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- 死を滅ぼす
⇒(MP3, 32kbps)「死を滅ぼす」廣石 望イザヤ書46,5-13 ; I イースターおめでとうございます。 教会の古い信条である使徒信条は、イエスの死と復活について、「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、黄泉に降り、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り」と告白します。ひとつひとつの要素が、どのような意味で救いをもたらすものであるかは、はっきりは言われていません。 しかし最後の「天に昇り」の要素には、「全能の父なる神の右に座したまえり」という説明がついています。キリストは全宇宙の支配者になったという意味です。同じことは、これに続く文言、「かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまわん」で、もっとはっきりします。キリストは最後の審判における審
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- あなたがたを遣わす
⇒(MP3, 32kbps)「あなたがたを遣わす」廣石 望イザヤ書6,1-8 ; I 復活信仰は、福音書ではさまざまな仕方で、しかし何よりもイエスの顕現物語を通してとりわけ明瞭に表現されています。 今日の聖書箇所は、新共同訳聖書では〈イエス、弟子たちに現れる〉(19-23節)と〈イエスとトマス〉(24-29節)という小見出しつきで、二つの段落に分けられています。それでも、とくに「あなたがたに平和があるように」というイエスの挨拶が都合3回くりかえされていることに注目して(19.21.26節)、第一段落をさらに二つに分けて、つごう3つのユニットから成っていると見ることもできるでしょう。 つまり「週の初めの日の夕方」、弟子たちが家に鍵をかけて立てこもっている中に、イエスが顕現したというのが第一段落
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- 一緒に歩く
⇒「一緒に歩く」廣石 望創世記32,23-31 ; I 今日のテキストは、有名なエマオ途上の顕現物語です。 この物語はルカ福音書だけに伝わっています。イエスが死後に、失望した弟子たちといっしょに歩きながら教え、最後には自分を現わしたという、不思議な、しかしすてきな物語です。 現在ある物語の背後には、イエスがエマオに向かって旅をしていた二人の弟子たちに現れ、夕食の席で弟子たちはそれがイエスだと分かった、という内容の古い伝承があったのでしょう。 ヘブライ語「ハンマー/温泉」を意味する「エマオ」という地名が正確にはどこなのかは議論されています。エルサレム北西約11km(約60スタディオンに相当)にある現在の「エル・クベーベ」なのか、もっと遠く北西約23kmの「アムワス」なのかなど。他方、「クレオパ
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- ののしられても
⇒「ののしられても」廣石 望イザヤ書53,1-10 ; I 今日のテキストは、私が中高生のとき夏のバイブルキャンプで暗唱した思い出があります。改めて聖書を開いて前後を読んだとき、ある疑問がわいてきました。 直前にこうあります(18-20節)。召し使いたち、心からおそれ敬って主人に従いなさい。善良で寛大な主人にだけでなく、無慈悲な主人にもそうしなさい。不当な苦しみを受けることになっても、神がそうお望みだとわきまえて苦痛を耐えるなら、それは御心に適うことなのです。罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、これこそ神の御心に適うことです。 文脈は「召使いたち」への勧めです。奴隷身分のキリスト教徒に向かって、〈不正義をいっ
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- あなたがたと共に
⇒(MP3, 32kbps)「あなたがたと共に」廣石 望イザヤ書42,5-13 ; I 本日のテキストは、マタイ福音書の最後を飾る復活者イエスとの出会いについて語っています。この聖書箇所がなければ、私たちは今日ここにいないかもしれません。 マタイによれば、イエスは当初、「イスラエルの失われた羊たち」つまり民族の中で「罪人」と差別されるに至った人々のもとに派遣されているという自覚をもっていました(マタイ10,6参照)。しかしやがて、彼の民族と宗教の限界を踏み越えて、イエスはあらゆる出自の人々のもとに赴きます(例えばマタイ15,21以下参照)。そしてこの最終部では、弟子たちを全世界に向けて送り出すのです。 じっさい使徒パウロは地中海世界を股にかけて旅し、最後は使徒ペトロと同様に、当時の帝国の都ロ
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- 私の名によって
⇒「私の名によって」廣石 望列王記上8,26-43 ; I 他の宗教と同様、キリスト教もまた「祈り」の宗教です。復活節後の主日はそれぞれ美しい名をもっていますが、復活後第5主日である今日が「祈れ」と呼ばれる主日なのです。 私たちが祈るとき、多くの場合、何か必要なものが欠けており、それを満たしてくださいと神に祈ることが多いと思います。危機や困難に直面して不安になったときがそうです。そうした祈りの態度を揶揄して「苦しいときの神頼み」と言ったりします。しかし私たちは弱いので、本当に苦しいときは大いに「神頼み」するのがよいだろうと思います。 もうひとつの祈りのタイプは、いわゆる家内安全・商売繁盛・学業成就・良縁祈願といった、言うなれば「もっと幸せにして下さい」式の祈りです。いちおう事足りており欠落は
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- 力を受ける
⇒(MP3, 32kbps)「力を受ける」廣石 望エゼキエル書11,14-25 ; I 先週5月9日(木)は教会暦で「昇天祭」でした。使徒言行録1章に、キリストは復活後40日間地上に顕現した後、天に昇ったとあり、そのことを記念する祭日です。私たちの教会ではとくに礼拝や行事を祝うことはしませんでしたが、今日の主日が「昇天後主日」と呼ばれるのはそのためです。そして来週が聖霊降臨祭(ペンテコステ)の主日です。 今日は、キリスト昇天を描いたテキストを手がかりに、教会にとって聖霊とは何であるかをごいっしょに考えてみましょう。 II 最初の部分で(3-5節)、まず復活したキリストは弟子たちに「神の国」について教え、ともに食事をしたとあります。これら二つの要素は、生前のイエスとの交わりとのつながりを意味し
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- エルサレムを離れず
⇒(MP3, 32kbps)「エルサレムを離れず」関田寛雄創世記11,1-9 ; 本日は聖霊降臨祭という、キリスト教会の三つの大切な祝日の一つです。またこれは教会の出発の日だとも言われております。そのような日にあたり、与えられた聖書の箇所を通してみ言葉を学んでまいりたいと思います。 初めに読んで頂いた創世記の有名なバベルの塔の物語は、聖霊降臨日に非常に関係があると言われています。そのころ世界中は一つの言葉に立っていた。そしてそれゆえに、力を合わせて天にまで届く塔を作ろうと、煉瓦の技術を覚えた人間どもが、神様の場所に乗り換わるという傲慢な企てをもって建設を続けたわけですが、神さまはそれを裁かれまして、一つなる言葉はばらばらにされた。そのようにして塔の建設は終わってしまった、というお話です。
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- 生まれ変わるには
⇒「生まれ変わるには」陶山 義雄サムエル記下12,1-14 ; 先程ご一緒に歌いました讃美歌475番はチャールス・ウェスレーが造った代表作の1つで、日本の教会でも、また、世界中の教会でも最も親しまれてきた讃美歌です。兄のジョン・ウェスレーと一緒に、この兄弟は19世紀のイギリスで宗教覚醒運動(The Great Awakening:一大目覚めの運動)を起こしました。厳格な規律のもと、信仰をもって生活を正す、この刷新運動はメソデイズムと呼ばれ、ウェスレー兄弟によって起こされた教会はメソジスト教会と呼ばれています。信仰再生運動の中で。チャールス・ウェスレーは毎週数点の讃美歌を造り、兄・ジョン・ウェスレーを助けました。彼の手による讃美歌は全部で6000点にも及んでいます。その中で、この「あめなる喜
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- 聖霊と体
⇒(MP3, 32kbps)「聖霊と体」廣石 望詩編27編 ; I 「体」という問題があります。 聖書にいう「体」は〈コミュニケーションの中にある私〉という意味が基本です。私は「体」を使って、いわゆる五感を駆使して世界と交流します。交流の対象は自分以外の世界の万物ですが、それだけではなく私自身と神も含まれます。 イエスは「魂」や「体」のことで思い煩うなと教えました(マタイ6,25以下参照)。「魂(命)」は食べ物や飲み物よりも大きく、「体」は衣服よりも大きいからと。「魂」と「体」とは〈この私〉という意味です。この発言の背後には、〈神がこの私を造った〉という創造信仰があります。 「私」と「体」は不思議な二重の関係にあります。〈私は体である〉と〈私は体をもつ〉の二重性です。まず〈私は体である〉と
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- 本国は天に
⇒(MP3, 32kbps)「本国は天に」廣石 望創世記12,1-4a ; 現在、入力作業中です。しばらくお待ちください。
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- 待降節第2主日礼拝神の力強い御業
どうか、天から見下ろし、輝かしく聖なる宮から御覧ください。どこにあるのですか、あなたの熱情と力強い御業は。あなたのたぎる思いと憐れみは抑えられていて、わたしに示されません(イザヤ書63章15節)。 これは、待降節第2主日の説教テキストとして定められた聖句の一部である。預言者は憐れみ深い神を信じているが、その熱情と力強い御業が自分には中々示されないのに業を煮やしている。現代の私たちにも同じ苛立ちがあるのではないか。 そんなことを考えていた時、11月18日の朝日新聞で懐かしい人の名前を見た。2面のひと欄に、スーダンの盲学校に支援を続ける元大学教授の牧師という見出しで武岡洋治さん(68歳)のことが書いてあったのだ。私が懐かしいと言うわけは後で述べることにして、この人のことをざっと紹介しよう。 彼
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- 互いに受け入れる
ローマの信徒への手紙15章7節は、私が結婚式の司式をする際に引用する聖句である。従来の結婚式式文には妻は夫に従えというような男性中心的な文言が多くて気になっていた。そんな時、ボンヘッファーがこの言葉を最もすばらしい結婚式の聖句と賞賛しているのを知り(『獄中書簡集』、43頁)、同感した。それ以来、結婚式の時には私も必ずこれを読むようになったのである。D・ボンヘッファーは、ヒトラーの暴虐に抵抗したドイツの牧師である。1943年4月にナチスの秘密警察に逮捕され、2年間の獄中生活を送った後、45年4月に処刑されるのだが、入獄して間もなくの頃、親友のエバハルト・ベートゲが姪のレナーテと結婚することになった。彼は心からこれを喜び、特別に二人の結婚式のために獄房で説教を書いた。かなり長文のもので、決してあ
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- 神の<然り>
日本漢字能力検定協会という組織が、毎年、その年の世相を象徴する漢字を一般から募集する。2005年のために選ばれた漢字が、先週、発表された。それは愛である。偉いお坊さんが太い筆でこの字を書いているところがテレビのニュースにも映った。この字が選ばれた理由は、愛・地球博(名古屋)の開催とか、紀宮の結婚とかにあるという。これには、少々首をかしげた。というのは、実際に私たちの目に触れ・耳に聞こえてきたニュースの中には、愛という字にまるで似つかわしくない出来事が圧倒的に多かったからである。 これに関連して12月13日の朝日新聞天声人語が書いているところによれば、阪神淡路大震災が起こった1995年の漢字は震、それ以後、倒・毒・戦・災という暗い字が毎年続いたそうだ。この辺で明るい字を選びたいという気持ちは
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- この方こそ主メシア
Iルカ福音書の有名なキリスト降誕の物語には、恐れのモチーフが現れます。羊飼いという職業は、定住する自作農や手工業者から見れば、しばしば自分たちの土地に無断で入り込み、通り過ぎてゆく人々であったからでしょうか、当時のユダヤ教社会で、泥棒嘘つきと見なされていました。裁判の証言に立つ資格も認められていなかったのです。その羊飼いたち、夜中に群れの番をしながら野宿していた彼らに、一人の主の天使が近づき、主の栄光が彼らの周りを照らしました。そのとき羊飼いたちは非常に恐れたとあります(9節、ギリシア語原文は大いなる恐れを恐れた)。恐れは、高度に科学技術が発展した現代の私たちにとっても、じつは親しいものです。例えば、住宅の耐震強度を偽装した事件の報道に接すると、そこにいろいろな意味の恐れがあることに気づきま
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- イエスの誕生の意味
クリスマスに聖書を読んで私たちが出会うのは、美しい話ばかりではない。当時の人々の胸騒ぎや心配、血も凍るような恐怖なども伝わって来る。例えば、先ほど読んだマタイ福音書2章では、イエスが生まれた後で、天使が父親ヨセフの夢の中に現れ、こう告げたという。起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている(13節)。恐ろしい言葉である。これにはわけがある。それに先立って東の方から遥々やって来た占星術の学者たちがユダヤ人の王としてお生まれになった方(2節)を探し始めた。このことを聞いたヘロデ王は、自らの権威を脅かす者が出現したのではないかと不安を抱いた(3節)。心配でたまらなくなった王は、配下の部隊を派遣してベツレヘ
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- 神はあなたを見捨てない
『日々の聖句』(ローズンゲン)によると2006年の年間標語はヨシュア記1章5節である。――神は言われる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。新しい年、私たちはこの言葉を拠り所として歩みたい。そのためには、先ずこの聖句の意味を正確に理解しなければならない。 偉大な指導者モーセは、イスラエル民族を率いてエジプトを脱出し、40年の間荒れ野の旅を続けて来た。さまざまな困難を克服した末、死海の東モアブの平野を通過して今、エリコの向かいにあるピスガの山頂に登った(申命記34章1節)のである。そこからは、遥かに約束の土地カナンの全土が見渡せる。長い苦労の末に、漸くここまで来た! だがこの時、モーセは既に120歳になっていた。恐らく精も根も尽き果てようとしていたのではないか。モーセは後継者にヨシュア
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- 神が望んでおられること
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい(16-18節)。これは多くのキリスト者の座右の銘として愛唱される聖句だが、この言葉を聞いていささか調子が良すぎるのではないかと疑問を抱く人も多いのではないか。調子が良すぎるというよりも、この頃の言い方ではノーテンキだ。これを『広辞苑』で調べてみた。能天気、あるいは脳天気と書くらしい。その意味は、物事を深く考えないさま、もしくは軽薄で向こう見ずなさまだという。 今の世界は深刻な問題に満ちていて、心の晴れる暇がない。それなのにいつも喜んでいなさいとかどんなことにも感謝しなさいと言われても、反発を感じるだけではないか。それを能天気と感じる人がいても、別に不思議ではない。 先週、『朝日新聞』に日本の青少年に関する気がかりな数字が紹
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- 十字架につけられたキリスト
⇒十字架につけられたキリスト村上 伸イザヤ書53,1-5;ヤコブ書に、舌を制御できる人は一人もいない(3章8節)とあるように、私たちの言葉には常に誘惑がつきまとう。つい自分の知識をひけらかしたりする。それによって、あたかも話の内容に重みや信頼性が加わるかのようである。今日の所で、パウロはわたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした(1節)と言っているが、もしかしたら彼もその時、一瞬、優れた言葉や知恵を用いるやり方で語ったほうが説得的だと考えたのかもしれない。何しろ、当時彼が滞在していたコリントはギリシャ有数の文化都市であるし、しかも、ギリシャ人は知恵を探す(1章22節)と一般に言われていたように、知恵に絶大な価値を置く知識人が周りに満ちてい
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- 罪と恵み
⇒罪と恵み廣石 望ホセア書6,4-6;I テレビ新聞等で、ライブドア社の幹部が不正な株取引を行っていたことが連日とりあげられています。その合間に、とある系列ホテルの社長が、条例で定められた身体障害者用の駐車場スペースを、工事の最終段階で一般客用のロビースペースにすり変えたという報道もありました。これらの報道を通して、一連の隠されたメッセージが私たちのもとに届けられている気がします。例えば、法律に違反しないこと(あるいは露見しないこと)は罪に当たらない人の心は金で買える人間とは生まれつき悪いことをするものであり、法律はそれを押しとどめる役割はあるが、最終的には道義的な責任について云々しても仕方がないといったメッセージです。 これらの隠されたメッセージは、罪とは何か、私たちがそれをどう理解してい

- The Cross Pendant
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
