イエスが第六の封印を開かれると、大患難に関する預言の詳細が明らかになります。今回は啓示6章14-18節の説明をしたいと思います。
まず、大患難が起きると、「すべての山と島がその場所から取り除かれた」とは何を意味するのでしょうか。(啓示6:14)聖書の中で、「山」とは「王」すなわち政権を意味しています。(啓示17:9,10)島とは何を表しているのでしょうか。島という語は「海沿いの地帯」と訳されることがあります。(イザヤ23:2。エレミヤ25:22)啓示16章には、「すべての島は逃げ(た)」と述べられています。(啓示16:20)
啓示の書では、言葉を「しるし」としてつまり象徴的に用いていると考えられます。一方、福音書では、イエスはできうる限り、言葉を文字通りに使っていると 考えられます。イエスは大患難の前に、山に逃げて野にはとどまるようにと助言されました。(マタイ24:16,18)福音書のイエスの言葉からすると、海沿いの地帯、多くの場合、都市や町のある平野部は大患難が起きた時には、大変危険なところです。
そ れで、啓示の書の「島」とは文字通りの島か平野部に存在する「王」、すなわち比較的小さい地方自治体を意味しているのかもしれません。それで、山や島が取 り除かれるというのは、大患難の時に、大小さまざまな政府また地方自治体は機能するのが難しく、なくなってしまうことを意味しているのでしょう。確かに大患難の際に北の王か南の王の側に立って戦う大小さまざまな政権は互いに滅ぼしあって存在しなくなるでしょう。
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山と島が取り除かれるとは大患難の時に大小さまざまな政権が機能しなくなること消滅することを意味しているのでしょう
しかし、啓示の書の他の部分で預言は、大いなるバビロンの滅びを一部の地の王たちが生き残って彼女の滅びを嘆き悲しむと予告しています。ですから、大患難の際に、北の王の側にも南の王の側にも立って戦わない政権は存続し続けるでしょう。(啓示18:9.10)
しかし、島は逃げると述べられていますから、海沿いの平野部に存在する地方自治体の中には、ひょっとするとイエスの助言に答え応じて、大患難の前に山間部に逃れる自治体があることを意味しているかもしれません。(啓示16:20)確かに、比較的小さな政治組織はより大きな政治組織よりは、災害などの緊急時に機敏に行動しやすいかもしれません。
しかしながら、逃げるためには、大患難が勃発した時には遅く、大患難が起こる前に逃げている必要があるでしょう。大患難までに、行動を起こさない大小さまざまな政府は存在しなくなってしまうのでしょう。
啓示6 章 に よると、地の王たち、高位の者たちなどすべての奴隷、また自由人は、「ほら穴や山の岩塊の間に身を隠し(ます)。」そして、山と岩塊に、「わたしたちの上 に倒れかかれ。」そして、神と子羊の「憤りからわたしたちを隠してくれ。」と言います。そして、「彼らの憤りの大いなる日が来た」と言います。(啓示16:15-17)
人々 は、大患難と「神と子羊の憤りの大いなる日」を結び付けています。そして、だれも立ち得ないと言います。大患難が長い期間預言者たちによって預言されてき たゆえに、人々は大患難が勃発する時、それが預言の成就であること、神の怒りの表明であることが分かるのでしょう。さらに、神の民を迫害してきた人々は、 神の怒りの表明として大患難が起きたことを考えると恐ろしく感じるでしょう。
すべての人々が山や岩塊に「倒れかかれ」とか「隠してくれ」と言う事は何を意味するのでしょうか。山は政権を表しています。(啓示17:9,10)また、山はシオンの山や聖なる都市エルサレムを表わすこともあります。(啓示14:1;21:10)また、岩塊とは、聖書の中でイエス・キリストを表すこともあります。(ローマ9:33。ペテロ第一2:6)それで、山や丘、岩塊、ほら穴とは、国家、都市、町、村など大小さまざまの政権を初めとしてキリスト教の組織など保護を差し伸べてくれると考えられる組織すべてを意味するのでしょう。
預言者ホセアは北のイスラエルの首都サマリアに対するエホバの裁きを告げ知らせました。人々は山や丘に向かって「我々の上に倒れかかれ」また「我々を覆ってくれ」と言いました。(ホセア10:8)また、イエスはエルサレムがローマ軍によって滅ぼされようとする時にも人々が山に向かって「我々の上に倒れかかれ」と言うことを預言しました。(ルカ23:29,30)
一世紀にエルサレムがローマ軍によって攻撃された時に前もって安全な山間部に逃れていたクリスチャンのグループがいました。
Stewart Island View bypellaea(mountainandhill)
山や丘に覆ってくれというのは人々が大患難を恐れて大小さまざまな政権やキリスト教のグループなど保護を与えられると考えられるものすべてに保護を求めることを意味しているのでしょう
人々は、北の十部族王国がアッシリアによって陥落しようとしていた時、また、一世紀のエルサレムがローマ軍によって陥落しようとしていた時、それまで預言を聞 いていたので、それがエホバの憤りの表れであることを理解できました。それで、昔は、比ゆ的な山や丘、すなわち大小さまざまな政治組織に救いと保護を求め ようとしたことでしょう。
人々はエホバの崇拝者に対しても救いと保護を求めようとしたかもしれません。しかし、ある時点以降は、人々が救いと保護を求める のは遅すぎました。一世紀には、ローマ軍が二度目に攻めてきたのは、西暦70年でしたが、クリスチャン会衆は西暦66年には山間部のペラに逃げていたと言われています。
大患難の時、人々は、預言されたことが成就するのを見て、聖なる者たちやキリスト教のグループ、政治指導者たちや地方自治体の代表者たちなど保護を与えることができると考えられるものすべてに必死に保護を求めるかもしれません。とりわけ人々は山に逃れているクリスチャンのグループのもとに保護を求めて身を隠そうとするかもしれません。
大患難の時人々は山の岩塊やほら穴に身を隠します
人々の中には山に逃げているクリスチャンのグループのもとに保護を求めて隠れるという人々も大勢いるでしょ
エホバの崇拝者のグループに賢く保護を求めることが必要でしょう
昔、 一 部のイスラエルの人々は、預言が成就するのを見て、神に頼るのではなく、やはり不信仰にも、王たちに保護を頼りました。大患難の時、ある人々は同じように 行動するでしょう。しかし、預言が成就した時諸政府や政治指導者に頼っても、諸政府は何もできないでしょう。北の王は南の王に対する攻撃に総力を注いでいるでしょう。南の王は、保身に忙しく非常に恐れて何もできないでしょう。中立の立場の王たちも、ただ自分たちが逃げることに忙しく人々の保護や救いには手が回らないかもしれません。また、多くの政権が消え去ってしまうでしょう。ですから大患難が起きてしまっては、大小さまざまな政治組織に保護や救いを求めても、手遅れのことが多いでしょう。
大患難の前に多くの人々は、聖書の預言が少しずつ成就していくのを観察しても、あまり深く考えなかったかもしれません。あるいは、エホバ神にも聖書の預言にも信仰を働かせず、クリスチャンたちを迫害していたかもしれません。しかし、聖書の預言に対 する知識と信仰はわたしたちの生死を分けることになります。
ですから、時間がまだある内に、北の王の総攻撃や食糧不足や政府による迫害から逃れるために実際的な処置を取ることが必要です。時間がまだあるうちに、クリスチャンのグループと共に、山に逃れることが必要です。イエスが勧められたように山や野で自給自足をすれば、お金はあまりありません が、大患難と食糧不足だけは生き残ることができるでしょう。
聖書とその預言に関する正確な知識と信仰が必要です。また、聖書の預言の成就を注意深く観察することも必要です。ですから、これからも聖書に関する正確な知識を取り入れ続け、エホバとそのみ言葉に対する信仰を培って、私たちの周りで起こることを 見張っていきましょう。(テモテ第一2:4)
大患難の際に生き残るためには遅くならないうちに聖書の知識を取り入れ信仰を培い正しい行動を見極めることが必要です [
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