イエスが生まれたとき、東の方(多分ペルシャ)から占星術の学者たちが星に導かれてはるばる旅をし、ベツレヘムにやってきて幼子イエスを拝み、贈り物を捧げたという話は今日の箇所の直前、2章1-12に出てくる。メルヘンのような情景だ。
24日の午後、教会学校の音楽礼拝では、子供たちがこの場面をこう歌った。
「お星が光るピカピカ/不思議にあかくピカピカ/何が何があるのか/お星が光るピカピカ」。二節は「らくだが通るカポカポ/砂漠の原をカポカポ/どこへどこへ行くのか/らくだが通るカポカポ」。子供たちは、三人の博士がらくだに乗って来たと信じて疑わない。そして、最後の節はこう終わっている。「お星が光るピカピカ/らくだが通るカポカポ/そうだそうだ今宵は/嬉しい清い夜だよ」。
この歌につれて博士に扮した子供たちが登場すると、見ている者は皆、ニコニコしてしまう。誰も小うるさい理屈を言う気分にはなれない。
画家たちも、この場面では大いに想像力を働かせて美しい絵を描いている。レンブラントの作品では、博士たちは揃って贅沢な服装をし、そのうちの一人などは、不思議なことに唐傘をさしている。日本や中国と貿易関係のあったオランダ人の見方だろうか。デユーラーの描いた博士たちの一人は、伝説に従って「黒人」である。
また文学者の中には、「四人目の博士」がいたという筋書きを書いた人もいる。その人物は、待ち合わせの時間に遅れて他の三人とははぐれてしまい、それ以来あらゆる辛苦を重ねて救い主を捜し求めるが、やっと巡り会うことが出来たのはイエスが十字架に付けられる直前だった、という話である。
このように、様々に想像力を膨らませて考えるのも悪くはない。
だがこの物語は単なる「メルヘン」ではない。実は、深刻な話なのである。
その前に、先ず「星」について一言すると、既にケプラーが確認しているように、紀元前7年頃、木星が魚座の中でしばしば土星と重なり合って異様な輝きを放ったことが知られている。このような大接近は798年に一度しかない。星を観測することを仕事としていた占星術の学者たちが、この珍しい現象に関心を抱かなかったはずはなく、詳しく調べたのは当然である。
ところで、「シパルの星暦」等々、当時の占星術の「マニュアル」がいくつか発見されているが、それによると「魚座」は終末時代を意味する星、「土星」は世界の救い主、「木星」はパレスチナを意味していたという。すると、この大接近を見た学者たちが、「今は終末の時代で、ユダヤに救い主が生まれる」と解釈したとしても不思議ではない。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」(2) という彼らの問いは、このことを暗示しているかもしれない。
「星」のことは措くとしても、重大な問題は、このことを小耳にはさんだヘロデ大王が「不安を抱いた」(3)ということである。
権力者は、自分の地位が脅かされはしないかと、たえず不安である。古来、このことで怯えなかった権力者はいない。ヘロデは、学者たちの言う「新しい王」がどこで生まれたか、その場所を熱心に知りたがった(7-8)。勿論、下心あってのことである。
学者たちは、そのことを敏感に察知したであろう。だから、首尾良くイエスに出会って拝んだ後、ヘロデには何も報告せずに帰国の途についてしまった。激怒したヘロデは、ベツレヘム近在の「二歳以下の男の子を、一人残さず殺させた」(16)。これが、権力者の不安の正体である。
イエスの両親は天使のお告げによってこの危険を知り、その夜の内に幼子を連れてエジプトに逃げ、ヘロデが死んで危険が去るまで、その地にとどまった。つまり、イエスは誕生するやいなや、「難民」となったのである。占星術の学者たちがはるばるやってきてイエスを拝んだという話は、「幼児虐殺」という血なまぐさい出来事と結びついていて、そのためにイエスは「難民」となった。これは「深刻な」話だ。
我々は、これに関連して、二つのことを考えさせられる。
1)20世紀は今日で終わるが、この世紀は「難民の世紀」と言われ、世界には今、1000万人を越える難民がいるという。しかし、これは今世紀に始まったことではない。人類は、洋の東西を問わず、これまで幾たび同じような苦しみをなめたことだろう。そしてこの苦しみは、常に権力者たちによってもたらされた。自らの特権的な地位を守るために不安に駆られ、その結果人を信じることが出来なくなった権力者たちは、人を大量に虐殺し、辛うじてその魔手を逃れた人々は難民となった。ヒトラーの「ユダヤ人絶滅政策」、スターリンの「大粛正」、日本軍による「南京大虐殺」、ポルポトによる「カンボチャの大虐殺」その他、枚挙にいとまがない。イエスの身に起こったことは、全世界に起こったことの正体を照らし出している。
2)だが、イエスは難民になった。苦しむ人々の一人となった。その人々の嘆きや苦しみの叫びは、イエスにとって決して遠いものではない。彼は、誰よりもこの苦しさを理解でき、共感できる方である。その方が、我々の救い主として生まれた、というのが聖書のメッセージなのだ。このメッセージを、感謝とともに受けよう。
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
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