詩編72編・どのようにして大群衆を養う大量の作物を収穫できますか
正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。
詩編72編には、地には豊かに穀物が豊かに収穫されることが預言されています。そこには、「地には穀物が豊かに実り、山々の頂であふれんばかりに実ります。」と預言されています。(詩編72:16)
stoneledge farms CSA (Community Supported Agriculture) Local Farming Week Twenty-Two CLS_6163 by smith_cl9 (harvest4)どうすれば大量の作物を収穫することができるでしょうか しかし、聖書は、大患難の際に食物の「非常な窮乏」が到来することが預言されています。(ルカ21:23)一方、啓示の書は数えきれない国際的な大群衆が大患難を生き残ることが預言されています。(啓示7:9,14) 世界的な食糧飢きんが起こることが予測される大患難をどうしたら数えきれない大群衆が生き残るようにできるでしょうか。そのためには、通常とは違った対策が必要です。 大患難の直前になって数えきれないほどの人々が、預言の成就を見て、山に逃れた人に加わることが予測できます。(啓示6:15-17)それで、大患難の到来を念頭において信仰をもって食糧を大量に備蓄しておくことが必要になるでしょう。 聖書はこの地球に楽園が実現する時に、人々がひとりひとり自給自足をすることを予告しています。楽園では、人々は家族ごとに独立した農家のようになります。(イザヤ65:21,22) しかし、この事物の体制で、非常に大勢の人が大患難を生き残るためには、楽園とは違ったやり方が必要だと思います。聖書は、食物の欠乏する冬のために夏にアリが集団で協力して食物を集めることを述べています。(箴言6:6-8)私たちはアリに倣う必要があります。大患難を生き残る準備をするためには、この事物の体制下で一時的に集団で農業をする必要があるでしょう。(ant6)集団で収穫するアリに倣う必要がありますSigismund von Dobschütz (harvest7)大量の作物を収穫するために集団で農業をする必要があるでしょう 集団で農業をするということは、永遠に続けるわけではありません。大患難を生き残るために、一時的に、その方法が必要になると思います。楽園では、食糧不足は生じませんから、そのための準備は必要ありません。しかし、ひとりひとり独立して農業をするならば大量の作物の収穫はあまり望めないでしょう。また、耕作地が狭いならば、少量の収量しか望めないでしょう。また、現時点で多くの人々は農業の方法も知りません。 それで、農業に知識を持つ人が中心になって他の人々に農業の方法を教える必要があるでしょう。油そそがれたクリスチャンは、霊的なことに忙しくしているので、農業の専門家になることはできないでしょう。それをできる人々が、農業について専門的に研究する必要があるでしょう。 農家は通常低収入です。もちろん、余分な食糧が産出した場合に、それを販売して金銭を得ることもできるでしょう。しかし、金銭収入を得るために、産出した農作物を販売するとしても、やはり将来の大患難のために食糧を取り分けて保存しておく必要があります。 そして、農作物は、やはり、農薬を使わない健康的なものがいいでしょう。山間部では病院が不足することが考えられますが、健康的な食物を摂っているならば医療費の節約になるでしょう。さらに、また、害虫のために農作物がダメージを受けないようにする必要もあります。 世界で成功している農法は、単一作物を栽培するのではなく、作物を混作するということです。農作物を多種類で栽培するならば、互いにそれらの作物は、助け合って害虫にも強くなります。それで、農薬を使う必要がなくなります。 しかし、どの種類の作物をどのように混作すれば、うまくいくかは研究する必要があるでしょう。いろいろ試行錯誤して研究する必要があるでしょう。農業の専門のセンターや、大学の研究所、あるいは自給自足を行っている農家などで、専門的に研究する必要があるでしょう。そして、後にそれらの専門家から教えてもらう必要があります。 さらに、昔イスラエル人が、天からのマナを荒野で集めた時には、人々は、一人一人全く同じ量が分配されました。(出エジプト16:16-18)イエスは食糧を奇跡によって増やして何千人もの人に分配したことがありました。(ヨハネ6:10,11)もちろん、その時も同量が配られたでしょう。それで、食糧は公平に分配する必要があるでしょう。Throughout their years in the wilderness, the Israelites always had food, a sweet type of flakes called manna. It was their daily bread. (manna1)昔マナは同量配分されたので大勢の人に行きわたるために食物を平等に分配する必要があるでしょう ですから、クリスチャン会衆内での立場、資産の多寡の違いにかかわらず、食糧は公平に分配する必要があるでしょう。そのようにして、できるだけ多くの人が生き延びるよう助けられるでしょう。 さらに、また、土地によって農作物の産出の量に違いが出てくるでしょう。どうしても、少ない所には、多量に産出している所から、分配する必要があるでしょう。それで、違う地域の連携も必要です。(コリント第二8:14,15) まず、私たちは都市で、聖書朗読の集会を設ける必要があると思います。聖書朗読の集会に定期的に出席することによって、聖書に対する信仰を培っていくことができます。そして、その集会を通して、山に移動するためのネットワーク作りをすることができると思います。これを成し遂げるには、何年もかかるでしょう。 日本の場合は、建物がとりわけ僻地で余っていますから、屋上のある廃校、廃ホテル、廃マンションなどを無料で譲ってもらったり、低価格で購入できるでしょう。そこに共同で住んで、共同で農業をすることができると思います。この点で政府に働きかけることができるかもしれません。 当然、その共同体は、聖書に見いだされる道徳基準を中心に生活するべきだと思います。そうしなければ、その共同体はうまくやっていくことができないでしょう。一世紀のクリスチャンは、共同生活を送っていたと考えられます。使徒たちとその仲間は、一つの家に共同で生活していました。(使徒1:13,14) 私は以前富士山ろくで生活している自給自足の共同体木の花ファミリーから学べる点があるのではないかと紹介しました。しかし、彼らはその基盤となる考え方が聖書でないので、その共同体の中では、暴力行為やレイプや個人の神格化が行われたようです。暴力行為やレイプや個人の神格化は聖書から認められることではありません。 そのような間違いを避けるために、聖書朗読を定期的に行って聖書の原則を当てはめ続ける努力が必要だと思います。 私は、各地で聖書朗読の集会を取り決めて、人々の信仰を築き上げていくことがまず必要だと思います。その共同体がどのようなものとなるべきかは、これからも考えていきたいと思います。 この点で皆さんの提案や意見などがあれば、コメントやメッセージなどでお知らせください。