ルカによる福音書の主な資料の一つは、マルコによる福音書である。しかし、今日の所から後、19章ぐらいまではそれ以外の資料によっているから、マルコ福音書の連続講解説教をした時には目に触れなかった話が多い。それを順次取り上げていきたい。
51節.
イエスはここで、意識的に一つの旅を始める。目標はエルサレムである。
何故エルサレムかということは、この段階ではまだかすかに暗示されているだけだ。旅が進むにつれて明らかになるであろう。しかし、皆さんには既にお分かりであろう。十字架に付けられるためである。この旅は、受難の旅だ。
「エルサレムに向かう決意」と言われているのは、そのためだ。13,33にはもっと明確に、
「わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ」と言われている。
人生には、このような旅がある。
行く先に待ち受けているのは自分の苦しみであるということが分かっていても、敢えてその道を進まなければならない。その覚悟ができて目標が明確に定まった時、その人の表情は変わる。顔は引き締まり、視線は定まり、背筋はしゃんと伸びる。イエスはこの時、そのようだったのではないか。
ボンヘッファーはナチスの暴虐な支配に対して抵抗した神学者であるが、抵抗を続けるうちに次第に活動の場を奪われ、ゲシュタポの厳しい追求が身に迫る中で、1939年6月、彼の才能を惜しんだアメリカの友人たちの招きを一旦受け入れてニューヨークに渡ったことがある。ポストも用意されていた。そのまま留まれば、迫害も戦争もない平和な世界で自由に神学を研究することができたであろう。しかし、彼のアメリカ滞在は、僅か一ヶ月しか続かなかった。故国ドイツの状況、そこで依然として苦しんでいる多くの人々のことを思って、居たたまれなくなったのである。
1939年7月13日の日記に、彼はこう記した。
「私がアメリカに来たのは間違いだった。私は、私たちの国の歴史の困難な時期を、ドイツのキリスト者たちと共に生きなければならない。もし私がこの時代の試練を同胞と分かち合うことをしなければ、戦後のドイツにおけるキリスト教的生活の再建に与る権利を持たないことになるだろう…」。
彼がこの日記を書いた部屋はニューヨークのユニオン神学校の中にあり、「ボンヘッファー・ルーム」と名づけられている。壁には、「この部屋でボンヘッファーは帰国の決断をした」と刻んだ銅板がかけてある。その時、彼の表情は、エルサレムに向かう決意を固めたイエスと同じように、引き締まっていたのではないだろうか。
さて、今日のテキストに戻る。
先発した使いがサマリヤ人の村に入ると、村人がイエスを歓迎していないことが分かった、という。ここで先ず「サマリヤ人」について説明して置く必要がある。
紀元前721年に、アッシリヤの王サルゴン2世がサマリヤ(北王国イスラエル)を滅ぼした後、アッシリヤ各地から集められた人々が移住してきた。この中で、元々ユダヤ教の信仰を持っていたサマリヤの人々は次第に支配者の宗教に引き入れられ、遂にはユダヤ教と混ぜ合わされた怪しげな信仰を持つようになった。この故に、ユダヤ人はサマリヤ人を正統的な信仰から離れたと非難し、交わりを絶った。「ユダヤ人はサマリヤ人と交際しない」(ヨハネ4,9)と言われるのはこのためである。
だが、ガリラヤからエルサレムを目指す場合、サマリヤを通らないわけには行かない。エルサレムを目指していなくても、村人の敵意は当初から予測できただろうが、イエスはそんな小さなことを問題にしない。エルサレムに行くということは、人々の拒絶に遭って殺されるということである。そのことを覚悟して、いわば自己を否定されるという逆説的な目標を目指して毅然として歩み続けるイエスにとっては、サマリヤ人に冷たくされる位、何でもなかった。
だが、弟子たちは憤慨した。ヤコブとヨハネは、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」(54)と言った。正統的な立場を自負する者は、正統的ではないと言われる者たちに対してしばしばこのような態度をとる。だが、イエスはこういう言い方は決してしなかった。
弟子たちはここで、旧約聖書の預言者エリヤの故事を思い起こしていたのであろう(列王記下 1,9以下)。だが、イエスはあらゆる点で旧約の預言者たちを超えている。何よりも、イエスは憎まない。報復しない。殺さない。むしろ、愛し、赦し、生かす。そして、人々の間に真の平和をもたらすためには、自分の命を捨てることさえ厭わない。そのためにエルサレムに行くというのに、弟子たちはそのことを全く理解していない。
イエスにとって、誰が正統で誰が異端か、ということは問題ではなかった。出会う一人一人の人間を、まさしく神によって命を与えられている人間として愛することが問題であった。そのためには自らを捨てても良い。エルサレムでそのことが起こる。この目標に向かって彼は進むのである。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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