私が通っている教会には、同性愛のクリスチャンがいます。しかし、知人は「同性愛者は決して赦されない」といっていました。この問題について、どう考えたらよいですか。
非常に、難しい質問ですね。まず、定義しておきましょう。今回私がいう「同性愛者」がどういう方かというと、「同性に対して性的魅力を感じている人」です。そのように、とりあえず定義しておきます。さあ、いつものように3つ申し上げます。
1番目に、聖書によれば、同性愛は罪です。
パウロは、ローマ人への手紙の第一章で、同性愛を厳しく糾弾しています。彼のことばをそのまま使えば、同性愛は、「恥ずべき情欲」、「不自然な関係」となります。ですから、聖書を「神のことば」として字義通りに受け取るなら、同性愛は罪であるという結論に至ります。
しかし2番目に、同性愛は赦されない罪ではありません。
同性愛というのは、「最悪の罪で、赦されない罪だ」と誤解をしている方もいるようですが、そうではありません。考えてみますと、常に罪と戦っているのがクリスチャン生活です。クリスチャンだからといって、罪との戦いがなくなるわけではありません。そして、注目すべきは、人それぞれに罪や誘惑の内容が異なっているということです。性的誘惑に弱い人もいれば、金銭欲や名誉欲に支配されている人もいます。けれども、戦っているということにおいては、すべて同じです。
クリスチャンは、日々の戦いの中で、「聖霊に心を明け渡す」ことを学びます。そして、時間をかけて徐々に変えられ、「御霊の実」を付けるようになって行きます。この過程を専門的には、「聖化」と呼びます。ですから、同性愛的傾向と戦っている方も、別の誘惑と戦っている方も、戦っているという点においては同じなのです。
3番目に、同性愛者のクリスチャンという概念は、あり得ます。
もう少し具体的にいうと、その人は、「自らの内にある同性愛的傾向を罪と考えて、それと戦っている人」なのです。
しかし、もし同性愛的傾向を罪と考えていないとするならば、救われていない(クリスチャンになっていない)可能性が大です。あるいは、習慣的に実際の行為に及んでいるのなら、それもまた、救われていない可能性が大です。
そういう方には、イエス・キリストの福音をお伝えする必要があります。いずれにしましても、神様は同性愛を憎まれますが、同性愛者を愛しておられます。そして、その人たちが、束縛から解放されて自由になることを、神は願っておられます。
「あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません」(コリント人への手紙第一6:10)
「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます」(コリント人への手紙第一10:13)
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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