「人の子が来る」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

今日のところで、イエスは世の「終末」について語り、終末に先立って先ず自然界にさまざまな形で予兆が現われる、と述べている。「太陽と月と星に徴が現われる。…海がどよめき荒れ狂う」(25)。そのために、「諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう」(25後半~26)。

これは、待降節という喜ばしい季節の説教テキストとしては、いささか「不吉」過ぎてそぐわないように感じられる。どうしてこのような箇所が選ばれたのか。

これには理由がないわけではないだろう。待降節のことを「アドヴェント」というが、これはもともと「到来する」(advenio)というラテン語から来ている。メシア(救世主)がこの世に到来する、という意味である。そして、「メシアの到来」は、単に「おめでたい」だけのことではなく、喜びと恐れの両面を持つ。今日のテキストにはこの両面がよく現われているので、適当と考えられたのであろう。

福音書を読むと、多くの人がイエスと出会うことによって慰めを受け、深い喜びを味わったことを知らされる。だが同時に、イエスは単に甘い喜びだけではなく、人をこの上なく真剣にさせ、恐れの心をも呼び起こした。およそ真実というものは、そういうものである。ヨーハン・フランクの讃美歌が「わが喜びなるイエス」と言いつつ、「世の嵐もなにかあらん、地は裂けるとも主は共にあらん、罪の力われに迫るとも恐れあらじ」(讃美歌第二編93番)と歌っているのもその一例である。

メシアの到来によって神の真実の支配が確立され、この世のもろもろの悩ましい問題は最終的に解決される。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」(ヨハネ黙示録 21,3-4)。だから、そこには真の喜びがある。度々言うように、終末論とは「希望の教説」なのだ。

だが同時に、メシア到来は「苦難」を前兆としてもたらす。「エゼキエル書」や「ダニエル書」の黙示文学的な思想は福音書や「ヨハネ黙示録」にも受け継がれているが、それらの文書では例外なく苦難が予告されている。マルコ福音書13章によると、「戦争の騒ぎや戦争のうわさ」(13,7)があり、「地震や飢饉が起こる」(8)。迫害もある。「神が天地を造られた創造の初めから今までなく、今後も決してないほどの苦難が来る」(19)。その後で初めて人の子が来るのである。終末には苦難と喜びの両面があるということを、我々は見逃してはならない。

さて、我々はここで27節の「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る」という言葉に注目したい。ここには、先ほど読んだダニエル書7,13の影響がある。

ダニエル書は紀元前160年代に書かれた。その頃、シリヤの皇帝アンテイオコス四世によってユダヤ人は激しい迫害を受けていた。それに対する抵抗運動として「マカバイ戦争」が起こるのだが、その頃のことである。この民族は、紀元前8世紀にはアッシリヤ、6世紀にはバビロン、続いてペルシャといった世界帝国の苛酷な支配を相次いで受け、この時はアンテイオコス四世に抑圧されていた。

この情況の中で、ある夜、ダニエルは支配者たちの夢を見る。彼らは四頭の大きな獣の姿で現われる(7,3以下)。最初の獅子はバビロンを、第二の熊はメデイアを、第三の豹はペルシャを意味すると考えられているが、最後に「ものすごく、恐ろしく、非常に強く、巨大な鉄の歯を持ち、食らい、かみ砕き、残りを足で踏みにじった。…尊大なことを語っていた」(7)獣が見えた。むろん、アンテイオコス四世のことだ。現代にも、これとそっくりの権力者がいるのではないか。

だが、これらの「恐ろしい獣」がどれほど強力であっても、やがてその「権力は奪われる」(12)のをダニエルは見た。恐ろしい獣の暴力による支配は終わる。そして、「人の子」が来る。私はこの対照に感動せざるを得ない。

獅子のようで鷲の翼が生えている獣。熊のように横ざまに寝て多くの肉を食らう獣。豹のようで、しかも鳥の翼を四つ持ち、権力を独占している獣。そして、物凄く、恐ろしく、非常に強く、巨大な鉄の歯を持ち、食らい、かみ砕き、残りを足で踏みにじり、尊大なことを語る獣。昔から現代に至るまで、少数の例外を除き、権力を握った者たちは常にそのようであった。

だが、「獣の支配」は必ず終わる。ヒトラー、日本の軍部、スターリン、フランコ、ホーネッカー、チャウシェスクなどの例を見るがいい。これからもそうだ。どの国であれ、およそ獣の支配は必ず終わる。そして、人の子の支配が来る!

私は感動する。強大な権力や軍事力を示す獣のような形容詞は一切なく、ただ「人の子」という。「人の子」は確かに「大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来る」(27)が、その「力」は人を殺す力ではなく、本来の人間として生かす力であり、「栄光」とは軍服の胸一面にぶら下げた勲章のような虚飾ではなく、貧しい飼い葉桶の中に寝かされている柔和なイエスの上に輝く栄光である。

「身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近い!」(28)と福音書記者は言う。この神の言葉は「決して滅びない」(33)とも。

待降節の真の喜びは、この約束を信じる希望の中にこそあるのである。

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