In – N – Out Burger (2)
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
Lynsiが語る生きた証し先週のIn – N – Burger (1)に続き、35歳で億万長者となった In-N-Outバーガーのオーナー社長Lynsi Snyder (Lynsi Torres)の生活が、主によってどのように変えられたかご紹介させていただきます。クリスチャンファミリーに生まれたLynsiは、自身もクリスチャンハイスクールを卒業しています。そんな彼女の最初の大きな困難は12歳の時に訪れました。両親が離婚したのです。それ以来、人からの注目や愛情、特にお父様からのそれを求め始めたそうです。更に5年後、Lynsiが17歳の時に大好きだったお父様が亡くなりました。愛情や注目に飢えていた彼女の前から、お父様という存在そのものが消えてなくなったのです・・・。 その時の事を彼女は「世界から閉ざされたようで真っ暗な闇の中で孤独感を味わった」と言っています。その孤独感を埋めるかのように、Lynsiは18歳で最初の結婚をしました。しかし、Lynsiの孤独感は癒されず、結婚中に他の男性と関係を持ち、結婚から約3年後に離婚しました。彼女は後、この結婚の前に「結婚はしないように」と言う神様からの小さな声を聞いたけれども、寂しさに勝てなかったと言っています。その頃家族から見放されたこともあり、他の男性からの愛情を更に強く求めたLynsiは、マリファナやアルコールを常用する男性との生活を始めた様です。しかし、そのような自分を薬物中毒で亡くなったお父様の姿と重ね合わせ、主の前に出て自分が変われるように祈り、マリファナやアルコールを手放すことができたそうです。それだけではなく、男性にも同じようマリファナやアルコールから離れる生活を勧め、男性がイエス様を信じる者となったそうです!その後、その男性と結婚し2人の子供を与えられましたが、最初の結婚と同じように他の男性と関係を持ち、約年間の結婚生活を終えました。この上なく自分の不甲斐なさを感じたLynsiですが、自分を取り戻すことも孤独に勝つこともできず、直ぐに以前から関係を持っていたその男性と3度目の結婚をしたのです。今度の結婚は大丈夫だろうと思ったのもつかの間、Lynsiの妊娠中から約3年半の間、夫が他の女性と関係を持つ生活が続いたそうです。ただ愛し合い、感謝しあう関係を求めていたのに、Lynsiはゴミくずの様に扱われ、求めていた生活とは程遠い最悪の時期を過ごしたそうです。3度目の離婚危機を感じるこの様な生活は、過去の自分の罪から起きていることで、神様からの罰だと思い、この上もない敗北感を感じながらも最悪の状況を耐え忍んでいたそうです。そんな時主は、お父様や過去の男性たちにすがって主にたよることをしなかったばかりか、その素晴らしいご計画を知ろうともしなかったLynsiに、それらを手放すことを強制されたそうです。それにより3人目の夫と離婚したLynsiは、人にすがる生活から離れ一人の時間を過ごしました。しかし、その時間は完全に一人ではなく、水の上を歩き、病を癒されたイエス様が共に居てLynsiの心に触れ、その空間を埋め、神の目から見たLynsiという人間を示し、自分の存在意義を示してくださったそうです。まるで、Lynsiのお父様が自転車の乗り方を教えてくださったように、主はこれからの人生を歩むLynsiに道を示してくださり、お父様との時間とは比べ物にならない、これまでの人生で一番満たされた最高の思い出の時間を与えてくださいました。イエス様によって心の空間を埋められ癒されたLynsiは、4度目の結婚をしました。そして、今度は目に見える「人間」からの愛を求めるのではなく、キリストの体である人たちを集め、キリストの愛と聖霊の力により傷ついた人たちを癒す事を目的とした「Army of Love Foundation」というボランティア団体をその夫と立ち上げ、キリストの愛を分け与える人間となりました。Lynsiにその存在意義を示してくださった主は、今もLynsiと共に居てくださり、主から預けられた大切なIn-N-Outバーガーを大切に経営する力と知恵、そして主の愛で傷つき助けが必要な人達を助けるための力を与えてくださっているようです。こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。 あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。 あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません。 そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。 もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。 さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。 0なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分のきよさにあずからせようとして、懲らしめるのです。 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。ヘブル書 12:1-11(KS)
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