25の黙想
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
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箴言11:25の黙想
「おおらかな人は豊かにされ、他人を潤す人は自分も潤される。」(箴言11:25) 現代社会において、「与えること」と「受け取ること」、どちらが重視されているでしょうか? 世の中の価値観では、「自分のために蓄えること」が成功や安心につながると考えられがちですが、聖書は逆のことを教えています。この箴言11:25の御言葉は、与えることの大切さと、それがもたらす祝福について語っています。おおらかに与える者は、自らも豊かにされるのです。 1.おおらかな人が受ける祝福「おおらかな人は豊かにされ」とは、気前よく人に与える者は、最終的に自分自身が豊かになるという法則であり、神の約束です。ここで言われている「豊かさ」は、単なる物質的な豊かさだけではなく、心の豊かさや霊的な祝福も含まれます。 ルカ6:38に、「与えなさい。そうすれば、あなたがたも与えられます。詰め込んだり、揺すって入れたり、盛り上げたりして、気前良く量って懐に入れてもらえます」とあるように、神の国では、「与える者が受ける者となる」のです。 2.他人を潤す人は自分も潤される次に「他人を潤す人は自分も潤される」とあります。これは、物質的なものだけでなく、霊的な励ましや愛、時間を人々と分かち合うことにも適用されます。私たちが誰かに親切を示し、助けを与えるとき、それは巡り巡って私たち自身の人生を豊かにするのです。 主イエスは、山上の説教で、「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです」(マタイ5:7)と語られました。他人を潤すとは、愛を持って人を支え、励まし、助けることです。それは、物質的な支援だけでなく、心を込めたことばや祈りによっても行うことができます。 ある人が、教会員一人ひとりに心を配り、励ましの言葉をかけ続けました。すると、その人自身も多くの人々から愛と支えを受け、霊的にも祝福されました。愛を与えることは、結果的に自分自身の心をも満たすのです。 3.おおらかに与える人生の実践では、私たちはどのように「おおらかに与え、人を潤す」生き方を実践できるでしょうか?① 物質を惜しみなく分かち合う② 言葉と態度で人を励ます③ 祈りと時間を惜しみなく捧げる自分の持っているものを必要としている人と分かち合い、人に愛のある言葉をかけ、他者のために祈ることによって「人に与え、人を潤す」生き方を実践できるのです。 まとめ箴言11:25は、「与える人生」が私たちを祝福し、満ち足りたものにすることを教えています。今日の社会では「得ること」に重点が置かれがちですが、「与えること」によってこそ本当の豊かさがもたらされるのです。「おおらかな人は豊かにされ、他人を潤す人は自分も潤される。」(箴言11:25)この御言葉を心に刻み、日々の生活の中で、おおらかに与え、人を潤す者となりましょう。そうすることで、神の祝福が私たちの人生にあふれることでしょう。 今日の一言:おおらかに与える者になろう 鶴田健次
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