「知恵と知識の宝」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

 2001年の最初の礼拝に当たり、皆さんに心から新年のご挨拶を申し上げたい。

さて、今年の『ローズンゲン』によると、「年間の聖句」はコロサイ書 2章3節、「知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています」である。世界の同信の人々と共に、一年を通じてこの言葉を心に刻みながら信仰の歩みを進めていきたい。

先ず、知恵と知識について。

両者とも「知る」という点では同じだが、「何を知るか」、「どのように知るか」という点では違いがある。岩波の『国語辞典』によると「知識」の方は単純であって、「ある事柄についていろいろと知ること。その知り得た内容」のことだと書いてある。これに対して、「知恵」はずっと深い内容を持っている。曰く、「物事の筋道がわかり、うまく処理していける能力。単なる知識以上のもの。もと仏教で、惑いを去って菩提に至る力」のことである。

外国の言葉でもこの違いが同じように出ていて、「知識」はknowledge;Erkenntnisであるが、「知恵」はwisdom;Weisheitと言う。新約聖書はギリシャ語で書かれているが、「知識」は「グノーシス」、「知恵」は「ソフィア」である。

このように、人類は昔から知識と知恵を区別して考えた。つまり、「多くの知識を持っていても深い意味で知恵があるとはいえない」場合があるということを経験していたのだろう。例えば、猪や熊などを仕留める狩りのやり方について知識はあるが、その獲物を分配する時の、仲間に対する目配りとか公平の感覚に欠けたところがあるならば、その人は「知恵がない人」と言われたであろう。現代について言うならば、コンピュータが格段の進歩を遂げ、遺伝子に関する知識や技術などは精密を極めているが、これらの膨大な「知識」をどうすれば本当に命の尊厳のために、地球の将来のために役立てることができるかという「知恵」が、多くの場合欠けているのではないか。全世界の科学者の約40%は、新兵器開発の仕事に従事しているという報告がある。21世紀には、人類が真の「知恵」を持っているかどうかを問われるであろう。

ここで話しを少し戻したい。「知恵」(ソフィア)という言葉は、新約聖書の多くの個所に出てくるが、第一コリント 1章18節以下を読むと、いろいろなことが分かる。例えば、同じ知恵にも「世の知恵」(20)があり、「神の知恵」(21)がある、ということもその一つだ。

「世の知恵」とは、「知恵ある者の知恵」(19)であり、「ギリシャ人の知恵」(22)であり、「人間的な知恵」(26)であり、それは深い知恵のように見えてもやがては滅びる知恵(19)であり、賢いように見えても結局は愚かであることが分かる知恵(19)であり、従って、「この世の滅び行く支配者たちの知恵」(2,6)である。もう少し具体的に言えば、この世界を根本のところで否定するような知恵である。

それに反して「神の知恵」とは、愚かなように見えても実は人間の知恵よりも賢いものであり(25)、「隠されていた神秘としての神の知恵」(2,7)であり、それは結局、「十字架につけられたキリスト」(23)である。今年の聖句に「知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています」と言われているのは、この意味である。

それでは、キリストとはいかなるお方か。

この直ぐ後の段落には、そのことが具体的に書かれてある。

先ず、キリストには「満ちあふれる神性が、余すところなく、見える形をとって宿っている」(9)と言われている。神は目では見えないが、命を投げ出すほどにすべての人々を愛されたキリストの生き方を見れば、この世界を愛する神を知ることができる。この世界も我々すべての人間も、いろいろ問題はあるにしても、神に愛されている!神によって肯定されている。このことを知ることこそ、真の知恵なのだ。

さらに、この「キリストがすべての支配や権威の頭」(10)だ、と言われている。「すべての支配や権威」とは、単に地上の「政治的権力者」のことではない。それ以上のもの、つまり、天にあって彼らを支配する「支配霊」のような存在が考えられている。

ヘロデ大王が行った「幼児虐殺」という非道は、ヘロデという一人の人間が偶々悪人だったから起こったというよりも、この人の背後に支配的な「悪の霊」があって彼を動かしていたからではないか。ドストエフスキーの『悪霊』は、このような「支配霊」をリアルに描き出した。ヒトラーのことを考えても、この考えは現実味を持つ。

だが、キリストは「すべての支配や権威の頭である」!つまり、彼はこれらの「支配霊」と戦い、それに打ち勝ち、「もろもろの支配と権威の武装を解除し」(15)、我々をその支配から解放した。しかも、自らを低くして人に仕え、「多くの人の身代金として自分の命を捧げ」(マルコ 10,45)、十字架の死に至るまで従順である(フィリピ2,7-8)ことによって実現した、というのである。暴力によらず、ただ愛の力によって、彼は我々を「悪霊」の支配から解放する。これが、キリストである。

だから、キリストを信じて生きる人は、「悪霊」の支配に屈服しない。「悪霊」に動かされているような権力者には決して従わず、投げやりにならず、絶望しない。これが「神の知恵」なのだ。知恵と知識の宝はすべて、このキリストの内に隠されている!


 
 

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