苦しみの意味”
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
今日は、‘苦しみの意味’について考えてみました。以前、アメリカのABC放送がエリザベス・マレンという少女に関する報道をしました。この少女は家もなく、道ばたで生活をするホームレスでした。しかし、その彼女が、ハーバード大学に優秀な成績で入学したのです。彼女は、麻薬中毒の両親から生まれ、15年間も住む家がなく、道ばたや、倉庫の片隅で寝ました。両親は、彼女が物乞いをして貰ってきた外套までも脱がして麻薬を買うほどに深刻な麻薬中毒者でした。 彼女は、10歳になった時から、道ばたで物乞いをしてお金を貰ってきては、両親を養わなければなりませんでした。そうするうちに父親は死に、続いて母親がエイズで死に、彼女は「自分は、両親のようには生きない。社会に貢献する人間になる」と決心をして、色々と努力した結果、公立高校に入学しました。公立高校は授業料がかからないので、道ばたで生活をしながら学校に通います。 家どころか寝場所もなく、ましてや勉強部屋があるわけでもありません。しかし彼女は、こっそりと、あちこちの建物の外側にある階段や、地下鉄の階段などに小さく座って勉強し、雨が降るとずぶ濡れになりながらも、勉強を諦めたことはありませんでした。やがて、ひたすらに勉強をしたお陰で、彼女は同級生の誰よりも優秀な成績を収め、ニューヨーク・タイムズが与える奨学金を貰って、天下のハーバード大学に入学することができたのです。彼女のこのような事情が新聞に報道されたおかげで、アメリカの各地から奨学金が送られてきて、それが全部で20万ドルにも及んだそうです。 彼女は両親を恨むとか、自分の環境を嘆いたりとかは絶対にしませんでした。ある日、彼女は、成功の秘訣を質問する人たちに次のように答えました。「私の過去の苦しみは、今日の私を作ってくれました。私の両親が貧しかったので、私は道ばたで大変な苦しみの中を生きてきました。私はいつも、絶対にこれ以上の苦しみには会わない、と心に決め、その苦しみを克服しながら生きてきました。そして心にいつも、「成功して見せる」という夢と希望を抱いて生き抜いてきました。ですから私に、もしも苦しく悲しい過去がなかったら、他の人たちのように、安易な生き方をしたと思います。貧しく、苦しかった過去を、私は有り難く思っています。」 世の中を見渡すと、苦しみに会った人たちの中に、多くの成功者、多くの祝福された人々を見ることが出来ます。そして、その中の多くの人たちが、その苦しみの中で神様を見出し、神様によって祝福を受けることができる器として整えられてきた人たちであることを知ることが出来ます。エリザベス・マレンもその一人です。苦しみを正しく理解し、消化することができれば、それは大きな祝福になります。つまり、苦しみは、私たちを神様の祝福を受けることができる器にしてくれるということです。苦しみは、祝福の器を作る過程なのです。 鷲が、どのようにして空を飛ぶようになるか、ご存知ですか。鷲は海面から100mもあろうかと思われる断崖の岩棚に巣を作ります。親鷲は雛たちの巣をゆすぶり、くちばしで雛たちを岩棚の端まで押しやって、その絶壁から下に落としてしまいます。雛たちは翼をばたばたさせながら、まっ逆さまに落ちて行きます。そこで、親鷲わしは落ちていく雛のところに舞い降りて、翼を広げて彼らを翼の上に負うんです。雛たちを翼の上に乗せると、親鷲は、彼らをもう一度岩棚の上に運び、また同じことを繰り返します。何度も何度も絶壁から放り出し、翼に乗せて助けるのです。親鷲の雛を訓練するこの本能は、神様から与えられたものです。そして神様は、私たちにも同じような訓練を与え、私たちが自分の翼で人生の大空を飛び交い、神様の祝福をいただける器になるように導かれるのです。そのために、神様は私たちの人生の巣を揺り動かし、一時的に私たちの希望を取り去って、私たちをうろたえさせてしまうような苦難の中に置かれるのです。しかし神様は、私たちの苦しみの間中、私たちをその御翼の上に乗せて、私たちが決して落ちることのないように、私たちを守っていて下さるのです。今日の一言: 苦しみにあったことは私に良いことでした平安鶴田健次ブログランキングに参加しております。下の2つのアイコンをクリックして、応援してください。