります。それは、一人の農夫が畑を耕す手を止め、握っていた鋤(すき)を下ろして地面にひざまずき、両手を合わせて祈っていると、そこに天使が来て、祈る農夫の代わりに畑を耕したという場面です。人々はそれぞれ自分の畑を耕しています。それがすべての人の人生です。ある人は畑を耕しながら神様と交わる時間を持ちます。そしてある人は、休まずに、ただひたすら働くだけです。この両者の生き方には非常に大きな違いがあります。神と交わる時間は、与えられた務めに対し、神の前で点検を受ける時間であると共に、神から知恵をいただく大切な時間です。イエス・キリストは、岩の上に家を建てた賢い人と、砂の上に家を建てた愚かな人の譬えを用

86歳の殉教者 ポリュカルポス

イエス・キリストが十字架にかかられて後、約40年後の紀元69年頃に、ポリュカルポスは生まれました。彼はヨハネの福音書やその手紙、黙示録の著者である使途ヨハネの弟子であり、そのために様々な教えをヨハネから受けたと言われています。彼は幼い時から、キリストを信じる家庭に育ち、その上ヨハネのような先生から教えを受けたのですから、良きクリスチャンとなり、後にはスミナル市(現在トルコ国)の教会監督になりました。スミナルの監督になって、紀元110年にはピリピ教会の求めに応じて手紙を書き、その中で、「徳を重んじ善を行う生活をし、キリストにある信仰によって救われたのだから、万一、死ぬような事があっても信仰を捨ててはならない」と、勧めました。当時のクリスチャンへの迫害は相当なもので、ポリュカルポスにもその危機が

信仰による金メダル エリック・リデル

エリック・リデル。この方の名前を覚えている方はどれ位おられるでしょうか?映画「炎のランナー」の中で主人公として描かれた人物でもあります。エリックは1902年1月に中国でスコットラドの宣教師の両親の元に生まれました。歳の時に学校に通うために、兄と共にスコットランドに渡りましたが、両親は主の働きの為に、幼い子供達と離れ、中国に留まることにしました。その為、エリックと兄は1年に数度しか両親と会う事ができない生活を送りました。しかし、エリックの中にも両親から受けた信仰はしっかりと育っていました。エリックは大学に進学した後、陸上で才能を開花させました。そして1924年22歳の時にパリ・オリンピックの陸上競技・短距離選手の英国代表選手として選ばれました。エリックは当初100m競技に参加をする事になってい

偉大な伝道者の誕生 ビリー・グラハム

今まで誰よりも多くの人に福音を語ったと言われているアメリカの伝道者ビリー・グラハム。ビリーはノースカロライナ州の近くにあるシャロン高等学校で、バスケットと野球選手としてヒーロー的存在だった。ゆくゆくは大リーグの一塁手になりたいと彼は願っていた。もしなれなかったら、父親のように農業でもしていればいいと思っていた。ビリーが17歳の時、元拳闘選手だった伝道者がシャーロットにやってきた。伝道者モーディカイ・ハムは、聴衆を指差して地獄について語るような昔ながらのやりかたをする伝道者であった。罪を真っ向から攻撃したのである。シャーロットの教会の指導者たちは、ハム師が騒ぎすぎると思ったので、集会のためのテントを張る許可を与えなかった。しかし、ハム師は信徒たちの助けをかりて、市の境界線のすぐ外にテントを張っ

牧師室より #14

今日は、クリスチャンの成熟ということについて考えてみました。 「みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」(ヤコブ1:22) ヤコブは、私たちがただ神の御言葉を聞くだけで、それを行なわず、それによって自分が変ろうとしないことは自己欺瞞であると言っています。私たちは、御言葉の知識を身につけることが自分を霊的に成熟させることと思いがちです。しかし、霊的に成熟していることの尺度は知識ではなく品性です。多くの人がたくさんの聖書知識を持っていますが、彼らの多くが霊的には小人です。 霊的な成熟に関する最も簡単な定義は、“御言葉を行う人である”ということだと思います。私たちは神の言葉である聖書の教えを実際に行なう必要があります。それを生活の中に絶えず適用させ、

神が置かれたところで咲きなさい”

今日は、“生きる”ということについて考えてみました。ノートルダム清心学園の理事長である渡辺和子先生は、3歳という異例の若さでノートルダム清心女子大学の学長に就任されたとき、周囲からの風当たりが強く、大変ご苦労をされたそうです。「こんな筈ではなかった」と苦しんだ末に、二人の神父に相談されたところ、一人の神父は、慰めてくれるわけでもなく、「あなたが変わらなければ、どこへ行っても何をしても同じだよ」と言われたそうです。当時、渡辺先生は、みんなは何もしてくれないという、「人に求める思い」に囚われていたそうで、その時を境に、自分から与え、挨拶をし、お礼を言い、お詫びをし、人を褒める人間に変わったとき、周りの人も彼女を受け入れてくれるようになったそうです。また、もう一人のベルギー人の神父は、『神さまがお

東日本大震災”

今日は、東日本大震災のことを考えました。 まず、東日本大震災の被災者の方々を覚え、主の憐れみを祈り求めたいと思います。 時間の経過とともに、大地震の惨状がさらに明らかになってきています。時間を追って死傷者が増え、最終的に、死者の数は一万人を越えると予測されています。私たちの教会に来ておられる方々の中にも、日本の家族・親族の皆さんと連絡が取れない方々がおられます。 今年のSCCRのメイン講師である力丸先生からの連絡によれば、教会員のご親族が一家揃って津波の犠牲になり、壊れた家屋の中から自衛隊によって見つけ出されたとのことです。その後、自衛隊機で、故郷の宇都宮に空輸され、国の費用で、葬儀の全てが整えられるそうです。 十万戸以上の家屋が倒壊したり、津波に破壊され、多くの人々が住む家を失っておられま

本物の自由”

今日は、‘本物の自由’について考えてみました。むかし、むかし、幸せな小さな汽車がいました。彼はレールの上を自由に走りながら楽しい時を過ごしていました。途中で友達に会うと、警笛を鳴らして挨拶をしました。すると友達の馬は、牧草地の端まで全速力で汽車と競走しました。また友達のカモは、ポッポと煙をあげる煙突の上を飛び回りました。しかし、ある日のこと、幸せな汽車は急に幸せでなくなってしまいました。彼は友達のことが羨ましくなったのです。馬は、牧草地の中を行きたいところに行けるし、カモは、空を自由に飛ぶことができます。「しかし、僕に出来ることはレールの上にとどまることだけ・・・」と、幸せでなくなった汽車はぶつぶつ言いました。「どうしたらレールから外れることができるかな・・・」と小さな汽車は考えました。「お

The Cross Pendant

He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel

Buy Now

bible verses about welcoming immigrants

Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......

Blog
About Us
Message
Site Map

Who We AreWhat We EelieveWhat We Do

Terms of UsePrivacy Notice

2025 by iamachristian.org,Inc All rights reserved.

Home
Gospel
Question
Blog
Help