イエスが派遣した72人の弟子たちは、悪が支配しているように見えるこの世界の中にも神の真実の支配が必ず来るという「神の国の福音」をあちこちの町や村で宣べ伝え、その「神の国」の到来の目に見える現われとして病人を癒したが、やがて彼らは喜んで帰って来て、こう報告した。
「主よ、お名前を使うと、悪霊さえも私たちに屈服します」(17)。実際に、自分たちでも悪霊を追い出すことができるということを、彼らは経験したのであろう。思いもかけない「成功」に、彼らはいささか有頂天になったらしい。そこでイエスは、「悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない」(20)とたしなめた。
福音を宣べ伝えるという仕事は、お金を入れてボタンを押せばすぐに品物がポンと出てくる自動販売機のように、簡単に結果が出るようなことではない。ルカにも「種を蒔く人のたとえ」(8,4-8)があるが、イエスはしばしば福音宣教を種を蒔く作業に喩えている。
種を蒔いてからしばらくは、何も見えない。種は地面の下に隠れている。そこには何も起こっていないように見える。しかし、生命のドラマが確実に進行している。やがて小さな芽が出てくる。それは嬉しいことだが、有頂天になるのはまだ早い。それからも、人に踏みつけられたり鳥に食べられたり、色々な事が起こり得る。そのようにして何週間も何か月も経過する内にそれは徐々に成長し、それからやっと実をつけるのである。
その間、農夫は多くの苦労や忍耐を重ねなければならない。だが、「涙と共に種を蒔く者は、喜びをもってそれを刈り取る」と詩人が歌ったように、福音宣教の仕事は大きな喜びをもたらす。72人が「喜んで」帰って来たというのは、本当だろう。
イエスも、余り有頂天になるものではないと弟子たちをたしなめはしたものの、基本的には彼らと喜びを共にした。「イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた」(21)と書いてある通りである。
一体、この喜びの正体は何であろうか。
喜びの理由を弟子たちは、「悪霊さえも屈服した」からだと説明したが、イエスはそれを別の面から次のように補足する。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた」(18)。
この言葉の背景には、先程朗読したイザヤ書 14,12以下があると考えられる。そこで「ああ、お前は天から落ちた」(イザヤ14,12)と言われているのは、長い間権力を振るったバビロンのことである。ユダヤ人の国を滅ぼし、都エルサレムを占領し、人々を捕らえて捕囚としたバビロンも遂に倒れる、というのである。
世界の歴史を見ると、侵略者や独裁者がしばしば一般民衆の上に悪しき権力を振るって彼らを苦しめた。ユダヤ人の場合、アッシリヤ、バビロン、ペルシャ、ギリシャ、ローマ、といった地上の権力が入れ替わり立ち代わり彼らを支配し、そして滅んで行った。
だが聖書は、『平家物語』のように、単に権力の栄枯盛衰について語っているのではない。むしろ、これら世界史的な現象の根底にあるものを深く掘り下げて、悪しき権力が入れ替わり立ち代わり登場して無慈悲な支配をするのを許しているのは、実はサタンであり、悪霊である、と見ているのである。
ドストエーフスキーが『悪霊』という作品の中で展開したのは、そのような世界の見方であった。悪しき権力の支配を、例えばヒトラーであれスターリンであれ、単に彼ら個人の性格から来たものと考えると、問題の本質は見えてこない。ヒトラーが倒され、スターリンが倒された後に、次の悪しき権力者がまたぞろ現れる。それを許すような凶凶しい存在がこの世の背後にあり、問題はそれなのだ、とイエスは見ている。
イエスが、「サタンが…天から落ちるのを見た」(18)と言う時、また、「蛇やさそりを踏みつける」(19)とか、「敵の力に打ち勝つ」(19)と言う時、それは、最も根本的な悪の支配も終わる、ということを意味しているのである。
地上の権力者はいつか倒れ、その後ですぐ、次の権力者がまた登場するだろう。しかし、このような悪の繰り返し自体が、いつか必ず止む時が来る。サタンが天から落ちる!そして、正義と愛に基づく真実の神の支配が来る! これが、イエスの福音なのだ。
イエスはさらに、喜びにあふれてこう言った。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを、知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました」(21)。
「これらのこと」については解釈が分かれるが、私は多くの注解者のように、サタンの支配が終わり、正義と愛に基づく真実の神の支配が来る、ということを指すと考える。これは信仰によってのみ受け入れられる真実である。
律法についての多くの知識を貯えている人、つまり「知恵ある者」・「賢い者」だからといって、この真実に心を開くとは限らない。この真実は、ひたむきに求め、自分を愛してくれる者には全身を預ける幼子のような人にこそ示されるのである。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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