ここには三人の人物が登場する。弟子志願者と言ってよいであろう。
最初の人は、マタイ8,19によると、律法学者であったらしい。彼は、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」(57)と申し出た。恐らく彼は、イエスの力ある言葉に感銘を受けて、優れたラビに弟子入りするような気持ちでこう言ったのであろう。
これに対してイエスは、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」(58)と答えた。「イエスに従って生きるということは、ラビに弟子入りするのとはわけが違う」、という意味が言外に込められている。
通常、ラビに弟子入りするのは知識を習得するためだ。優れたラビは律法についての膨大な知識を所有しており、どこにどういう言葉があるか、掌を指すようにすべて暗んじている。難解な個所があれば、それを正しく解釈するすべも心得ている。弟子はそのような知識を先生から学び、それを自分の物にしたい。そのためには、どこへでもついて行く。律法学者はそう言ったのだ。
だが、イエスにとって問題は、単に知識の習得ということではない。大抵の律法学者は、マタイ23章で彼が痛烈に批判しているように、知識はあっても生き方がなっていない。「論語読みの論語知らず」だ。そのような「律法知らず」がいくら増えても、神の国の到来には何の関係もない。律法の根本精神、つまり「愛」を実践し、「愛」を生きるということがなければ、何にもならない。
だが、愛に生きるということは、場合によっては世間から捨てられることも覚悟することである。「何よりも自分が大事だ」という姿勢では、他者を真に愛することはできない。イエスはそのことをはっきりと見据えていた。自分はこれからエルサレムへ上っていくが、そこで自分を待ち受けているのは、過酷な運命である。「人の子には枕する所もない」、つまり安住する所もないような生活が続き、そして遂には命を奪われるであろう。それでもあなたはついて来ると言うのか?
次の二人は、「私に従いなさい」(59)と言われた時、従うことは従いますが、「その前にやるべきことがある」と言って、若干の猶予を求めた。一人は「父の葬り」、もう一人は「家族とのいとまごい」である。これに対してイエスは、いずれも厳しい拒否をもって応えた(60節、62節)。
厳し過ぎる、とお考えだろうか。
「父の葬り」をすることは大切なことだ。殊にユダヤ教徒にとっては、父親の葬儀を丁重に行うことは、父系社会の信仰生活の中心とも言うべきことであって、そのためには安息日の制限規定がすべて免除されたくらいだ。それなのにイエスは冷たく、「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい」(60)と言う。
「先ず家族にいとまごいに行かせて下さい」(61)と言った人に対しても同じだ。「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は…」(62)というのは、突き放すような言い方である。エリヤがエリシャを弟子にした時は、家族とのいとまごいを許している。どうしてイエスはこのように厳しいのか。この厳しさは何を意味するのだろうか。
鍵は、「神の国を言い広める」(60)という言葉にあるだろう。
イエスが「神の国の福音を告げ知らせる」ことを自らの使命と考えていたことは、これまでにも度々述べた。それをもう少し具体的に言うと、ルカ 4,16-21にあるように、貧しい人・獄に捕らわれている人・障害を負う人・迫害されている人が解放されるという約束であり、解放されねばならないという宣言であった。ルカ 6,20-26に書いてあることも、同じである。
「神の国、つまり、神の真実の支配が来る」という福音は、狭い意味での家族の絆や、民族の絆を超えて普遍的に、すべての人間が解放されるという福音なのである!
神の愛が全人類に及ぶためには、自分の家族とか、自分の民族といった狭い絆を越える厳しさが必要なのである。
最近、『日本基督教団史資料集』を読む機会があった。特にその第二編は、戦時下の教団がしたことを第一次資料によって明らかにしている。それを読むのは辛いくらいだが、自分たちが属するこの教団の過去、殊にその「負の部分」を知ることは、過ちを繰り返さないためにも必要である。
戦時下の教団の一番大きな過ちは、本来全人類の解放という広い視野を持っていたはずの「神の国の福音」を、日本にしか通用しない「現人神天皇」のイデオロギーという、極端に狭い枠の中に押し込めたことにある、と思う。
1942年10月に教団統理の名によって出された「戦時布教指針」は、そのことの恥ずべき実例だ。
「大東亜戦争は、その目的は高遠で規模の雄大なことは、世界史上類を見ない。天皇の威勢によって、忠義で勇ましいわが将兵は勇ましく戦い、奮闘して、向かう所敵なく、素晴らしい戦果を挙げている。…しかし、道はまだ遠い。いよいよ必勝の信念を持って…聖戦の目的を完遂しなければならぬ…」。このような調子は敗戦まで続くのである。
このような過ちを繰り返してはならない。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
Who We AreWhat We EelieveWhat We Do
2025 by iamachristian.org,Inc All rights reserved.