(1)政治支配者を崇拝することは禁じられている
神の律法にかかわることでは、政治支配者に服従することはできません。「わたしたちは,[自分たちの]支配者として人間より神に従わねばなりません。」と一世紀の使徒たちは言いました。(使徒5:29)ですから、クリスチャンは政治支配者が自国に対する崇拝や殺人を求める時には、それに盲従することはできません。崇拝を捧げることはできません。
ダニエルの三人の友の場合、エホバ神は彼らを火の燃える炉の中から奇跡的に助け出して、彼らが偶像崇拝を退けたことに対して、是認を表明されました。
(2)政治支配者への崇拝ではなく敬意を払うことは求められている
しかし、一方、地の王たちにしても、クリスチャンにしても、他の政治指導者たちに出来る限り敬意を払い誉れを帰すことは、神が求められていることです。 しかしながら、聖書は、政治支配者が敬意を求める場合には、敬意を払うように勧めています。聖書は政治支配者に関して、「恐れを[要求する]者にはしかるべき恐れを,誉れを[要求する]者にはしかるべき誉れを」与えるように勧めています。(ローマ13:7) これは一般的な常識であるマナーでもあります。これは、政治指導者たちと話をする際、あるいは彼らに言及する際に敬意のこもった丁寧な言葉遣いをすることを意味しています。
今は、環境改変兵器や電磁波武器が存在するので、秘密裏に軍事攻撃ができます。そのため、南の王、あるいは、その他の国々の王ににらまれた人たちが標的になるということが起こり得ます。 ダニエルの友も、ネブカドネザル個人の怒りの感情の犠牲になりそうだったのです。その当時、ネブカドネザルは生殺与奪の権をふるうことのできる立場にありました。わたしは、今日においては、そうした武力を行使する最高権威が与えられている人の考え、あるいは感情によって物事が決められる場合があるのではないかと考えます。 聖書は、バビロンに住んでいたダニエルが、バビロンや人間の政府が最終的には、滅びるというバビロンの王を怒らせかねない預言の説明をしましたが、最後まで生き残ったことを示しています。これはなかなか難しくて私もうまくできない事ですが、それは、ダニエルが預言の説明をする時に、バビロンの王に出来る限り敬意を払った話し方をしたからではないかと思います。(ダニエル2:29,38)ダニエルはバビロンの王が地上で非常に高い立場と力を与えられていることを率直に認めました。
ダニエルが、そのように殺人的なネブカドネザル王に敬意を払ったことにも注目できると思います。しかし、ネブカドネザルは、神に敬意を払う一面も持っていたのです。それは、ダニエルが聖書の預言を説明する努力を払ったからでもありました。殺人的な傾向があるからといって、その人に対して聖書から証言をしなければ、決してその人がエホバ神に信仰を抱く結果にもなりません。
また、一世紀のクリスチャンパウロは王に証言する際に、そのような機会が与えられたことに感謝しています。さらに、相手の優れた点に感謝を表明して、辛抱して話を聞いてくださるようお願いして話を始めています。(使徒26:2,3)
パウロは決して不敬な話し方をしていません。実際は、その王は連れ合いと近親相姦関係にあったようですが、そのことを口悪く非難していません。
正直に、率直に自分の願いを述べたとしても、できる限り感謝を表明したり、相手の優れた立場を認め、良い点に言及するのは良いことだと思います。 実際、初対面の人にその人の私生活の悪い点を指摘するのは、マナーにかなっていません。日本の皇室の関係者や、ビジネスで成功している秘書や販売員はとても丁寧なうやうやしい話し方をします。これは、年取った婦人に対する勧めですが、聖書は「恭しく振る舞」うことを勧めています。(テトス2:3) 実際、そのような話し方をしないと、話をしている相手を怒らせて、外国との外交関係で失敗したり、顧客を失うということになるでしょう。箴言は、「痛みを生じさせる言葉は怒りを引き起こす。」と述べています。(箴言15:1)そうした言葉は、権力を持つ人に対して語られると甚大な結果をもたらしえます。
また、聖書は自分の立場がどんなものであれ、神の律法に違反しないことであれば、道理にかなったものとなることを勧めています。(ヤコブ3:17)平和的に謙遜に譲歩することを勧めています。(ヤコブ4:6)これは、神の律法に関係しない分野ではできる限り、融通を効かせることを意味していると思います。
こうしたことは、神の言葉を語るクリスチャンの命を左右することになりえると思います。「死も命も舌の力のうちにある。それを愛している者はその実を食べる。」と箴言にあります。(箴言 18:21 )
Roegel Dan Pelleg 舌は命か死かという結果をもたらしえます
ですから、舌で述べることはその人の命と死を左右するくらい大きな影響があります。生殺与奪の権を持っている権威のある人と話す時は、そのことがとりわけ求められます。ですから、できる限り、南の王の政治支配者に対して語る時、敬意を払うのは賢い事です。そのようにして大いなるバビロンが神の民の血に酔うという事態を緩和することができるでしょう。
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