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ピーター・エンズ著『確実性の罪』を読む(9)

(過去記事 1 2 3 4 5 6 7 8)前回取り上げた、『確実性の罪(The Sin of Certainty)』の7章でエンズは疑いについて書きましたが、8章では信頼について書いています。信仰を神への信頼としてとらえるなら、疑いは信仰の敵ではありません。疑いを受け入れつつ、それでも神に信頼していくのが、聖書的な信仰と言えます。「信頼の習慣を養う Cultivating a Habit of Trust」と題された第8章では、ものごとをコントロールしようとする思いを手放して、神への信頼を身につけていくべきことについて書かれています。本書の中で繰り返し強調されていることですが、エンズは信仰を理性的に追求していく試みを決して否定しているわけではありません。しかし彼は、自分たちが神に関する確実

C・S・ルイスの「七つの大罪」?

C・S・ルイスは20世紀の最も影響力のあったクリスチャン著述家の一人と言えるでしょう。映画にもなった児童文学の傑作「ナルニア国ものがたり」シリーズをはじめ、『キリスト教の精髄(Mere Christianity)』、『悪魔の手紙(The Screwtape Letters)』などを読まれたことのある方も多いと思います。ルイスは英国国教会に属していましたが、教派を超えて、特に英米の福音主義キリスト教界に今日に至るまで強い影響力を持ち続けています。彼の死後40年以上も経った2005年にルイスはアメリカ福音派の雑誌『クリスチャニティ・トゥデイ』の表紙を飾りました。その号の「C. S. Lewis Superstar」と題されたカバーストーリーでは、ルイスを「福音派のロックスター的存在」と形容してい

黙示録における「福音」(4)

(このシリーズの先頭はこちら)前回は、「黙示録における十字架」について考察しました。そこでも見たように、「十字架」ということばは黙示録にはほとんど出てきません。しかし、十字架を表す別の重要なイメージが繰り返し登場するのです。それは「小羊」のイメージです。(ヤン・ファン・エイク 「神秘の小羊」)「小羊」としてのキリスト黙示録において、「小羊arnion」ということばはキリストについて28回使われています。黙示録研究の世界的な権威であるリチャード・ボウカムRichard Bauckhamの解釈によると、28 = 4 x 7であり、4は世界を象徴し、7は完全数であることから、キリストの使命は全世界の国々を贖うことであると考えられます。この「小羊」は5章で初めて登場し、22章の冒頭、ヨハネが見た幻の

はじめまして

新約聖書学という分野を学んでいる者です。このブログでは聖書の話を中心に、日々感じたことや考えたことを綴っていきたいと思います。なるべく専門外の方々にも楽しんでいただけるような内容も含めていこうと考えています。 ブログに関しては初心者です。ある程度完成された自分の考えを発表する場は他にありますが、ここでは自分の中で発展途上のアイデアであってもあえて公開していこうと思っています。ですから、学問的に見て洗練されていない内容もあると思いますし、過去の投稿内容と首尾一貫していないことを書くこともあるかもしれません。また、ここはあくまでも個人のブログですので、ここで表明される私の意見は必ずしも私の属する団体や組織の意見を代表するものでないことを予めお断りしておきます。 それでは、よろしくお願いいたします

聖なるものの受肉(広瀬由佳師ゲスト投稿1)

前回の記事①キリスト教倫理と自己物語(1)人生という遠足前回の記事では、私たちが倫理的課題と向き合おうとするときに生じるジレンマについて書きました。今回は、そもそもキリスト教倫理とは何なのかを考えていきたいと思います。「キリスト教倫理」とか「倫理」と聞くと皆さんはどのようなイメージを持たれるでしょうか。あるところでそう質問したところ、「風紀委員」という答えが返ってきたことがありました。規律に従って物事を判断するようなイメージでしょうか。なんだか窮屈で面倒くさそうな、そんなイメージをお持ちの方もいるのかもしれません。「倫理」は「倫(仲間、社会)」という字と「理(すじみち、ことわり)」という字から成ります。「この社会で人としていかに生きていくべきか」を問う学問です。私は高校でもキリスト教倫理を教

バイオロゴス・カンファレンス・レポート(クリスチャン新聞)

3月末に参加したバイオロゴス・カンファレンスについて、クリスチャン新聞の依頼で執筆したレポートが、5月21日号に掲載されました。同紙の許可を得て、その内容をブログでも掲載します。先に投稿した記事とも部分的に重なりますが、興味のある方はお読みください。バイオロゴスのデボラ・ハースマ代表による講演*     *     *バイオロゴス・カンファレンス・レポート一線で活躍する科学者、神学者が集う3月29日(水)から31日(金)にかけて、米テキサス州ヒューストンで開催されたバイオロゴス・カンファレンスに参加しました。バイオロゴス(BioLogos)とはアメリカ国立衛生研究所の所長であり、ヒトゲノム計画の指導者でもあったフランシス・コリンズによって2007年に設立された、科学とキリスト教信仰の融和を追

2022年活動報告

しばらくブログの更新を怠っているうちに、もう12月になってしまいましたので、今年一年の活動を振り返ってみたいと思います。『福音と世界』新約釈義連載(ルカ福音書)こちらの記事でも書きましたように、『福音と世界』誌で釈義の連載を仰せつかりました。最初はいつまで続くかという思いでやっていましたが、なんとか一年終えることができて感謝しています。  聖書釈義は終わりのない営みで、やろうと思えばどこまでも深掘りができる世界です。どこまでやってもやり切ったという感覚を得ることができないので、毎回「もっとできたのではないか」という後悔の念とともに原稿を提出しています。けれども、逆に定期的な締切があることで区切りをつけて前に進んでいくことができるのはありがたいことです。何よりも、個人的に最も思い入れのあるルカ

物語としての福音書【書籍紹介】

聖書の物語的分析は、近年の聖書学の中でも重要な位置を占めるようになってきました。私の博士論文も、ルカ文書の物語的分析の手法を取り入れたものでした。ところで、四福音書の物語分析に関して、新しい本が出ましたので紹介したいと思います。これは Jeannine K. Brown, The Gospels as Stories: A Narrative Approach to Matthew, Mark, Luke, and John (Baker Academic, 2020) です。著者のジェニン・ブラウン博士はベテル神学校サンディエゴ校の新約学教授であり、広く使われている英訳聖書 New International Version (NIV) の翻訳者の一人でもあります。同時に、ブラウン先生は私

使徒たちは聖書をどう読んだか(5)

歴史的・文法的釈義は基本的には「聖書を一般の書物と同じように読む」方法です。理論的には、しかるべき手続きを踏んで聖書テキストの文学的分析と歴史的分析を行いさえすれば、誰でも「著者の意図した唯一の意味」を見いだすことができるはずです。したがって、使徒たちと同時代あるいはそれ以前のユダヤ人たちの中に、旧約聖書の綿密な釈義を通してキリストの到来について正確に理解していた者が出てきても不思議ではないはずです。しかし実際にはそのようなことは起こりませんでした。それだけでなく、イエスの弟子たちでさえ、イエスが復活されるまでは旧約聖書がキリストについて書いてあることを完全には悟ることができなかったのです。これはなぜなのでしょうか?(Abraham Bloemaert – The Emmaus

もう一つの座標系

ひとつ前の記事「アドベント―夜明けを待ち望む」で教会暦について書きましたが、「ミルトスの木かげで」のブログではちこさんが教会暦を用いたカレンダーを紹介し、その説明文を引用しておられました。一般のカレンダーは、ローマ帝国に起源があります。ローマ帝国では、役人たちが一月一日に就任するのです。それとは異なる教会暦カレンダーのフォーマットは、私たちは神の時間の中に生きる、神の国の民であることを日々思い起こさせてくれます。はちこさんのブログ記事のタイトルは「Happy Christian New Year!」です。つまり、クリスチャンにとっては1月1日ではなくアドベントの始まりが新年なのだということです。そこに表現されている、この世の時間とは異なる「神の時間の中に生きる」感覚はとても大切だと思わされま

グレッグ・ボイド・インタビュー(5)

(その1 その2 その3 その4)グレッグ・ボイド博士のインタビューを連載していますが、今回は神と時間についてです。*     *     *――オープン神論の基本的特徴の一つに、神は時間的な存在であるというものがあります。神が時間の中に存在するというのは、古典的神論とはかなりちがう考えです。このことについて説明していただけますか?GB:これはすべて、用語をどう定義するかにかかってきます。ふつう「時間」というものは、変化の運動として定義されます。その意味では時間はまったく人間的な概念です。私たちが「これには20分かかる」というように時間を測ることができるのは、時計のようなある変化の運動を基準にして、それを元に他のすべてを計測することに決めるからです。もちろん、神はそのようなものに縛られてはい

「主の祈り」を祈る(6)

(シリーズ過去記事 1 2 3 4 5)天にまします我らの父よ。ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。我らをこころみにあわせず、悪より救いいだしたまえ。国とちからと栄えとは、限りなくなんじのものなればなり。アーメン。「御国を来たらせたまえ。みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。」この部分は主の祈りの鍵となる部分です。この後に続く部分はみな、この祈りのヴァリエーションであると言って良いでしょう。主の祈りのこの部分については、過去記事で取り上げましたので、詳しくはそちらを参照してください。シリーズ「御国を来たらせたまえ」 

主と共にあるアイデンティティ

2015年に行われたGlobal Returnees Conferenceについて書いたことがありますが、今年の5月にもGRC18が行われることになり、今回は講師の一人としてお招きをいただきました(公式サイトはこちら)。朝の集会で聖書講解を担当させていただくことになります。集会に先立ってJCFNのニュースレターのために短いメッセージを書きましたので、許可を得て転載します。*     *     *主と共にあるアイデンティティ~GRC18への期待みなさん、こんにちは。GRC18で聖書講解を担当させていただく、山﨑ランサム和彦です。私の名前にある「ランサム」はミドルネームではありません。「山﨑ランサム(Yamazaki-Ransom)」がファミリーネームです。アメリカ人の妻の旧姓がRansomで

パレスチナ人クリスチャンの声(3)

シリーズ過去記事 1 2これまでの回では、パレスチナ人クリスチャンの一人として、ヨハンナ・カタナチョー師を紹介してきました。今回はもう一人のパレスチナ人クリスチャン、グレース・アル・ズグビー(Grace Al-Zoughbi Arteen)博士を紹介します。アル・ズグビー博士はベツレヘム出身で、現在もその街に住みながら、レバノンにあるアラブ・バプテスト神学校でも教えておられます。彼女はローザンヌ運動の神学作業部会における私の同僚でもあります。今回は彼女の証詞文をご本人の了解のもとに翻訳して共有します。*****キリストにある愛する兄弟姉妹たち、私たちの主イエスキリストの御名によってご挨拶します。私の名はグレース・アル・ズグビーです。私はアラブ系キリスト教徒の女性で、エジプト系アメリカ人の牧師

確かさという名の偶像(19)

(シリーズ過去記事 第1部 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 第2部 11 12 13 14 15 第3部 16 17 18)グレッグ・ボイド著Benefit of the Doubt(『疑うことの益』)の紹介シリーズ、今回も前回に引き続き、第9章「聖書の中心」を取り上げます。暴力的な神の描写前回見たように、ボイドは聖書の中心はイエス・キリストであり、十字架上のイエスを通して啓示された神観は、それに先行するすべての啓示に優先し、それらは十字架のイエスというレンズを通して解釈されるべきだ、と主張します。このことが具体的に問題となるのは、旧約聖書に描かれている暴力的な神の姿をどのように解釈したらよいのか、という難問を考える時です。たとえば神がモーセを通してイスラエルに、カナンの先住民の「

確かさという名の偶像(16)

(シリーズ過去記事 第1部 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 第2部 11 12 13 14 15)グレッグ・ボイド著Benefit of the Doubt(『疑うことの益』)の紹介シリーズ、今回から第3部「信仰の行使」に入ります。今回は第8章「強固な中心」です。第1部でボイドは「確実性追求型信仰」の問題点を指摘し、第2部では聖書的な信仰のあり方について論じました。第3部では、どのようにその信仰を実践していけばよいのか、具体的な提案がなされます。この章でボイドは信仰を知的に基礎づけつつ、しかも柔軟に神学を構築していく方法について議論します。本シリーズの第2回で、「トランプの家」的な信仰のモデルについて述べました。それは、信仰を構成する多くの要素が危ういバランスを保ちながら組み合わさ

黙示録における「福音」(8)

(このシリーズの先頭はこちら)黙示録において「福音」ということばが登場する2箇所のうち、前回は10章7節について見ました。今回はもう一つの箇所について考えていきたいと思います。わたしは、もうひとりの御使が中空を飛ぶのを見た。彼は地に住む者、すなわち、あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝えるeuangelizōために、永遠の福音euangelionをたずさえてきて、大声で言った、「神をおそれ、神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきたからである。天と地と海と水の源とを造られたかたを、伏し拝め」。(黙示録14章6-7節)この天使のメッセージは、神の差し迫った裁きについて警告し、創造者である神を礼拝するようにという呼びかけです。地の住人に対する神の裁きの宣言が「福音(良い知らせ)」というのは奇妙に思

確かさという名の偶像(15)

(シリーズ過去記事 第1部 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 第2部 11 12 13 14)グレッグ・ボイド著Benefit of the Doubt(『疑うことの益』)の紹介シリーズ、今回は第7章「具体化した信仰」を取り上げます。ボイドは人が何かを「信じる」とはどういうことかについて論じます。何かを信じるという行為は、私たちの具体的な人生と遊離したものではありません。プラグマティズムの哲学者チャールズ・パースの理論を援用して、ボイドは次のように言います。何かを信じるとは、人がある特定の状況が起こったとき、特定の方法で応答するということである。したがって、人がその信念を反映する方法で行動しようとしないならば、その人はたとえそのことを信じていると主張していたとしても、それを本当には信

暗闇からの叫び

所属教会で礼拝説教の奉仕をしました。多少手を加えた原稿をアップします。暗闇からの叫び(詩篇88:1-2)今日は詩篇の中から、88篇を取り上げました。いま司会者の先生に最初の2節を読んでいただきました。少し長いですがこの詩篇の全体をお読みしたいと思います。1  わが神、主よ、わたしは昼、助けを呼び求め、夜、み前に叫び求めます。 2  わたしの祈をみ前にいたらせ、わたしの叫びに耳を傾けてください。 3  わたしの魂は悩みに満ち、わたしのいのちは陰府に近づきます。 4  わたしは穴に下る者のうちに数えられ、力のない人のようになりました。 5  すなわち死人のうちに捨てられた者のように、墓に横たわる殺された者のように、あなたが再び心にとめられない者のようになりました。彼らはあなたのみ手から断ち滅ぼさ

地には平和

すると突然、この天使とともに天の大軍勢が現れ、神を賛美して言った。「いと高きところには神に栄光 そして地の上には御心に適う人々に平和。」(ルカ2章13―14節私訳)アドベントも3週目を迎え、クリスマスは来週月曜日に迫りました。多くの教会では24日の日曜日にクリスマス礼拝を行うのではないかと思います。すでに別の記事でも書きましたが、今年は誰もが常にもまして「平和」について考えさせられるクリスマスシーズンを迎えているのではないかと思います。イエス生誕の地とされるベツレヘムでは、今年は街が封鎖されて出入りができなくなり、例年なら大勢訪れる観光客の姿もなく、異様な雰囲気に包まれているようです。今週行われたローザンヌ神学作業部会のオンライン会議で、ベツレヘム在住のメンバーであるグレース・アル・ズグビー

The Cross Pendant

He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel

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Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......

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