“心のフィルター”
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
今日は、
”心のフィルター”ということを考えてみました。綺麗なコップが目の前にあり、その中に水が半分入っているとします。この水の入ったコップを見て、あなたはどう思うでしょう?この水は、多いですか?少ないですか? 水の多い少ないよりもコップの色やデザインが気になるかも知れません。その感じ方は人によって随分違うことでしょう。のどが渇いている人は、コップ半分の水は少ないと感じるでしょうし、水など飲みたくもないのに薬を飲むためにその水を全部飲まなければならないとしたら、その水を多く感じるでしょう。あるいは、人によっては水よりも綺麗なコップに目がいき、色の美しさやデザインの良さに心を引かれるかも知れません。つまり、目の前にある現象や出来事、あるいは目の前にいる人に対してどう思うかは、人によって捉え方が違うということです。 たとえば、 お見舞いの電話をもらうと、普通、人は喜ぶものですが、人によっては迷惑がる人もいます。それは何故でしょうか。それは、すべての物事に対し、人は自分の心というフィルターを通して考えるからです。だから、コップ半分の水を少ないと感じる人、多いと感じる人、水ではなくコップの色に、あるいはコップのデザインに関心を持つ人がいるのです。つまり、あなたの目の前のすべての事柄に対し、あなたがどう思うか、またどう対応していくかは、あなたが自由に決めることができるということです。受験に失敗しても、会社が倒産しても、結婚に失敗しても、その事実をどう受け止め、それにどう対応していくかは、あなた次第なのです。受験に失敗したことに対し、「十分な準備をしなかったから仕方がない。今度はしっかり準備をして必ず合格するぞ!」と思ってそれを実行するか、それとも、「ああ自分はもうダメだ。学校に行くのはあきらめよう。」と思ってそうするかは、あなたが自由に決めることなのです。また、結婚に失敗し、「自分に思いやりが足りなかった。これからはもっと相手を思いやる人間になろう・・・」と考えるか、「結婚の相手を間違った。もっと人の気持ちを考える相手を選ぶべきだった・・・」 と考えるか、「ああ結婚なんか二度とするもんじゃない。これからは独りで気楽に生きていこう・・・」と考えるか、それはあなたが自由に選べることです。人には物の考え方にパターンがあり、そのパターンは心のフィルターを通して表に現れてきます。つまり、自分のことを「わたしは不幸な人間だ」と感じている人は、それが心のフィルターとなって、無意識のうちに不幸ばかりを選び、「わたしは幸福な人間だ」と感じている人は、幸福ばかりを選ぶのです。要するに、すべての物事に対する気持ちは、あなたの心というフィルターを通した結果であり、その結果はあなたが自由に決めることが出来るものです。つまり、人生はあなたが自由に決めることが出来るのです。
今日の一言: あなたの人生はあなたが自由に決めることができる。平安鶴田牧師
ブログランキングに参加しています。クリックをお願いいたします。