マナを食べて生きる

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「マナを食べて生きる」

秋葉 正二
; ヨハネによる福音書12,20-26

  申命記は荒れ野の40年の過酷な旅のリーダーであったモーセの説教という形式を採っています。  イスラエルの民に向かって律法の説き明かしをしたと冒頭に書いてあります。   そこでは「あなたたち」 と呼びかけて、戒めを守ることは神と共に生きることですよ、と諭しています。  「あなたたち」は文字通り解釈すれば、荒れ野の旅を共にしたイスラエル人ということになりますが、申命記の編集者は編集の狙いとして、モーセの言葉を聞く者すべてに対象を広げています。

 ですから私たちも今モーセから呼びかけられているというつもりで、み言に耳を傾けることが可能です。  3節には、イエスさまが荒れ野の誘惑の場面で、サタンに応える際に引用された有名な言葉があります。  曰く、『人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる』。  この言葉のすぐ前に、40年の荒れ野での出来事が語られます。  荒れ野では神さま自らがイスラエルの民を苦しめ、飢えさせ、マナを食べさせられたというのです。  この文脈で理解すると、荒れ野の40年のひもじい体験は神さまの試練であったことになります。  申命記が成立したのはもっとずっと後のことですから、編集者の意図は、歴史を辿ることにより、苦しみと飢えの中でイスラエルの民を訓練した意味を考えてみなさい、ということになるでしょう。  イエスさまがこの言葉を引用された意図は、申命記の文脈とは違っていたと思われますが、そこで具体的に提示されるものが「マナ」即ち「天からのパン」であったことは共通しています。

 「人はパンだけで生きるのではなく」 という言い方からは、つい口から食べるパンに対照させて、精神的な意味の神の言葉を連想しがちですが、「言葉」とあるのは翻訳で補った表現で、原文に忠実に訳すなら、「ヤーウェの口から出るものすべて」となります。  ですからパンと言葉というふうに対立概念で理解しない方がよいと思います。  「ヤーウェの口から出るものすべて」ですから、その中にパンも当然含まれているでしょう。  ということで、まずイスラエルの民が荒れ野でひもじい思いをしたことについて考えてみます。  今の私たちには 「飢える」 ということは実感をもって受けとめにくくなっています。  たとえばアフリカの政情不安を抱える国々で飢えている人たちが大勢いるとニュースで聞いたとしても、多くの日本人は実感をもって理解しているとは言い難いでしょう。  もし受けとめておられる方がいらっしゃるとすれば、それは戦後の荒廃した時代を生き抜いてきた飢えを体験した世代かも知れません。  私などは戦後すぐの生まれですが、幼い頃の、朝鮮戦争の前後の時代の様子をかすかに覚えているに過ぎません。  それでも昭和ということで言いますと、30年くらいまではあまり豊かではなかった状況があったことを思い出すことができます。  私は横浜の鶴見の生まれですが、小学校入学前、森永製菓の工場が宣伝のためにヘリコプターを飛ばして、小さなパラシユートで森永キャラメルをばらまいてくれたのを夢中になって追いかけた記憶があります。  当時キャラメルは子供たちにとって、まだまだ貴重な甘みでした。  ハーシーのチョコレートとくれば子供にとっては大変なご馳走だった時代です。  ですからパンの問題というのは体験を通してしか分かりにくいことと言えます。  とにかく、戦後の日本は経済復興が成功したお陰で、豊かな社会を私たちは既に経験しました。  私たちの中では、パンがなければ生きられない、パンを確保することこそ先決であるという状況設定そのものをイメージすることが難しくなっています。  こうした現実を私たちの日常にあてはめるならば、十分に食べられる環境の中で飢餓の時代の神さまの試練と戒めを受けとめなければならない、ということになります。  別な表現をすれば、豊かな生活の中で満腹した時、そもそも人の命を養うものが何なのかが問題になるということです。   

 そこで、きょうのテキストのすぐ後の12節にある状況こそが私たちの現実に近いということになるでしょう。  そこにはこうあります。  『食べて満足し、立派な家を建てて住み、牛や羊が殖え、銀や金がまし、財産が豊かになって、心おごり、あなたの神主を忘れることのないようにしなさい。』  ……  そのためには、人間の命の危機とは何であるのかがまず分からなければなりません。  飢餓状態の中でも、人間の命を養う真の支えがパンだけでないことは「人はパンだけで生きるのではなく」という表現からも何となく分かります。  ここで、私たちにとって問題になるのは、豊かな社会の中でも命を与え、養ってくださっている主なる神さまに心から感謝できているだろうか、ということでしょう。  同時にそれは、パンさえあれば人間も社会も幸福になれるという考え方の限界をも示しています。  もちろん豊かに食べる物があるということ自体に問題があることに気づきます。  日本の場合を考えれば、総合食糧自給率はとっくに50%を切っていますし、小麦や大豆ともなるともう自給率は一割という有様です。  TPP交渉がしのぎを削るものになるのは避けようがありません。  即席食品は大手を振って販売されていますし、化学物質や農薬混入の問題も深刻ですから、食生活全体が貧しくなっていると言わざるを得ません。  だいいち、世界にはまだまだ飢餓の世界が存在していますし、日本を含めた先進国と呼ばれる北半球の国々が世界の3/4の食糧を消費してしまう人類にとって不公平な現実があります。  私たちはモーセの戒めの言葉から、こうした現代的な課題をも考える責任があるように思います。  

 要するに、パンの問題はきれいごとでは済まされないということでもあります。  きょうテキストとして一緒に読んで頂いた新約聖書箇所はヨハネ福音書12章20-26節ですが、ここに描かれているのは、異邦人であるギリシャ人がエルサレムの祭に上って来て、フィリポを介してイエスさまに会いに来た場面です。  弟子からその旨を聞かれたイエスさまは受難を意識されつつ、一粒の麦の譬えを語られています。  一粒の麦の話は、イエスさまの働きについての譬えですが、イエスさまこう言われています。  『わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。』  イエスさまの招きは、私たち人間の側の状態には左右されません。  私たちはすぐに資格とか条件とかを問題にしがちですが、イエスさまはそこに人間の慢心を見ておられると思います。

 パンの問題、主の口から出るすべての言葉によって生きざるを得ない人間の問題は、イエスさまのそうした指摘に行き着くのではないでしょうか。  パンを含めた主の口から出るすべてのものによって私たちは生かされていることに今さらながら思い至ります。  モーセがその昔荒れ野で苦労し、イスラエルの民がその歴史において試練を受けたことが、現代の私たちにも形を変えて、神さまからの呼びかけの言葉として届けられていることを感じます。  私たちも私たちの国も、孤立や閉鎖性の中に独善性を主張するのではなく、マイノリティーのイスラエル民族からイエス・キリストが生まれ出たように、自らが豊かになることだけではなく、他の国々、特に貧しいマイノリティーの国々の立場を常に考えていけるような歩み方をしたいものです。  地球は狭くなりました。  世界の国々や民族はこれから先、共生・共存して行かなければなりません。  キリスト者とは、特にそのことをいつも意識しつつ、生きていかなければならないと思います。  昔のキリスト者が受難節に断食をしたことに大きな意味があったことが分かります。  この受難節の歩みの中、断食をするところまで行かなくても、そうした精神だけは大切にしたいものです。  私たちは毎週声を揃えて「主の祈り」を捧げます。  「主の祈り」はイエスさまがこのように祈りなさいと教え残してくださった祈りですが、その中で、「日用の糧をきょうも与え給え」と祈る一節があります。  これはきょうもパンを与えてください、と願っているのですが、その前にちゃんと「み国を来らせ給え」とも祈ります。  パンを与えられることと、神の国が来ることが別々にではなく、ちゃんとつながって祈られていることに気づきます。  「パン」と「主の口から出るものすべて」は切り離せません。  再来週はもう「棕櫚主日」です。  心して受難の歩みを続けて行きたいと願うものです。

 

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