「主の祈り」を祈る(6)

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

(シリーズ過去記事 1 2 3 4 5)

天にまします我らの父よ。
ねがわくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、
我らの罪をもゆるしたまえ。
我らをこころみにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
国とちからと栄えとは、
限りなくなんじのものなればなり。
アーメン。

「御国を来たらせたまえ。みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。」

この部分は主の祈りの鍵となる部分です。この後に続く部分はみな、この祈りのヴァリエーションであると言って良いでしょう。主の祈りのこの部分については、過去記事で取り上げましたので、詳しくはそちらを参照してください。

シリーズ「御国を来たらせたまえ」 1 2 3 4 5 6 7 8 9 補

御国」ということばはbasileiaというギリシア語の訳語ですが、英語ではKingdomと訳されるように、「王国」という意味です。これは新約聖書で「神の国」または「天の国」(新共同訳)「天の御国」(新改訳)と言われるものと同じです。後者はマタイ福音書にのみ現れる表現ですが、口語訳の「天国」は誤解を招きやすい表現だと思います。これは死者の魂が行く霊的な楽園のことではなく、今現在神が王として統べ治めておられる領域、あるいはその支配を意味することばです。

さて、主の祈りではこの神の国が来るようにと祈ります。神の国はどこに来るのでしょうか?その答えは「地に来る」です。聖書のナラティヴの一貫した方向性は、天において完全に実現している神の王としての支配が、(人間の住む領域としての)地にも及ぶようになる、というものです。この意味で、「御国を来たらせたまえ」という祈りと、その次の「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ」という祈りは、同じ内容を別の表現で言い換えたものと言ってもよいでしょう。実際、ルカ福音書における並行箇所(ルカ11章2節)では、後者の祈りは含まれていません。後者の内容は、神の国が来るということの意味をさらに明確にするために付け加えられた可能性もあります。

つまり、この祈りは、善にして愛なる神の支配は天においては完全に実現しているけれども、地においてはまだ完全に実現していないという理解を前提としています。私たちは慈愛に満ちた父なる神の存在を信じていますが、同時に地上では罪や悪や苦しみや死が未だに猛威をふるっていることも知っています。クリスチャンの取るべき態度は、そのような冷厳な現実から目を背けて霊的な楽園への逃避を夢見ることではありません。そうではなく、神の民は、この地上に神の国が訪れ、神の聖なるみこころが100%行われるような世界になるようにと祈るべく召されているのです。

今現在、天において実現している神の支配は、黙示録4-5章においてはっきりと見ることができますが、黙示録には、このような天の現実が地上でも実現するときが来るという終末的希望もまた記されています。

第七の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、大きな声々が天に起って言った、「この世の国は、われらの主とそのキリストとの国となった。主は世々限りなく支配なさるであろう」。 そして、神のみまえで座についている二十四人の長老は、ひれ伏し、神を拝して言った、「今いまし、昔いませる、全能者にして主なる神よ。大いなる御力をふるって支配なさったことを、感謝します。 」(黙示録11章15-17節)

この祈りもまた、キリスト論的な視点から祈ることができます。キリストは十字架にかかられた後、復活して天に昇り、父なる神の右の座に着いておられます。このお方は「すべての者の主」(使徒10章36節)であり、「王の王、主の主」なる方です(黙示録19章16節)。キリストは天において神に敵対するすべての勢力を支配されました(エペソ1章20-21節)。クリスチャンは主の祈りを祈る時、キリストの支配が地上に完全に現される時、つまり再臨を待ち望んで祈っているのです。

ただ、各自はそれぞれの順序に従わねばならない。最初はキリスト、次に、主の来臨に際してキリストに属する者たち、それから終末となって、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、国を父なる神に渡されるのである。なぜなら、キリストはあらゆる敵をその足もとに置く時までは、支配を続けることになっているからである。最後の敵として滅ぼされるのが、死である。(1コリント15章23-26節)

けれども、私たちが祈る時、将来のある時点で神の国が地上に完全に到来することを求めるだけでなく、そこに至る過程の中にあって、私たちの人生を通し、生活を通して、神のみこころがなるようにと祈ることが大切であると思います。そのように祈る時、確かに神の国はこの地上に訪れ、拡大していくことになるのです。

(続く)

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