「アッシリアの王は銀三百タラントと金三十タラントをユダの王ヒゼキヤに負わせた。それゆえ,ヒゼキヤはエホバの家と王の家の宝物倉に見いだされる銀を全部与えた。」(列王第二18:13~15)
ニネベは、物語の中の架空の都市ではありません。聖書によると、昔アッシリアの首都ニネベにセナケリブという王が住んでいて、ユダとエルサレムを脅かしました。その聖書の記述を裏付ける豊富な考古学的な証拠が存在しています。
考古学上の調査によると、 ニネベの遺跡は、北部イラクのチグリス川沿いの東岸にあります。クユンジクとネビ・ユヌス(「預言者ヨナ」)という二つの塚が,かつての大いなる都市ニネベの跡です。ネビ・ユヌスは、イスラム教の聖地となっているため、エサル・ハドンの宮殿を覆っているこの塚は調査がほとんど行なわれていません。
しかし,クユンジクでは,ニネベの過去の栄華を証しするものが発掘によって数多く明るみに出されてきました。セナケリブの宮殿やその他のアッシリアの王の宮殿の遺跡や、楔形文字の刻まれた幾千点もの書字板が発見されています。
聖書は西暦前732年に起きた,セナケリブ王配下のアッシリア人による侵略の様子をかなり詳しく記録しています。1847年から1851年にかけて英国の考古学者A・H・レイヤードは,ニネベでセナケリブの大宮殿の遺跡を発掘しました。
その宮殿には約70の部屋があり,彫刻の施された石板をはめた3キロ以上に及ぶ城壁のあったことが分かりました。セナケリブの年ごとの出来事に関する報告,すなわち年代記が,粘土の円筒印章やプリズム角柱に書き記されていました。
シカゴ大学のオリエント研究所は,古代ニネベの遺跡の近くで発見されたプリズムに基づく優れた複製品を保管しています。また別の年代記は、テイラー・プリズムとして知られており、大英博物館に保存されています。
シカゴ大学のオリエント研究所に保存されているセナケリブの角柱(プリズム)として知られる碑文の中で,セナケリブは自分がユダに侵攻したことについて次のように豪語しています。
「わたしのくびきに服さなかったユダヤ人ヒゼキヤに関しては,わたしは彼の強固な都市46,すなわち城壁をめぐらした堡塁とその近隣の無数の小さな村を攻囲し,踏み固められた(地の)斜面,(そのようにして城壁の)近くに運ばれた破城槌,(それと共に)歩兵による攻撃,また坑道,破れ目,および土木工兵の作業によって,それらを征服した。わたしは(そこから)老若男女20万150人と,馬,らば,ろば,らくだ,大小の無数の家畜を追い出し,(それらを)戦利品とした。彼[ヒゼキヤ]をわたしはその王都エルサレムに閉じ込めて,かごの中の鳥のようにした。……わたしは彼の国から強奪し,取り去った町をアシュドドの王ミティンティに,エクロンの王パディに,ガザの王スィリベルに(引き)渡した。……
ヒゼキヤ自身は……後に,わたしの堂々たる都ニネベに金30タラント,銀800タラント,宝石,輝安鉱,大玉の赤石,象牙で(象眼した)長いす,象牙で(象眼した)ニメドゥのいす,象の皮,黒檀,ツゲ材(と)あらゆる宝物と共に,彼(自身)の娘たち,そばめ,男女の楽人を送った。貢ぎ物を運び,奴隷として拝するために,彼は(自分自身の)使者を遣わした」。「古代近東テキスト」,288ページ。
セナケリブがヒゼキヤに課したこの貢ぎ物に関し,聖書は次のように記録しています。「ヒゼキヤ王の第十四年に,アッシリアの王セナケリブがユダの防備の施されたすべての都市に攻め上って,これを奪いはじめた。そこでユダの王ヒゼキヤはラキシュのアッシリアの王のところに人をやって,言った,『私は罪をおかしました。私のところから引き返してください。あなたが私に課されるものは何でも負います』。そこで,アッシリアの王は銀三百タラントと金三十タラントをユダの王ヒゼキヤに負わせた。それゆえ,ヒゼキヤはエホバの家と王の家の宝物倉に見いだされる銀を全部与えた。」(列王第二18:13~15)
それで、アッシリアの記録と聖書の記録は、アッシリアの王セナケリブが、ユダの王ヒゼキヤの時に、ユダに攻めてきて、ユダの諸都市を奪い、エルサレムを脅かし、ヒゼキヤが金三十タラントを支払ったという点で、一致しています。(列王第二18:17。歴代第二32:9。イザヤ36:2)
それで、聖書はそれが金30タラントであったことは確証していますが,銀については300タラントとしか述べていません。しかも聖書は,これがセナケリブによるエルサレムの攻囲以前のことであることを示しています。
アッシリアの文書の解読を手伝ったヘンリー・ローリンソン卿は,これらの碑文は「[セナケリブが]歴史的人物であったことを議論の余地のないものとした」と述べています。
しかし、聖書はその後、エホバのみ使いが一夜のうちにアッシリアの兵士18万5,000人を滅ぼし,セナケリブはニネベに逃げ帰らざるをえなかったことを記録しています。(列王第二19:35,36)アッシリアの勝利に関して事実をわい曲したその報告の中で,セナケリブはユダで自分が味わった決定的な敗北については故意に省略しています。ともあれ,セナケリブのプリズムに記されたこの誇らしげな記録は,エホバによって追い返される前に、アッシリアのセナケリブがエルサレムにどれほど脅威を与えていたかを物語っています。
セナケリブが息子たちの手によって暗殺されたことに関する記述もセナケリブの後継者エサル・ハドンの碑文に刻まれており,その暗殺のことはその次の王の碑文でも言及されています。(列王第二 19:37。イザヤ37:37,38)
このように、ニネベとセナケリブに関する考古学的証拠は、聖書の記述が単に物語ではなく、真実の歴史の記録であったことを裏付けています。
テイラープリズム
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