Q:私は、自身がクリスチャンであることを周りに知られているのですが、大学で死刑制度について議論をする機会があり、聖書的にはどのような解答をすれば良いのか、分からなくなりました。
A:これは、クリスチャンの間でも論争のある大変難しい質問です。私の見解としてお聞き下さい。いつものように3つ申し上げます。
1番目に、聖書は、死刑制度を否定していません。
十戒の中に、「殺してはならない」 (出エジプト記 20:13)という命令がありますが、これは死刑制度を否定する根拠にはなりません。この場合の「殺す」とは、殺意をもって殺すことで、国家の法体系における死刑制度とは内容が異なります。
創9 :6には、こうあります。「人の血を流す者は、人によって、血を流される。神は人を神のかたちにお造りになったから」 。これは、ノア契約の条項に含まれる命令で、死刑制度を肯定したものです。モーセの律法では、死刑の対象になる罪は殺人だけではありません。誘拐、獣と寝ること、姦通、偽教師なども死刑の対象とされています。
使徒パウロも、地上の権威(支配者)が死刑執行権を持っていることを認めています(ローマ13章)。
2番目に、聖書には死刑が適用されなかった例がいくつかあります。
例えば、ダビデは姦淫と殺人の罪を犯しましたが、神は彼を死刑にせよと命じることなく、恵みをもって対処されました。そこからダビデの悔い改めの歌が生まれたのです。 「神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません」(詩篇51:17)。主イエスも、姦淫の場で捉えられた女を赦されました。 「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません」(ヨハネ8:11)。
3番目に、クリスチャンは、国が死刑制度を正しく運用するように祈るべきです。
聖書は死刑制度を否定していると考えるのは、間違っています。死刑制度は、神が設立した制度であり、その運用は国に委ねられています。と同時に、死刑判決を下す際に、恵みが働く余地があることも覚えましょう。今の時代は、聖書時代よりもはるかに社会状況や人間関係が複雑化しています。それゆえ、情状酌量の余地は大いにあると思います。裁判に携わる人たちの上に、神からの知恵が注がれるように祈りましょう。
「人の血を流す者は、人によって、血を流される。神は人を神のかたちにお造りになったから」 (創9:6)
聖書は、死刑制度を否定していません。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
Who We AreWhat We EelieveWhat We Do
2025 by iamachristian.org,Inc All rights reserved.