「今の時代の者たちはよこしまだ」(29節)とイエスは言う。
イエスの口を借りて、ルカはその時代に対する批判を語る。イエスを受け入れることができない今の時代、彼の説教を聞いても悔い改めようとしない今の時代、それだけではなく最後にはイエスを十字架につけて抹殺してしまう今の時代に対する批判である。
今日の個所は余り短いために意味がはっきりしないが、参考のために7章31節以下などを読むと、良く分かる。これは、どうしてもイエスを受け入れようとしなかったファリサイ派や律法の専門家たちに対する批判と関係しているのである。さて、7章には、
「洗礼者ヨハネが来て、パンも食べずぶどう酒も飲まないと、あなたがたは、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子(=イエス)が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う」(7,33-34)とある。
ファリサイ派や律法の専門家たちは、「飲食」という表面的な振る舞いを捉えてヨハネやイエスの悪口を言う。ヨハネは荒れ野に住み、禁欲的な生活をし、ラクダの皮を着て蝗と野蜜を食べていた。普通の飲食ではない。すると、「あれは悪霊に取りつかれている」、つまり、「過激な理想主義、ないしは危険な原理主義だ」と決め付けられた。他方イエスが、道徳的にはいかがわしいと見られていた連中と普通に食べたり飲んだりすると、「見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ」と、その「不道徳性」を攻撃する。
良く考えてみると、この二つの言い方は互いに矛盾していて、「八つ当たり」であることはすぐ分かるのだが、そんなことはどうでもいい。彼らは、自分たちこそ正義の代表だと信じていたから、自分たちの立場を少しでも批判するような人が現われると、必死になって彼らを排除しようとする。論理の矛盾があっても気にしない。
だが一体、彼らは何故ヨハネやイエスを排除しようとしたのだろうか。
ヨハネは、「悔い改めに相応しい実を結べ」(ルカ 3,8)と説教した。しかも、その説教は具体的な内容を持っていた(11節以下)。真実な言葉である!
一方イエスは、預言者イザヤの言葉の中に自分の使命を見出した(ルカ 4,16-21)。貧しい人・ゆえなく権力によって捕らわれている囚人・ハンデキャップを負っている人々に神の国の福音を告げる!何と言う真実な言葉だろう。
ヨハネもイエスもともに、律法の条文だけに固執せず、その根本精神を生かそうとした。そのために権力に楯ついたり、時には律法の条文を破ることさえ敢えてした。そのために、ヨハネはヘロデ王の宴会の席でまるで座興のようにして首を切られ、イエスは罪人のように十字架上で殺害された。それが今の時代というものだ、とルカは言うのである。「よこしま」というのはそういうことだ。
また、今の時代は、イエスの権威が天からのものだという目に見える「しるし」を求めようとする(11章16節)。目に見える「しるし」を求めるということは、「それを判定するのは自分たちだ」という主張を含んでいる。これは傲慢だ。
これと正反対なのが、「言葉を聞く」という姿勢だろう。聖書では、神が繰り返し人間に向かってご自分の言葉を語られる。神が言葉を語る。我々はそれを先ずじっくり聞く。そして、それに従う。この人格的な応答関係が聖書の中心にある。「見る」関係ではなく、「聞く」関係。「見る」関係、つまり、「善悪を判断するのは自分だ」という考え方が支配的になると、それは「よこしま」な関係になる。「見ずして信ずる者は幸いだ」と言われるのは、そのためだ。
だからルカは言う。
「しるし」というならば、「ヨナのしるし」のほかにはない。ヨナ書は紀元前300年頃に書かれたと思われるが、主人公のヨナは伝説的な人物で、チグリス河畔の大きな都ニネベの住民に対して神の審判と滅亡を預言せよと命じられ、それを避けて逃げる途中で鯨に飲み込まれ、三日間その腹の中にいたとされる。だが、所詮逃げ切れないと諦めたヨナは主の命令どおりに説教する。その顛末が、さっき読んだヨナ書3章だ。ニネベの住民はヨナの説教を聞いて悔い改めた。
「しるし」というなら、このことこそがそれなのだ。それなのに、「ヨナにまさるもの」(32)、つまりイエスがここにいて語っているのに、今の時代は一向にそれを聞いて悔い改めようとしない。よこしまな時代である!
ルカはここで、旧約聖書の故事をもう一つ引き合いに出している。「南の国の女王」(31)がそれだ。列王記上 10章に(546頁以下)出て来るシェバの女王のことである(西南アラビアの通商国の女王?)。しかしルカは、ソロモンの栄華のことや、シェバの女王が持ってきた莫大な贈り物などについては一切語らず、ただ「ソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来た」(31節)と言い、続けて「ヨナにまさるもの」と同じ意味で、「ここに、ソロモンにまさるものがある」と言う。そのイエスがここにいて語っているのに、今の時代は一向にそれを聞いて悔い改めようとしない。よこしまな時代である!
翻って現代のことを考える。現代はいかなる時代か?
ヨハネやイエスのような人物が真実な言葉を語り、それらの言葉は聖書によって現代にいたるまで伝えられているのに、それを聞いて悔い改めようとはしない。歴史から学んで悔い改めようとしない。そういう時代ではないか。この中で、教会の果たすべき使命は大きいと言わねばならない。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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