文学ジャンル別聖書の読み方ガイド 第26回 知恵文学の解釈 中

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

関野祐二
聖契神学校校長

 ● 伝道者の書の解釈「空の空。すべては空」(伝道者一・二。新共同訳「なんという空しさ、すべては空しい」。欽定訳、改訂標準訳メVanity of vanitiesモ NIV メMeaningless!モ)。聖書らしからぬこの虚無的フレーズの反復に、多くの読者は戸惑います。新改訳で「空」と訳された、「蒸気/息」が原意のヘブル語「ヘベル」は、旧約聖書七十三回使用のうち三十七回が伝道者の書に登場しますが、その意味は「はかなさ」か、「空しさ、意味のなさ」か、はたまた両方なのか。「はかなさ」ならまだしも、「むなしさ」では聖書全巻のメッセージと矛盾するように見え、解釈が行き詰まるのです。この書を読むには、その全体を解釈するための大枠と見取り図が必要でしょう。

 ○「引き立て役」解釈これは従来からある読み方で、伝道者の書を「皮肉的な知恵表現」ととらえ、我々が避けるべき人生観と考えます。つまり、規範となるのは最後の二節、「神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ」(一二・一三―一四)のみであり、その他の箇所は引き立て役。もし死後のいのちがなく、神が人生にかかわってくださらなかったらどうなるか、その無意味さを裏から語るのです。死の現実性と最終性は、良き生き方と邪悪な生き方の差をなくして同じ終わり方にするゆえ、神なき人生が究極的な価値を持たないことを意味します。ですからこの書にある実践的アドバイスも、意味なき人生を少しでも喜ばしく生きるためには価値があっても、永遠の価値を持たないことになり、そうなると読者は、最後の二節に到達して伝道者の書から目を離し、聖書の他の箇所へ目を移します。それがこの書の目的だというのです。

 ○「今の人生を楽しむ」解釈これは伝道者の書を肯定的に理解する読み方。万物が死すべき運命にあっても、神のもとでどのように人生を楽しむべきかの表現と見ます。死からの復活の希望に欠けた本書において、仮に現在のいのちの唯一確かな行き先が「墓」だとしても、人はなお人生を、神からの賜物として生きるべき(三・一二―一四)。この人生における喜びは、人が何かをなして利益を「得る」ことからは究極的には出て来ません。むしろ、神が与えた「人生行路それ自体」において与えられるのです。喜びと満足は、人生を浮き沈みのリズムそのままに生きることにおいてのみ見いだされますし、それは人生を支配しようとすることや、はかないことから何かを得ようとすることのない、あるがままの人生。その意味で、伝道者の書は人生の現実を深く見つめ、最初から信仰的な答えや解釈を押しつけない、万人を納得させ神に向かわせるだけの広さ深さを内包する、卓越した知恵文学なのです。高橋秀典著『正しすぎてはならない Let it be』(いのちのことば社)はこの肯定的解釈の立場に立ち、実際的かつバランスのとれた伝道者の書の翻訳&解説としてイチ押しです。

 ● ヨブ記の解釈○ 災難は罪の結果?ヨブ記は、人類史上最高の文学作品に数えられる珠玉の書。綿密に構成されたヨブと友人たちの対話とその行方、扱うテーマの重さと思想の深さ、神の登場で迎える大団円の見事さ、どれも興味は尽きません。その一方でこの書は、ヨブを慰めに来た友人たちの誤った忠告で満ち、うっかり「このみことばはすばらしい」などと引用すれば、過てる友人のことばだったりすることも。

 ヨブ記は、「人生の出来事は、それを神が欲したり、公正であるから起こったとは必ずしも言えない」との確信に読者を導くのが狙いです。「引き立て役」であるヨブの友人たちはこぞってまくし立てました。神はただ日々の出来事にかかわるだけでなく、出来事を通して常にご自身のさばきを行うのだ、良いことも悪いこともそれはあなたが神を喜ばせたか否かの直接的結果なのだ、と。人生がうまくいく時は善行を選んだ結果であり、災難が襲ってくる時は犯した罪への神の応答。主イエスの弟子もそう考えたし(ヨハネ九・一―三)、今日の私たちも往々にしてそう考えがちではないでしょうか。

 ○ 答えを出さない知恵しかし聖書の教える世界観は別。この世は堕落して罪により腐敗し、サタンの支配下にあるので、人生に起こる多くのことは、神がそれを願っているのではない形で起こり、苦しみは必ずしも罪の結果ではありません(ローマ八・一八―二三参照)。ヨブは人生が不公平であり、今のような世はあるべき姿ではないと論じますが、それは基本的に正しいのです。ただ神は、「なぜ私が?」と問うヨブを新たな視座に置き、苦しみの許容とは、神がそうしていることを知らないとか、それを許す神の権利は問い直されるべきことを意味せず、神の選択が常に我ら人間よりも至高であると示すのです。財産が二倍に戻っても、同数の子が与えられても、死んだ十人の子どもたちは戻りません(ヨブ四二・一三)。しかし、ヨブの痛み悲しみは主の御手の中にあります。答えを出さず、解釈を加えず、現状をそのままで受け止める知恵、これぞ最善の人生選択でしょう。

 

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