「善いサマリア人」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します
99・10・17

「善いサマリア人」

村上 伸
レビ記 19,13-18;ルカによる福音書 10,25-37

 

これは有名な話である。それだけに、特にキリスト教世界では、ある通念が付きまとっていて、それが一人歩きをしている場合が多い。例えば、病院に“Good Samaritan”という名が付けられる。その場合、このサマリヤ人の行動は「病人に対する模範的な、心のこもった看護」として称えられているし、福祉活動を行う団体がこの名を付けている場合は、それはあらゆる「慈善行為」の模範として理解されているであろう。だが、今日はもう少し違った角度からこの話を読んでみたい。

 

この話は、ある律法学者の質問から始まっている。

「何をしたら、永遠の生命を受け継ぐことができるか」という問いである。この問いは、真面目な、人生の根本問題である。人はお金を儲けるためにだけ生まれて来るのではないし、事業の成功とか栄達といったことが人生の究極の目標であるわけでもない。神が、他の誰でもなく、すべてを知り給う神が、「お前はよく生きた」と言って下さるかどうか。一生を終わる時、「お前には弱い所もあるし、沢山の失敗や間違いを犯したけれども、善い人生を送ったなあ」と神に言って頂けるかどうか、これが人生の根本問題なのである。

この問いに対してイエスは、「あなたは律法の専門家だから、律法には何と書いてあるか知っているはずだ」という意味を込めて反問する(26)。果たして彼は、と、をもって応える。正確な知識と言うべきであろう。

だが、この律法学者は、「イエスを試そうとして」(25)、つまり、不純な動機をもってこの質問をしたのだ。これによって、真面目な人生の根本問題は既に歪められている。このことは我々を考えさせる。表面的な知識を持つだけでは、或いは口先の言葉だけでは、人生にとって真に大切な問題を台無しにすることがある

それだけではない。この律法学者は、イエスに、「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる」(28)と言われると、「自分を正当化しようとして」(29)開き直り、「では、私の隣人とはだれのことですか」と反問したという。

「私の隣人とはだれのことですか?」

この問いを手がかりとしてイエスは以下のように語った、とルカは書いている。だから、この有名な「善きサマリヤ人」の譬えは、「親切な見知らぬ人」についての独立した物語ではなく、「私の隣人とはだれのことですか?」という問いに答えるために語られたものだ。

さて、ユダヤ教の常識では、「隣人」とは「ユダヤ人同胞」のことである。

レビ記19,13以下には、「隣人」とか、「同胞」、「兄弟」といった言葉が入り交じって現れるが、これらはすべて、ユダヤ人という「同じ民族の仲間」のことを指している。そして、このような考えは、何もユダヤ教に限ったことではない。

人類は長い間、地縁・血縁といった地域的な価値観をほとんど絶対のものとしてきたし、今もそのようなしがらみから解放されていない。どの国の指導者も、自分の国のため・自分の民族のために血を流すことを国民に要求する。この日本でも、無論そうだ。靖国神社国営化論の基本的な動機はそれだし、日の丸・君が代を巡る議論の中でも、このことははっきりと現れた。

昨日の朝日新聞の、「折々のうた」(大岡信)に、沖縄の歌人・平良好児氏の和歌が載っていた。「民族の虐げられし怨念の 断ちがたく今に日の丸を疎む」。あの苛烈な地上戦の最中に、日の丸を掲げた日本軍が沖縄の人々に何をしたか。その怨念が断ち難く、今でも日の丸を好きになれない、という意味であろう。

 

だが、イエスはこの話の中で、地縁・血縁を中心とする価値観をいかにも軽やかに乗り越えている。今から2000年前にこういうことができたとは、驚くべきことだ。彼は、ユダヤ人が決して交際しようとしなかったサマリヤ人をこの話の中に登場させて、その人が地域的な価値観を超えて「隣人になった」(36)と言い、そして律法の専門家に、「行って、あなたも同じようにしなさい」(37)と命じる。

 

同じ土曜日の新聞に、今年度のノーベル平和賞は「国境なき医師団」(MSF)に与えられることに決定した、という記事が載っていた。これは、1971年のビアフラ内戦を機にフランス人医師達が結成した非政府組織(NGO)で、現在、世界の23都市(東京にも)に支部を置き、本部はブリュッセルにある。受賞理由は―――この団体が、戦争や天災など医療が緊急に必要とされる地域に、すぐさまボランテイアの医師や看護婦を派遣し、「犠牲者には専門医療を受ける権利がある」という鉄則に従って、地域や政治状況に関わりなく人道援助につくしている、また、高度の独立性を維持し、紛争解決にも寄与した、というのである。

ノーベル平和賞といっても、時にはいかがわしい決定もあるが、今回の決定は良かったと思う。何よりも、「国境なき」というのがいい。地縁・血縁を中心とする地域的な価値観を後生大事に守っていたのでは、人類に明日はない。核の問題・平和の問題・環境の問題、すべて地球全体という普遍的な価値観によって取り組まなければ決して解決しない。このことに現代人は気づいているはずである。

今日の個所は、21世紀に向かう我々の世界の基本的な価値観を明示したものといって良いだろう。



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