万事が益となるように

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万事が益となるように

村上 伸
エレミヤ書31,31-34;

教会暦によると、5月1日(木)はキリストの昇天日であった。使徒言行録1章9節に、イエスは彼ら(弟子たち)が見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなったとあるのがそれだ。先週の説教の中で廣石先生も触れておられたように、それ以後はイエスの姿を目で見るということはなくなる。主イエスは、もっぱら聖霊というかたちで信徒たちに関わることになるのである。

そして、来週がその聖霊降臨主日だ。ペンテコステ(復活から50日目という意味)とも言われる。クリスマスやイースターと並んでキリスト教の三大祝日の一つだが、何となく分かりにくい。従って、妙な言い方だが人気がない。

一体、聖霊とは何か? 聖霊が降臨するとはどういうことか? それを理解するために、今日の箇所は大変適切であろう。

先ず、パウロは”霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます(26節前半)と言っている。私たちは、よく、神が助けて下さるという言い方をするが、霊(あるいは聖霊)がわたしたちを助けて下さるというのとは微妙に違う。神と霊は別ものというわけではないが、単純に同じだとも言えない。

26節後半の、わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、”霊”自らが、言葉に表わせないうめきをもって執り成してくださるというところでは、霊自らを神ご自身と置き換えても差し支えないような感じだが、27節後半に行くと、”霊”は神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださると言われていて、霊はやはり神とは区別されているようだ。このモヤモヤした関係を明らかにしたい。

聖書の神は、私たちが主の祈りの冒頭でましますわれらの父よと呼びかけるように、いと高き天に在す神・神である。イザヤも、わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり、わたしの道はあなたたちの道と異なると、主は言われる。、わたしの道は、あなたたちの道を、わたしの思いは、あなたたちの思いを、高く超えている(イザヤ書55章8-9節)、と言っている。

しかし、私たちの神はいと高き天に座って、人間の思いや道を高く超越しているだけではない。御子イエス・キリストにおいて、私たちと同じ人間のかたちをとり、・現れ給うた神である。キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした(フィリピ2章6-8節)という聖句はそのことを示している。

さらに、この神は、私たちの心を動かして助ける神でもある。どう祈ったらよいか分からない私たちの内側に、神は目に見えない仕方で働きかけ、言葉に表わせないうめきをもって執り成してくださる。。これが聖霊である。神は、聖霊の働きによって私たち人間を内から動かし給う。パウロが、”霊”も弱いわたしたちを助けてくださると言ったのはそのことだ。

別々の神が存在するというのではない。ひとりの神が、異なった在り方・異なった働きを通じて私たちと共にいて下さる、ということなのだ。

青木優牧師(共に歩むネットワーク代表)が、昨年11月の障碍者問題を考える会の開会礼拝における吉田勇牧師の説教の内容を紹介している。

吉田さんが新潟県で開拓伝道に取り組んでいた時、次男の和人(かずと)くんが生まれた。3ヶ月たった頃、その子がダウン症であると医師から告げられた。ショックで頭が真っ白になり、1週間、神様、どうしてですか?と問い続けた。その中で、次のようなメッセージを受け取る。神はひとり子イエスを与えるという愛をもってこの子を生まれさせ給うた。そして主の栄光の中に、終わりの日まで生かされるのだ。そして、自分にはこの子を育てる役割が主イエスから委ねられたのだ、と信じた。

小さな教会で、和人くんは礼拝に出席する女性や高校生の膝の上に座り、人の優しさに触れて育った。人を恐れない子になった。赤ちゃんが大好きで、教会に来る赤ちゃんの世話をよくした。7歳の時、養護学校の寮に入った。初めて親元を離れる生活だから、子どもたちは親を求めて泣き叫ぶ。その中で和人くんは、自分も淋しいに違いないのに、一人ひとりに声をかけ、肩に手をまわして慰めたという。ある先生は、こんな子は初めてだと驚いたそうである。

20歳で作業指導所に入所した。そこに一人の意地悪な青年がいて、和人君もいじめられた。しかし、その青年が事情で退所する時、見送りに出た彼は泣きながら、行かないで、帰って来てといつまでも大声で叫んでいたという。指導員は、みんなホッとして喜んでいたのに、和人さんは不思議な子ですねえ、と語ったという。

その和人くんが25歳の時、集中豪雨の暴れ水が施設を襲い、彼は死んだ。激流から彼の遺体を引き上げてくれたのは、近くの精神病院に入院中の3人の男性だった。葬儀の時は、町内の人々が総出で出棺を見送り、彼の死を惜しんだ。不思議なことだ。これは何なのだろうか?

両親の愛と、教会員が彼に注いだ愛が、このような人を育てあげたことは確かである。だが、その背後で彼を動かしていたのは、神の見えざる働きである聖霊であった、と私は信じている。パウロが26節で言っているように、霊自らが、言葉に表わせないうめきをもって執り成して下さったのである。そして、万事が益となるように共に働(28節)いたのである。これが真相ではないか。



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