「一粒の小麦は地面に落ちて死なないかぎり。それはただ一粒のままです。しかし、死ぬならば、そのときには多くの実を結びます。・・・父よ、わたしをこの時から救い出してください。しかしやはり、わたしはこのゆえにこの時に至ったのです。」(ヨハネ12:24,27)
ある人は、イエスは完全な方で、犠牲の死を遂げても復活することをご存知だったのだから、イエスが贖いの犠牲の死を遂げることは容易なことであったと考えるかもしれません。しかし、そうではありません。しかし、イエスも、神を冒とくする者として屈辱の死を経験することはできたら避けたいという自然な気持ちを克服しなければなりませんでした。
イエスは、ご自分を一粒の小麦の種に例えられました。そして、多くの実を結ぶためには、種が地面に落ちる必要があるように、ご自分は死ななければならないと言われました。(ヨハネ12:24) ですから、イエスはご自分が、死んだ後復活して多くの良い結果を産み出すことをご存知でした。イエスはご自分が贖いの死を遂げるならば、ご自分の追随者に天の王国に入る機会が開かれること、人類がこの地上で永遠に人間として生きる見込みを開くことになることもご存知でした。(コロサイ1:13,14。マタイ20:28。テモテ第一2:6)
しかし、イエスにとって、贖いの死を遂げることは、受け入れやすい簡単なことではありませんでした。なぜならイエスはエホバに「この時から救い出してください」と祈っておられるからです。(ヨハネ12:27) イエスは何を悩んでおられたのでしょうか。
イエスはご自分が経験しようとしていた死のバプテスマの前に大きな苦しみを経験することについて語っておられました。ですから、杭の上で苦しみの死を遂げることは、その苦しみを考えるならば、イエスにとって喜ばしいことではありませんでした。(ルカ12:50)
イエスは永遠の命のためにご自分の地上での命を大切にしないことが賢明であることが分かっておられました。(ヨハネ12:25)イエスは、「しかしやはり、わたしはこのゆえにこの時に至ったのです。」と言われました。(ヨハネ12:27)ここで、イエスはご自分に与えられた使命をご自分に言い聞かせておられるようです。
イエスは杭にかけられる前に、ゲッセマネの園で、苦しみのうちにエホバに祈られました。その時の祈りも、おそらくヨハネ12章で述べられている祈りとだいたい同じものだったでしょう。
イエスはゲッセマネの園で、「アバ,父よ,・・・この杯をわたしから取り除いてください。」と祈っておられます。(マルコ14:36)イエスは、ご自分の贖いの死を記念する記念式の制定の後、贖いの死を遂げることをためらったとは考えられません。イエスが人類のために贖いとなるというのは、誰よりもエホバのお考えでした。(ヨハネ3:16)イエスは、エホバの目的の実現に協力して、エホバに栄光をもたらしたいと考えておられました。(ヨハネ12:28)しかし、イエスにとって、神の名を「冒とく」する者として屈辱の死を遂げることが辛く、その死に方は神の名に栄光をもたらさないのでないかと考えて受け入れがたかったと考えられます。(ヨハネ10:36。マタイ9:3,4)
しかし、エホバは天から語られて、イエスにその死がご自分の名に栄光をもたらすことを確証されました。(ヨハネ12:28) そして、イエスは、自分の望みではなくエホバのご意志を優先させました。(マルコ14:36)
イエスの態度は、私たちが見倣うべき手本です。私たちは、イエスのように屈辱のうちに贖いの死を遂げることは求められていません。私たちの大半に対して、聖書は大患難を生き残るという希望を差し伸べています。(啓示7:9,14。マタイ24:29,31)
でも、このサタンの世でイエスに付き従うことは、決して世の人々の間で人気のあることではありません。(マタイ24:8)クリスチャンは、イエスのように迫害を受けます。(テモテ第二3:12)クリスチャンの中には、迫害によって命を落とす人もいることをイエスは予告されました。(マタイ24:9)そうなることは、私たちにとって決して嬉しいことではありません。
しかし、イエスはエホバ神と仲間の人間に対する愛ゆえに人間としての今の命を大切されず、屈辱の死を遂げることもいといませんでした。(ヨハネ14:31;15:13)それゆえにイエスは、天で不滅の霊者として復活するという報いを受けられました。同じように、私たちもエホバとイエスに仕えるために自分の命を危険にさらしたとしても、天であれ地上であれ永遠の命を確保することができます。(ヨハネ12:25)
私たちは、イエスが屈辱の死を遂げてくださっことを思い巡らすと、イエスの贖いの死に感謝の気持ちがわいてくるのではないでしょうか。
イエスは地上で苦しみを遂げる日の前の晩記念式を制定された
今年2013年のイエスの贖いの死を思い起こす記念式は、3月26日(火)の日没後に行なわれます。イエスの贖いの死に感謝してイエスの死の記念式に出席しましょう。
[関連する記事]
ルカ23章・イエスは私たちのためにご自分の命を与える
マタイ26章・記念式の表象物は何を表していますか
コリント第一5章・年に一度だけ祝われる主の記念式
誰が記念式の表象物にあずかるべきですか
被災地のエホバの証人と記念式
[はてなダイアリーの最近の更新]
イエスの地上の生涯の最後の1週間(ニサン8日~14日)
He is a cross pendant.
He is engraved with a unique Number.
He will mail it out from Jerusalem.
He will be sent to your Side.
Emmanuel
Bible Verses About Welcoming ImmigrantsEmbracing the StrangerAs we journey through life, we often encounter individuals who are not of our nationality......
Who We AreWhat We EelieveWhat We Do
2025 by iamachristian.org,Inc All rights reserved.