「平和があるように」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します
99・10・3

「平和があるように」

村上 伸
民数記11,24-30;ルカによる福音書 10,1-12

 

72人が派遣されたという。この教会の礼拝出席者はまだ70人には達していないから、この全員よりも多い人数である。前には「12人の派遣」について書かれていたが(9,1以下)、ここへ来て派遣される弟子の数が一挙に増えた。

しかし、これは単に、イエスがこの頃、急に「有名に」なって、「その活動が拡大した」ということではないだろう。

この派遣の目的は、「信者を増やす」とか、「勢力を拡大する」ためではない。「病人を癒し、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい」(9)と言われているように、神の国の宣教である。

貧困や病気や、憎しみや争い。悪の支配はこの世を苦しめているが、神が創られたこの世界は、いつまでもこのような悪の支配に委ねられているのではない。それは必ず終わる。そして、神の真実の支配が来る!そのことを語り続けることが自分に与えられた一生の使命である、とイエスは信じていた。→ルカ 4,18-19

だから、イエスが病人を癒す時、それは単なる「医療行為」とか「福祉活動」といったものではなく、「神の真実の支配が近づいている」という福音の、目に見える現われなのである。→ルカ 11,20

この福音宣教の仕事は、できるだけ多くの人によって広く展開されなければならない。「収穫は多いが、働き手が少ない」(2)。だから、彼は弟子たちを派遣する。先に12人を派遣したように、今、72人を派遣する。その目的は、前にも述べたように、単に「信者を増やす」とか、「勢力を拡大する」とかいうことではなく、「神の真実の支配が近づいている」という福音を宣教し、その具体的な現われとして「病人を癒す」ためである。我々の教会も、正にこの目的のためにこの世に派遣されているのである。

 

さて、この派遣は困難を伴う。「狼の群れに小羊を…」(3)。これは、「人を見たら泥棒と思え」というような、他人をすべて悪者と見なす発想から出てきた言葉では決してない。異民族に囲まれたユダヤ民族の状況を反映した黙示文学的な言い方をそのまま採用したに過ぎない。「それ程簡単なことではない」、という位の意味に取りたい。その上で、いくつかの実践的な指示が与えられる。

先ず、「財布も袋も履き物も持って行くな」(4)という。これは、「あなたがたが今から行って福音を語るべき相手は、貧しい人々である、その人々と同じような立場に立ちなさい」、ということであろう。この言葉を文字どおり実践した人がいる(アッシジのフランチェスコ)。厳密にフランチェスコと同じ仕方で生きなくてもいいが、少なくとも教会の姿勢として、ここには聞くべきものがある。

あるアメリカの宣教師が日本の農村に入った時、道端で村人に会うと、必ず地面にしゃがんで話をしたという。背の高い外国人が上から見下ろして話すと、威圧感を与えるからである。イエスに従う教会は、威圧的であってはならない。

次に、「途中でだれにも挨拶するな」(4)と言われている。中近東では、普通、挨拶は長い「世間話」を伴うものだそうだ。「挨拶するな」というのは、前の言葉と少し矛盾するように感じられるかもしれないが、要するに、「余計なことは言わず、単刀直入に語るべき言葉を語れ」ということであろう。そして、語るべき言葉とは、「この家に平和があるように」(5)である。

 平和(シャローム)。それは、神と人との間に真にあるべき関係があり、従って人間同士の間にも安らかな、喜ばしい関係が成り立っていることを言う。それが「救い」なのだ。徴税人ザアカイがイエスに優しくされて自らの生き方を根本的に変えた時、イエスは「今日、救いがこの家を訪れた」(ルカ 19,8)と言ったが、これこそ「平和」なのだ。その「平和」を祈り求めることが、派遣された弟子たちの、そして我々の教会の中心的な務めなのである。

次に、注目すべき言葉がある。「出されるものを食べ…」(7;8)。想像だが、弟子たちが出会った人々の中にはユダヤ人でない人々もいたであろう。そして彼らが出す食べ物の中には、レビ記の清潔規定では「汚れたもの」とされている、例えば豚肉などもあったかもしれない。でも、出されたものは何でも拒否しないで食べなさい。―――これは、ユダヤの狭い民族宗教の枠を超える生き方だ。

「その家に泊まれ…家から家へと渡り歩くな」(7-8)とも言われている。ある注解書によると、これは「より良い歓迎を期待して家々を渡り歩かず、一つの家に留まって、供されるものに満足せよ」という意味だ、という。俄かに生臭い感じがするが、72人もいれば、中にはこのように多少図々しい人もいたかもしれない。そのことを見据えて、イエスは行き届いた忠告を与えているのであろう。

 

後は省略する。

弟子たちに、従って我々の教会にも与えられている中心的な使命は、「神の真実の支配が近づいている」という福音を宣教し、その具体的な現われとして「病人を癒す」、つまり、苦しんでいる人々の求めに応じることであり、すべての家に「平和」を祈り求めることである。

このことを心に刻みながら、今、共に主の聖餐に与りたい。



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