十字架につけられて死んだイエスが、三日目に復活したと聖書は語る。それは、単なる肉体の蘇生ではない、イエスが生涯を賭けて明らかにしようとした事柄が継続されるということだ、と私は何度か繰り返して述べた。そしてこの事は、イエスにおいて起こっただけではなく、彼を信じて生きる私たちの上にも起こることである。
イエスは私たちの初穂として復活した。だから私たちも復活する。彼の事柄は継続される。それと共に、そのことにおいて、私たちの事柄も継続される。神の真実の支配がこの世界の中に来る、神の国は近づいているという彼の福音。最も小さい者たちに向けられた彼の愛。それを信じる私たちの信仰。この信仰においてなされる私たちの日ごとの営み、祈り、それゆえの苦しみや涙。また、それゆえの喜びや微笑み……それらが肉体の死によって全部なくなってしまう、などということがあり得るだろうか?そんなことはない!それらは生き続ける。継続される。
復活を信じるということは、根本においてそういうことである。
このことが信じられるならば、今日の個所の初めに出てくる問い、すなわちどんなふうに、どんな体で復活するのか」(35)という問いには、既に答えがある。
だからパウロは、ごく当然であるといった調子で、こう答えるのである。「愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか。あなたが蒔くものは、……麦であれ他の穀物であれ、ただの種粒です」(36-37)と。ヨハネ福音書の有名な言葉が、この場合、最善の注解になろう。
「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ」(ヨハネ12,24)。蒔かれた種は、種としては崩れて行く。つまり、死ぬのである。だが、種の中にある生命は継続する。萌え出た芽・逞しく育った幹や枝や葉・彩りも美しく咲いた花・見事に実った実、といった全く別の形で継続する。これは、私たちのごく身近の自然界にも見られる生命の法則ではないか。
しかし、パウロがここで考えているのは、単に自然界に見られる現象、生命循環の法則といったものではない。むしろ、生命にはさまざまな「形」、あるいは「リアリテイー」があるということではないか。第一コリント 15,42-44
「朽ちるもの」が「朽ちないもの」に復活し、「卑しいもの」が「輝かしいもの」に復活し、「弱いもの」が「力強いもの」に復活し、「自然の命の体」が「霊の体」に復活する。このように、さまざまな形、いろいろに異なった「リアリテイー」があるのだ、と彼は言った後で、最も重要なものとして「霊の体」を挙げる。
だが、一体「霊の体に復活する」とはどういうことか?
目で見たり手で触ったりすることはできなくても、確かに生きているとしか思われない、そういうことがある。復活後のイエスがそうだ。他にもそういう事はある。 インドの詩人・哲学者タゴールは「おわり」という詩を書いて、死んで行く小さな男の子のことを歌ったことがある。
「ぼくの ゆくときが きました。 おかあさま ぼく ゆきます。 さびしい あけがたの しらんでゆく 闇のなかで あなたが 両手を さしのべて ねどこの なかの ぼうやを さがそうと するとき ぼくはいうでしょう 『ぼうやは そこには いませんよ』――― おかあさま ぼくは ゆきます。 ぼくはひと息のほのかな 風になって あなたを やさしく なでてあげましょう。 おかあさまが みずあびを するときには みずの おもての さざなみになって。」(高良とみ訳)この詩はこれで終わらない。暴風雨の夜には「稲妻と一緒になって窓から入る」とか、眠れない時には「お星さまから歌ってあげます」とか、「月の光になって寝床に忍び込む」とか、「夢になって瞼の小さな隙間から滑り込む」というように続く。
死んだ坊やのことを母親はいつまでも忘れることができない。その子は、色々に容を変えて母親の生涯に付き添う。この思想を、母親の個人的な感傷と言いきれるだろうか。タゴールはそれを人類の普遍的な経験として昇華させ、そこに人生の「リアリテイー」を見たのだ、と私は感じる。それは愛の「リアリテイー」である。
ここで復活について論じたパウロは、同じ手紙の13章で「愛」について書いている。そして、「愛は決して滅びない」と言う。これは、イエスが示された人生の究極の真実である。「霊の体に復活する」というのは、このことだ。神の愛の中にいるとき、そして私たちが互いに愛し合うとき、私たちは死んでも死なない。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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