神はあなたがたのために」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

 

今日の所でヨハネは先ず、「天よ、。聖なる者たち、使徒たち、預言者たちよ、喜べ」(20)と呼びかける。「この都の滅亡のゆえに喜べ」という意味だ。これには抵抗を感じる人も多いだろう。ローマが神の裁きを受けて滅びるのは、本当は「悲しむべきことではないか。それを「喜べというのはいかがなものか?

ドイツ語に「シャーデンフロイデという言葉がある。「シャーデンは損害あるいは不幸。「フロイデは喜びのことだ。だから、「シャーデンフロイデは人の不幸を「ざま見ろと嘲笑う意地の悪い喜びのことだ。これは、「意地悪婆さん」(長谷川町子)のような漫画の世界では許されても、実際の生活の中でこれをやられると傷つく。黙示録は、この「シャーデンフロイデを認めているのだろうか?

ヨハネは言う。「大いなる都バビロン」、つまりローマが、大きなひき臼のように「荒々しく投げ出される」(21)。預言者エレミヤは、バビロンに襲いかかるすべての災いを一巻の巻物に記し、それに大きな石を結びつけてユーフラテス川に投げ込んだことがあるが(エレミヤ書51,60-63)、ローマも海に投げ込まれて滅びる、と。

22-23節の記述は物悲しい。このエキサイティングな世界都市を賑わしていた歌舞音曲は全く止み、高い技術を持った職人たちの仕事も、粉を碾いてパンを焼いたりパスタを捏ねたりする作業も、夜ごと灯されるパーティーの灯火も、豪華な結婚披露宴の華やいだ歓声も消えてしまう。ローマの滅亡は、今まで富と贅沢を独占していた人々にとってはもちろんであるが、ヨハネにとっても悲しいことだ。

この物悲しい言葉は、私に直ぐコヘレトの言葉12章を連想させた。人の一生に終わりが来ることを印象深く描き出した箇所である。「その日には家を守る男も震え、力ある男も身を屈める。粉ひく女の数は減って行き、失われ、窓から眺める女の目はかすむ」(12,3)。「家を守る男も震えというのは年をとると筋肉や骨が弱くなることを意味しているという。「粉ひく女の数は減って行きは、歯が抜けることである。そのように容赦なく老いの現実を暴くような記述が続く。視力も衰える。耳も遠くなる。転び易くなる。そういうことを考えると、「すべては空しいという物悲しい気分に襲われる。これはコヘレトの本音であったろう。我々も共感できる。

ローマのように栄華を極めた都が滅びるのも、同様に悲しいことだ。どうしてそれを単純に喜ぶことができよう?にもかかわらず「喜べ」というのは何故だろうか?

その理由は20節後半に示される。「神が裁かれたから」! それを更に具体化して、「商人たちが地上の権力者となった」からだという。つまり、経済的・政治的権力を持つ少数の者たちが互いに「癒着して地上の富を独占しただけでなく、「すべての国の民が惑わされ、預言者たちと聖なる者たちの血が…流された(23-24)とあるように、情報を操作し、罪なき人々を迫害し、殺した。だが、神はこのような不正をいつまでも放置してはおかれない。神はこれらの不正・不義を必ず裁き給う。不正は終わりを迎える。それを「喜ぶ」のは、決して「シャーデンフロイデではない。むしろ逆だ。ローマの古い諺は「人は人に対して狼であるというが、そういうことがなくなる、というのである。弱肉強食はなくなる。だから喜べ!「乳飲み子が毒蛇の穴に戯れる」(イザヤ書11,8)ような真の「シャロームが来る。だから喜べ!

コヘレトも「すべてに耳を傾けて得た結論。『神を畏れ、その戒めを守れ。』これこそ、人間のすべて。神は、善をも悪をも一切の業を、隠れたこともすべて裁きの座に引き出されるであろう」(13~14)、と言っている。神がこのように裁いて下さるということに目を留める時、「空しさ」は克服され、人生は生きるに価するものとなる。

26日(木)に、恩師・井上良雄先生の葬儀があった。すべての参列者に、シュザンヌ・ド・ヴィスムの『その故は神知り給う』という書簡集が、「故人が大きな励ましを受け、愛したこの書簡集を、生前のよきお交わりへの感謝をこめて、お贈りいたします」という綾子夫人の言葉を添えて贈られた。

井上先生は戦前、左翼の運動に参加し、傍ら優れた文芸評論を書いて知られた人物である。その『志賀直哉論』は今でも評価が高い。だが、戦争末期、彼は「いろいろな意味で疲労困憊していた」。その中で信濃町教会に通うようになっていたが、ある日、福田正俊牧師からこの書簡集の原書を手渡されて、読むように勧められた。

シュザンヌはスイス人牧師の妻で、1929年11月に癌が発見され、2年の闘病生活の後、1932年11月27日に天に召されるのだが、その間、病床から愛する夫に宛てて美しい手紙を書き続けた。この書簡集を井上先生は「その日のうちに、一気に読了した」。彼は書いている。「読み終わって、私は感嘆した。この女らしい、優しい手紙の中を貫いている、不思議な力は何だろうか」。そして彼は、この本から最大の賜物を受け取る。それは、「人生は生きるに価する」という確信であった。

それから間もなく彼は洗礼を受ける。受洗後、最初の仕事として取り組んだのがこの本の翻訳であった。それ以来、若き日の私を含めて、どれほど多くの人々がこの書簡集から人生の励ましを受けたことであろう。

「どうぞ、勇気を失わずにいて下さいませ。そして上を見上げるように致しましょう。多分、それは涙と共にではございましょうけれど、矢張り上を見上げるように致しましょう」(1930年9月19日)。

そうだ。上を見上げる! 正しく裁いて下さる神があなたのために天に在ます限り、人生は生きるに価するのである。

The Cross Pendant

He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel

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