「福音」とは何か?(1)

聖書に出てくる用語、クリスチャンが使う用語を説明しています。 ヘブル的視点で解説されていますので、すでにクリスチャン歴が長い方にも新しい発見があるかもしれません。

前回の投稿では、新約聖書のクリスマス物語が持つ政治的なメッセージについて述べました。ルカの福音書2章に描かれている降誕物語は、「王の誕生」を描いたものであると言って良いと思います。そして、羊飼いたちに現れた天使はそれが素晴らしい喜びの知らせであると告げたのです。新改訳、口語訳、新共同訳といった日本語訳聖書では訳出されていませんが、ルカ福音書2章10節ではエウアンゲリゾマイ(福音を伝える)というギリシア語の動詞が使われています。王なるイエスの誕生は「福音」だったのです。

「キリスト教の中心的メッセージは福音である」と言われます。しかしこれは分かるようでよく分からない表現です。「福音(エウアンゲリオン)」は「良い知らせ」という意味で、キリスト教以外でも使われる言葉です。たとえばこれまで治療困難だった難病に対する特効薬が開発されると、それはその病気で苦しむ人々に対して「福音」であると言われたりします。つまり、「福音」という言葉そのものはキリスト教のメッセージの容れ物を表しているだけで、その中身は特定されていないのです。

ですから、同じクリスチャン同士が「福音」という言葉を用いて会話をしていても、双方の「福音」理解が同じであるとは限りません。もし同じでないなら、意味のあるコミュニケーションはなされていないということになります。また、教会が世に対して「福音」を証ししようとする場合も、肝心の福音理解が曖昧であったり、不正確であるなら、その証しは力のないものになってしまいます。

つまり、キリスト者が自らの福音理解に対して無反省であり、「分かったつもり」になっていることは、大きな問題であると言えます。私たちは自らの福音理解を聖書から常に問いなおしていく必要があります。それでは、キリスト教のメッセージの何が「福音(良い知らせ)」なのでしょうか?

最近日本の福音主義的キリスト教会内でも、「福音とは何か?」という根本的な問題が正面から取り上げられるようになりました。その象徴的とも言える事件が、スコット・マクナイト著『福音の再発見』が昨年翻訳出版されたできごとです。この本が日本語で出版された意義は非常に大きいと思い、自分が教えている神学校でも学生たちに大いに推薦させていただきました。

マクナイトの本(原題は『王なるイエスの福音The King Jesus Gospel』)の福音理解については、同書を読んでいただければ良いと思いますので、この投稿では、『リバイバルジャパン(現・舟の右側)』2009年12月15日号に掲載させていただいた「福音とは何か?」という文章に基づいて、私なりの福音理解について述べさせていただきます。(ちなみに、「福音とは何か?」というのはシリーズ名で、様々な人々にその福音理解について聞く、という企画でした。ブログへの転載を快諾してくださった地引網出版の谷口和一郎氏に、この場を借りて御礼申し上げます)。

なお、これから掲載する内容は、「福音」のすべてについて網羅したものではなく、従来の福音主義的キリスト教において軽視されてきた(と思われる)福音の側面に特に光を当てようとするものであることを最初にお断りしておきます。

神の国の福音

上で述べたように、「福音」とは「良い知らせ」という意味です。それではその「良い知らせ」の内容とは何でしょうか。多くのクリスチャンがそう訊ねられて答えるのは、「イエス・キリストがあなたの罪の身代わりとなって十字架にかかってくださった。そのことを信じるだけであなたは罪が赦され、永遠のいのちをいただくことができる」というものではないかと思います。これは確かに、罪に苦しむすべての人間にとって、この上ない良い知らせです。この「十字架の福音」が新約聖書において中心的なメッセージであることには、異論はありません。しかし、それがすべてなのでしょうか?

実は新約聖書には、上で述べた「十字架の福音」とは少し違った福音の表現も見られます。それは、イエスご自身が宣べ伝えられた福音でした。

ヨハネが捕えられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた、「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」。(マルコ福音書1章14-15節)

つまり、イエスによると、時が満ちて、神の国が近づいたことが「良い知らせ」なのです。このような「神の国の福音」は「十字架の福音」とは異なる別のメッセージではなく、同じ一つの福音の両側面と言ってよいものです。しかし、「神の国の福音」について語られることは比較的少ないと思われるので、この投稿ではこちらを中心に見ていきたいと思います。

さて、ここでイエスが語られている「神の国」とは何でしょうか。新約聖書が「神の国」というときの「国(バシレイア)」は「王国」あるいは「王としての支配」を意味する言葉です。つまり、「神の国」とは「神の王としての支配」を意味する言葉です。神が宇宙の王であるという概念は聖書全体を通して見られるものです。この王は絶対的主権者であると同時に、慈愛に満ちた父でもあります。またこの王は聖なるお方であり、その裁きはつねに正しいのです。「神の国が近づいた」というのは、この素晴らしい王の支配がこの地上に訪れようとしている、いやある意味ではすでに訪れつつあるということです。これが「神の国の福音」の内容です。

さて、聖書を見ていくと、神の国はいくつかの重要な特徴を持っていることが分かります。それについて次回は考えようと思います。

(続く)

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