神と向かい合い祈る朝 横田 早紀江
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
今から約35年前、新潟市で当時中学生だった女の子が下校途中に失踪。女の子の名前は横田めぐみさん。横田めぐみさんの母・早紀江さんは、北朝鮮の拉致被害者となった後、信仰に導かれました。大きな苦しみを通して、信仰に導かれた早紀江さんが祈りを通して、神様から平安を頂いているお証をシェアさせていただきます。また私達も背後で、祈りをお捧げしたいと思います。珍しく暖かな朝だった。でも、突風で雨戸がガタンゴトンとものすごい音を立てていた。夜になると寒くなるといけないと思い早紀江さんは廊下を走って玄関でレインコートを差し出した。「ううん、どうしようかな。今日はいいわ。置いていく」と言って「行ってきます」と元気に家を飛び出した。めぐみさんはバトミントン部の強化練習で帰りが時ごろになる。「ただいま」と帰るそのころは、暗く寒い。まさか、11月15日のこの日が「行ってきます」で終わるとは、5人家族で暮らす41歳の主婦には想像もつかないことだった。7時を回っても帰ってこないことにいやな予感がした。早紀江さんは、二人の弟を残し家に鍵をかけて、つっかけで学校まで走った。体育館の入り口を覗くともうバトミントン部の練習は終わっている。守衛さんに聞いたらとっくに帰ったという。慌てて家に戻ったがめぐみさんの運動靴はまだなかった。「お姉ちゃん帰っていない?」早紀江さんは懐中電灯を取ると弟たちを連れてもう一度学校の方へ向かった。近くの神社の境内が危ない。神社に向かい、駐車している車に懐中電灯を当てた。早紀江さんはトランクが気になり、駐車している車のトランクをすべてたたいた。海岸に出て持ち物が落ちていないか懐中電灯を照らしながら探し歩いた。夫の滋さんの帰りを待ってすぐに警察に届けた。新潟県警はかつてない大捜査を展開した。1週間で千人の捜査員、警察犬にヘリコプター、巡視船。ところが、警察犬は途中で道を失う。手がかりとなるものは何もない状態だった。まさか、その状態が19年間続くとは誰も想像していなかった。家出か自殺、交通事故か誘拐、暴行。早紀江さんは幼い二人の息子を連れて「めぐみちゃん、めぐみちゃん」と叫びながら、海岸線を何キロも歩いた。広島から転勤で越して1年3ヶ月の街をくまなく探して歩いた。変な電話があると名前を聞きその名前を電話帳で引き全部電話した。新聞も隅から隅まで読んだ。写真が似ていると新聞社に事情を電話して引き伸ばした写真を送ってもらった。やっぱり違う。街で似た人にすれ違うと「あれお姉ちゃんじゃない」と息子たちに聞くが早いか追いかけて確認した。展覧会でも似た絵があれば製作者に聞いた。これが日常生活となった。よく滋さんとはどうして娘が失踪したのかその理由について話し合った。ひょっとしたら、自分たちの育て方が悪かったのではないかと責める。滋さんが出勤し息子二人が学校へ行くと早紀江さんは一人になった。なんで、こんな悲しい思いをしなくてはいけないのか。自然と涙が出てくるとその後は号泣し、死にたい思いがわきあがった。それでも、朝がやってきて、いつ帰ってきてもいいように夜中点けていた玄関灯がボーと光っていた。こういうときには色々な宗教の人がやってきて、「子供は親の鏡、親の全てを現します」とか「因果応報」だとか言われ、悲しい心の傷をさらに広げるような事を平気で言う。どうして、因果応報か。誠実で質素な暖かい自分の父母を思うとまた泣けてくる。この時、早紀江さんを支えたのは、早紀江さんの友人とめぐみさんの同級生の母親たちだった。友人はクリスチャンだった。生まれつきの盲人を見て、イエスの弟子がその理由をイエスに聞くと「この人が罪をおかしたのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです」。早紀江さんはこの言葉に不思議な感覚を覚えた。さらに、めぐみさんの同級生の母親もクリスチャンで、「ヨブ記を読んでみて」と聖書を置いていった。ヨブ記は旧約聖書の中にある。真面目で信仰深いヨブが大切にしているものを全て奪われ神に信仰を試される記述がある。「私は裸で母の胎からでた。また、裸で私はかしこに帰ろう。 主は与え、主は取られる」この厳しい記述の一節に、早紀江さんは事件以来初めて深呼吸をして空気が美味しいと感じた。「苦しみにあったことは、私にとって幸せでした。私はそれであなたのおきてを学びました」、聖書にある言葉を痛みをもって心地よく染みていくのを感じた。めぐみさんが二十歳になる年に早紀江さんは洗礼を受けた。泣いて朝を迎える日々は神と向かい合う祈りの10年に変った。失踪から20年、何の手がかりもないこの事件は、ある一本の電話で急展開を見せた。共産党の橋本敦議員の秘書だという兵本達吉さんからだった。朝日放送のプロデューサーが北朝鮮の元工作員の話として拉致された13歳の少女の事を話をしているというのだった。バトミントンの練習の帰りで双子の兄弟がいると状況がぴったりだった。「めぐみは、やっぱり生きていたのねぇ。よかった、よかった」北朝鮮に行けばすぐ会えると思った。次の新しい情報が入るまで5年もかかるとは思わなかった。そしてその情報は、日朝首脳会談で明らかにされる死亡情報だということは想像もできなかった。「日本の国のために、このように犠牲になって苦しみ、また亡くなったかもしれない若い者たちの心の内を想って下さい。こうして大きな政治の中の大変な問題であることを暴露しました。このことは本当に日本にとって大事なことでした。北朝鮮にとっても大事なことです。そのようなことのために、めぐみは犠牲になり、また使命を果たしたのではないかと私は信じています。いずれ人は皆死んでいきます。本当に濃厚な足跡を残していったのではないかと思うことで、私は頑張ってまいりますので、皆様とともにたたかってまいります。まだ生きていることを信じてたたかってまいります」死亡と聞かされた早紀江さんのマイクを握り締めた記者会見は、多くの人の心を揺さぶった。
日朝首脳会議は2002年に行われましたが、その後、めぐみさんの死亡情報を覆す様々な生存情報の提供もありました。そして、2000年月からは、毎月一度、「横田早紀江さんを囲む祈り会」も開催されています。祈祷会ではいつも悲しみの涙を流しつつも「希望は失望に終ることはない」と語っておられます。「人知の及ばないところにある神の存在は、この世の悲しみ、苦しみ、すべてのことを飲み込んでおられるのだ。私の悲しい人生も、めぐみの悲しい人生も、人間という小さな者には介入できない問題なのだ。聖書はそう語りかけてくるようでした」。『めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる』より
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