神はあなたを見捨てない

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

 『日々の聖句』(ローズンゲン)によると2006年の年間標語はヨシュア記1章5節である。――神は言われる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。新しい年、私たちはこの言葉を拠り所として歩みたい。そのためには、先ずこの聖句の意味を正確に理解しなければならない。

 偉大な指導者モーセは、イスラエル民族を率いてエジプトを脱出し、40年の間荒れ野の旅を続けて来た。さまざまな困難を克服した末、死海の東モアブの平野を通過して今、エリコの向かいにあるピスガの山頂に登った(申命記34章1節)のである。そこからは、遥かに約束の土地カナンの全土が見渡せる。長い苦労の末に、漸くここまで来た! だがこの時、モーセは既に120歳になっていた。恐らく精も根も尽き果てようとしていたのではないか。モーセは後継者にヨシュアを指名した後、目的地を目の前にしながら、波乱に満ちた生涯を閉じるのである。

 今日の説教テキスト(ヨシュア記1章)は、そこから始まる。主の僕モーセの死後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに言われた。『わたしの僕モーセは死んだ。今、あなたはこの民すべてと共に立ってヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている土地に行きなさい』(1-2節)。

 偉大な指導者の後を継ぐのは、それほど簡単なことではない。選ばれたヨシュアには、大きな恐れと不安があった筈である。だが、主なる神は何よりも先ず、使命の継続をヨシュアに命じた。その上で、目の前に開けている土地をすべてあなたたちに与える(3節)という約束を与えた。さらに、ヨシュアをこう激励する。一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる(5節前半)。その後に、今年の年間標語に選ばれた力強い聖句が来るのである。神は、あなたを見放すことも、見捨てることもない(5節)。だから、ヨシュアは強く、雄々しく前進しなければならない。

 主イエスを信じる私たちも、この言葉によって勇気を与えられる。だが、これは同時に私たちを大いに困惑させる言葉でもある。というのは、ヨシュア記にはこの後、酸鼻を極めた皆殺しの記事が続いて出て来るからである。イスラエル民族はカナンの土地に定住して、そこに共同体の基礎を定めたと言えば聞こえはいいが、有り体に言えば、彼らはカナンの先住民からその土地を無理やり奪い取ったのだ。その際、町々村々の住民を一人残らず殺戮するということも行われた。

 そうだとすれば、ヨシュアを励ますために語られたあなたを見放すことも、見捨てることもないという言葉は、侵略や殺戮を正当化する言葉でもあった、ということになるのではないか? この深刻な疑問が私たちを困惑させる。この難問をどう解決したらよいのだろうか?

先ず、旧約におけるモーセには、新約のイエスが対応している、という点に目を留めることが大切である。モーセは十戒を受けるために山に登ったが、イエスは十戒の全く新しい解釈(山上の説教)を示すために山に登った。そして、実際に『山上の説教』(マタイ福音書5-7章)において、イエスはモーセ律法を一つ一つ徹底的に解釈し直すのである。

例えば、5章21節以下ではこう言われる。昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける・・・。同じ章の38節以下では、あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい・・・)と言われた。そして、このような新解釈は、43節以下で頂点に達する。あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい

また、次のように言うこともできよう。モーセは約束の土地カナンに向かって民を導き、この神の約束を実現するためには先住民を追い出すことも敢えてした。侵略を正当化したのである。しかし、イエスが約束されたのは、所有権争いの争点となるような土地ではない。神の国であった。神の国とは、すべての人が神の真実の支配の下で、愛し合って平和に共生することである。主イエスは、その神の国が近づいていると約束した。侵略や戦争はもはや意味を失っているのだ。

しかも、これに先だって彼は、わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである(17節)と言われた。イエスは、モーセ律法を完成する道を歩んだのだ。このイエスによってモーセ律法を理解し直すことこそ、実は旧約聖書全体を正しく理解する道なのである。

イエスは言われたではないか。わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない(ヨハネ14章6節)。

神は、あなたを見放すことも、見捨てることもないという約束は、戦争中の日本の指導部が叫んでいたような空虚なスローガンではなく、侵略行為を正当化して勇ましく戦わせるための激励でもない。すべての人々と共に神の国を目指して生きるようにという励ましなのである。


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