すべての人に恐れが生じた

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「すべての人に恐れが生じた」

秋葉正二
申命記26,16-19;

 2章は14節からペトロの説教が記されていますが、ペトロは説教の終わりに 『邪悪なこの時代から救われなさい』 と勧めて第一回の説教を終えています。 彼は「邪悪な時代から救われよ」、と言ったのであって、「邪悪な時代を救え」 とは言っていないことに注意を払っておきたいと思います。 皇帝までもが神とされ、崇拝を強要された暗黒の時代から「救われなさい」とペトロは言ったのです。 多くのキリスト者の陥る錯覚ですが、この暗黒の世を自分たちの手で救わなければならない、と私たちは考えがちですが、よく考えるとこれは本末転倒です。 まず私たち一人ひとりがその存在の根底から救われなければならないことを思います。

 自分が神さまの愛によって生かされている一人として、まず何をなすべきか、どういう環境をつくったらこの世の人たちは神さまの方に心を向けてくれるか、を配慮しながら生きるのがキリスト者の責任でしょう。 そこで、エルサレム教会の人たちは次のようなことを実行しました。 42節に書かれています。 一つ、使徒の教えを守ること、二つ、信徒同士の交わりの推進、三つ、共にパンを裂く、四つ、祈ること、です。 すると、ペトロの勧めを受け入れた人たちは3千人であったということですから驚きです。 この四つは今流に言えば、まず聖書をしっかり読むことです。

 つぎに信仰の交わりを深めたのは、相互援助や奉仕や施しがしっかりなされたということです。 パン裂きは、共同の食事で、愛餐と聖餐が一緒になっていた原始教会の理想的な食事風景です。 そして、祈りは神さまとの対話であり、ユダヤ教時代からそれは敬虔を表す代表的行為でした。 この四つが原始教会のいわば模範的敬虔を表しています。 さてそこで、こうした生活が何をもたらしたかと言えば、43節にあるように、『すべての人に恐れが生じた』 のです。 そして、多くの奇跡やしるしが、使徒たちによって次々に行われました。

 「恐れが生じた」というのは、心から神さまをおそれかしこむ気持ちに満たされたということです。 一種の感動でしょう。 この「恐れ」は信仰生活にとって欠くことのできない重要な要素です。 エルサレム教会の人たちがそうした状態になることと、使徒たちが不思議な業としるしを行うこととが、相乗作用になって、一段と群れの一致を固くしたようです。 44節と45節は一種の原始共産制を語っていますが、最初の教会が先ず実際に行ったこととして説明されています。 新しい共同体のメンバーは、「メシアにあって一つ」という深い自覚をもって、共同生活と私有財産の観念を捨てたのです。 メンバーの一人ひとりが、私有財産の処理権は教会に属すると考えたのでしょう。 動産を所有する者も、不動産を所有する者も、それぞれ資産を売り払い、個々の必要に応じて、メンバーの間で収入を分配し始めたわけです。

 私はこの箇所が大好きで、何度も味わうように、繰り返し読んできました。 普通は起こり得ないことです。 そんなことは無理だ、できっこない、と考えてしまう前に、エルサレム教会の人たちは神さまの愛に導かれて、一切の物を共有し、財産や持ち物を売っては、必要に応じてみんなの者に分け与えたのです。 これは信仰共同体だけに起こり得る、信仰の理想に燃えた、何物も恐れないキリストにすべてを委ねた、勢いに満ちた行動です。

 もちろんそれは長くは続きませんでした。 神さまの愛によって実際にそうした取り組みがスタートしたのですが、この生活原理が行われた社会は、神など信じない人々がたくさん生きている人々が運営する経済機構の中のことでしたから、それを長く維持することは土台無理な話でした。 残念だなぁ、とつくづく思います。 もし、そういう世界に生きられたら、間違いなく平安に包まれて生きることができるはずです。

 またこうした決断だけでなく、エルサレム教会の信徒たちは、日々心を一つにして、イスラエルの伝統の権化でもある神殿で神さまを礼拝し、同信の友のリーダー的な人の家に集まっては、イエス・キリストが十字架にかかる前に行われたパンと葡萄酒による聖餐を思い起こし、主イエスを偲んでパンを裂き、心から信仰生活を喜び、一緒に食事をして神さまを賛美する集会を行っていたことが46節に記されています。 礼拝の原形がここにあります。 こうした集会が、やがて神殿から離れて、家の教会になっていきました。 私たちの教会はここから始まったのです。

 以上のような原始教会の信徒の生活を報告するルカの文章は、4章32-35節の「持ち物を共有する」と小見出しがある箇所を並行記事として読み合わせると、なお一層そのイメージが鮮明になってきます。 4章の記事では、きょうのテキストよりもっと具体的な記述が読み取れます。 大事なつながりのある箇所なので、そこを読んでみます。

『信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。』

 どうでしょうか? 原始教会はすごいなあ、と思います。 何と言うか、信仰生活が躍動感に溢れています。 こういう躍動感は、教会の制度化が進めば進むほど失われていくことになりました。 何せ、この世は神さまに従わない世界ですから、そうした場所に教会が誕生すれば、すぐにサタンが入り込みます。 サタンと言えば、その存在は、実にこの世の有様を上手に説明してくれます。 中世の悪魔はおどろおどろしい存在ですが、本来聖書に登場するサタンは、私たちの信仰生活のいわば検証機関みたいな役割を担っている存在です。

 現代人はサタンと言えば、すぐ荒唐無稽な存在として無視しがちなのですが、私はもう少し真剣にサタンを意識した方がよいと考えています。 ヨハネ黙示録(12章)には、天使ミカエルと戦ったサタン(竜)が、敗れて地上に投げ落とされたという記事がありますから、サタンはもともと天界にも自由に出入りしていた存在として認識されていたのです。 神さまが人間の信仰生活を検証させようと地上に送った存在と考えることも可能でしょう。

 つまりエルサレム在住のキリスト者が、せっかく持ち物を共有し、誰もが助け合う共同体をつくったのに、サタンはすぐにそこに入り込んだのです。 そして原始教会の人たちも、サタンの働きかけに負けて、せっかく生まれた信仰生活の秩序も乱れ、ごちゃごちゃになってしまいました。 でも私は、原始教会の新生活の試みはサタンの支配するこの世への挑戦ですから、決して無駄ではなかったと信じています。 それが証拠に、使徒言行録のこうした記述に触れた後世のキリスト者は、そこから何ともいえない力をもらうことができるからです。 事実キリスト教会の二千年の歴史は、過ちもたくさん犯しましたが、基本的には原始教会からの活力をいつも補充されて発展してきた歴史と言えます。別の見方をすれば、神さまはちゃんと私たち人間の歴史を導いてくださっているのです。

 ところで、一昔前には礼拝厳守などという掛け声が盛んにかかりました。 そういう勧めには理由があります。 きょうのテキストとの関連性で言えば、規則正しく公の礼拝と公の伝道のために神殿の庭で集会し、仲間の家々で共同の食事をするという習慣を守っていたことが次のステップの発展につながったからです。 毎週私たちは主日礼拝を守りますが、当時は毎日だったのですから、その熱心さと集中力とに脱帽です。

 原始教会は、結果的にイエスさまが豊かな聖霊の導きをくださって、いよいよ多くの信徒を群れに加えてくださったので、その数は日増しに増えていきました。 しかし、私たちが忘れてならないことは、イエスさまがご自身の体である教会に新会員を加えたもうということは、主ご自身の権能に属する事柄だという点です。 同時に、キリストが受け入れてくださる方を、私たちが自分の教会に加えることは、共同体全体の喜ばしい義務と言ってよいでしょう。

 使徒パウロはロマ書の15章7節でこう言っています。 『神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。』 きょうは礼拝後に全体懇談会が開かれますが、私たちも教会の将来に神さまが新しい人たちを加えてくださるように祈りつつ、展望を仰ぎましょう。   祈ります。


 
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