私が使っている牧師用のカレンダーによって、今日(待降節第二主日)の説教テキストとして、ヨハネ黙示録 3,7-13を選んだ。来週も続いて黙示録3,1-6を取り上げる。「待降節なのにどうして黙示録か」と不思議に思う方もいるかもしれないが、この選択には意味があると私は思っている。理由は二つある。
先ず、11節に「わたしは、すぐに来る」とあるように、この問題の多い世界の歴史の中に「主が再び来たり給う」というのが「ヨハネ黙示録」の信仰の中心である。「来たり給う主を待つ」というのは正に待降節の主題であるから、黙示録を読むことは待降節に相応しい。これが第一の理由である。
第二の理由は、「ヨハネ黙示録」が皇帝ドミティアーヌスの治世下(81‐96年)に書かれた「抵抗の文書」である、ということと関係がある。当時のローマ帝国は、戦前の日本と同じように国家権力を絶対化し、皇帝を神とし、各地にそのための神殿を建て、あらゆる市民に「皇帝礼拝」を強要した。キリスト教徒の中には、やむを得ず妥協した人もいたが、「人間に過ぎない皇帝を神として礼拝することはできない」という信仰に基づいて礼拝を拒んだ人々は、弾圧・迫害を受け、場合によっては殉教の死を遂げねばならなかった。このような危機的状況の中で書かれたからこそ、「ヨハネ黙示録」は危機に際してよく読まれ、信仰の励ましとなった。戦時中に矢内原忠雄が行った『ヨハネ黙示録講義』が人々に特別な感銘を与えたのは、その一例である。超大国が巨大な経済力・武力を行使するという時代の中で、我々は待降節を迎えているが、その中でこの文書を読むことは特別に意味深いと言わなければならない。
さて、「ヨハネ黙示録」は、「ヨハネ」(1,1)と名乗る人物によって書かれた。この人物の正体は不明であるが、小アジア(現在のトルコ)地方の有力な教会指導者だったらしい。ドミテイアーヌス帝の下で迫害を受け、エーゲ海のパトモスという小島に幽閉されていたと思われる(1,9)。この人が、ある日曜日に獄中で力強い主イエスの幻を見た(1,13-16)。幻に現われた主は、小アジアに散在する七つの教会に励ましの手紙を「書き送れ」と命じて、その内容を口述する。3章まではその手紙である。
どの手紙も、「主があなたの苦しみをご存知である」という意味の語りかけで始まっている。このことに、私は深い感銘を受ける。以下は小河陽訳で引用するが、エフェソの教会に対しては、「お前の[善き]行いを、そして、お前の苦労や忍耐を知っている」(2,2)と言い、スミルナの教会に対しては、「お前が艱難に苦しみ、貧しさにあえいでいること、それにもかかわらず、お前が本当の豊かさを持っていることを知っている」(2,9)と言う。ペルガモンに対しては、「お前がどこに住んでいるのか知っている。そこにサタンの王座があることもだ」(2,13)と語りかけ、ティアティラに対しては「お前の[善き]行い、お前の愛と信仰と奉仕と忍耐とを知っている」(2,19)と語る。
黒人霊歌に "Nobody knows the trouble I've seen. Nobody knows but Jesus." というのがある。「私が経験した悩みは誰も知らない/イエスの他は誰も知らない」。苦しい時、人は限りなく孤独になる。この私の苦しみは誰にも分かる筈はないと感じる。だが、あの十字架の苦しみを味われたイエスなら、分かって下さる。ヨハネが、先ず「あなたのことは、主がご存知である」という語りかけをするのは、そういう意味だ。
さて、今日の箇所に出てくる「フィラデルフィア」は、「兄弟愛」という美しい名を持った町である。アメリカにも同名の都市がある。「クエーカー」の指導者ウィリアム・ペンによって開かれた町だ。名の出所は同じであろう。
このフィラデルフィア教会に対してヨハネは先ず、「聖なる方、真実な方、ダビデの鍵を持つ方」、つまり、救いの最終的な決定権を持つイエスが「あなたの前に門を開いた」(7-8)と言う。「門を開く」というのは、終末の救いが約束されているという意味である。この約束はいい加減なものではない。「この方が開けると、だれも閉じることなく、閉じると、だれも開けることができない」(7b)。
フィラデルフィア教会は、この約束に対して「力は弱かったが、わたしの言葉を守り、わたしの名を知らないと言わなかった」(8b)。つまり、自分たちの人間的な弱さを熟知しながらそこで腰砕けにならず、どんなに迫害されてもペトロのように「イエスを知らない」などと言わず、ただイエスの真実に信頼して忍耐した。「そのことは他の誰よりも私が良く知っている」とイエスは言う。弱さゆえのあなたの恐れや、世界は滅びるのではないかという不安、あなたの苦しみ、そしてあなたの忍耐を、神様はご存知だ! 私の悩みは誰も知らない。だが、主イエスは知り給う。「あなたの行いを知っている」(8a)というのは、そういう意味の深い励ましである。
「それゆえ、地上に住む人々を試すため全世界に来ようとしている試練の時に、わたしもあなたを守ろう」(10b)。ここでユダヤ人の迫害に言及されているが、これはユダヤ人に限らない。この世界には常に理不尽な迫害がある。しかし、その非道はいつまでも続くものではない。「わたしは、すぐに来る。あなたの栄冠をだれにも奪われないように、持っているもの(=約束)を固く守りなさい」(11)。
古来、黙示録の言葉を強引にその時代の現象に当てはめる牽強付会の解釈があった。私は、それは取らない。しかし、望みを失いがちな時代に生きる我々にとって、これらの言葉は豊かな暗示を与えるのではないか。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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