現代では「遺産争い」がもつれた時、最後には法廷に持ち出される。しかし、イエスの時代、それはラビ(律法の教師)によって調停されるのが普通であった。だから、人々はこの問題をイエスの前に持ち出したのである。だが、イエスはこの「遺産争い」の調停をにべもなく断り、問題をもう少し深い次元で考えるように要求した。
つまり、遺産の分配をどうするかという「所有」の問題から、貪欲を避けるという「生き方」の問題へと人々の視線を向け変えたのである。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい」(15)。
貪欲は、あらゆる悪の根元である。古来、優れた宗教者や思想家は、例外なくこのことに気づいていた。十戒も、最後は「貪るな」という戒めで締めくくっている。イエスがこの思想を継承していることに疑いの余地はない。
アメリカの社会心理学者エーリッヒ・フロムは,”To Have or To Be?“(1976年.邦訳は「生きるということ」1977年)という名著の中で、現代という時代を次のように分析している。
――産業が高度に発達し、科学技術も進歩して、人間は遂に核エネルギーを使うこともできるようになり、脳の代わりにコンピュータを使いこなすようにもなった。技術が自分たちを全知全能にしたと人々は信じた。生産は限りなく増大するかのように、人間が自由にできる可能性はどんどん広がっているかのように、かくして人間には無制限な幸福が約束されているかのように、人々は思いこんだ。だが、これは幻想であった。「大いなる約束」は挫折した。限りない生産・絶対的な自由・無制限な幸福という幻想は破れた。今や現代社会は、深刻な危機に直面している。個人の自由は失われて官僚制やマスコミの思うが侭に操作され、貧富の差は広がり、地球そのものが果たして21世紀に持ちこたえるかといわれる程の生態学的な危機の中にあり、核戦争の危機も存在する(70年代は、この脅威は現実のものであった)。
フロムはこのように分析した後で、「何故、あの大いなる約束は挫折したのか?」と問う。そして彼は、これは、我々が「持つこと」(to have)に心を奪われた結果である、と言う。貪欲に「持つこと」を追求し、そのための競争を正当化し、なりふり構わずに所有を増やすことに奔走した結果が現代社会の矛盾だ、と言うのである。
彼は言う。「持つこと」を貪欲に追求するよりも、今こそ「自分の在り方」(To be)を真剣に反省すべき時に来ているのではないか。「歴史上初めて、人間の肉体的生存が人間の心のラデイカルな変革にかかっている」!
このように述べてフロムは、優れた先人たちの知恵に学ぼうとする。仏陀を初め東洋の思想家たち・ユダヤの預言者たち・マイスター=エックハルト、或いはカール・マルクスやフロイトなど。そして、その中心に立つイエスに注目する。
「持つこと」は、我々の生活にとって、確かにある程度必要である。イエスも「主の祈り」の中で、「我らの日用の糧を今日も与え給え」と祈ることを教えた。だが、天から降ったマナを欲張って拾い集めた分は腐ってしまったように、必要以上に所有を増やそうとする貪欲は、決して真の幸福への道ではない。コヘレトの言葉 5,9-11
栃木県のある産業廃棄物処理業者が、何千トンという医療廃棄物を古紙と偽ってフィリッピンに「輸出」しようとした、という事件が報道された。先週、その大量のゴミが日本に帰って来た。すべて、税金の負担である。
これは、「業者が悪い」と言って済ませられるような問題ではない。現代という時代を象徴している。無限に物を生産し、際限もなく人に消費させ、そしてどんどん捨てさせる。「持つこと」を貪欲に追求する現代社会は、終いにはゴミに埋まって、その耐え難い悪臭の中で窒息してしまうのではないか。
貪欲に「持つこと」を追求しても、決して真の幸福には到達できない。これは真理である。
イエスの今日の譬話は、この真理を少し違った視点から明確に示している。
「これから先何年も生きていくだけの蓄えができた」と言って安心しているその本人に対して、神は、「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる」(20節)と言う。
我々の命は、自分の思う通りには行かない。命は、神から「与えられた」ものだ。ある時、命は我々に与えられるが、神の定め給う時が来ると、再び神によって取り去られる。自分で長くも短くもすることができない命。その限られた時の間に自分だけの所有物を増やしたからとて、それが何になろうか。「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ」(21節)。
では、「神の前に豊かになる」とは、どういうことか?
それは、「神は愛である」という点から明らかになろう。神は、その独り子をお与えになる程に、この世を愛された。そして、その独り子(イエス)は、すべての律法の中心は「心をつくして神を愛すること」と、「自分のように隣人を愛すること」の二つに尽きると言い、我々に「互いに愛し合う」ことを教えられた。このイエスに従って愛の中に生きること以外に、「神の前に豊かになる」道があろうか。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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