クリスチャンが大娼婦によってはなはだしく命を失うのはどうしてか(5)緩和する方法

正しいか間違っているかは別として、私は最善を尽くしましたが、これらは私の意見を表明しているだけです。

(1)政治支配者を崇拝することは禁じられている 

  神の律法にかかわることでは、政治支配者に服従することはできません。「わたしたちは,[自分たちの]支配者として人間より神に従わねばなりません。」と一世紀の使徒たちは言いました。(使徒5:29)ですから、クリスチャンは政治支配者が自国に対する崇拝や殺人を求める時には、それに盲従することはできません。崇拝を捧げることはできません。 

国旗への忠誠の誓いは国家に対する崇拝神の目には偶像崇拝 ダニエル書の中に、ダニエルの三人の友は、バビロンのネブカドネザル王の立てた彼を表した像に対する崇拝を拒絶しました。それは、イスラエル人にとって十戒の一番目に禁じられたエホバ神以外の物に対する偶像崇拝に当たったからです。 

ダニエルの三人の友はバビロンの王の偶像に対する崇拝は拒絶した

 ダニエルの三人の友の場合、エホバ神は彼らを火の燃える炉の中から奇跡的に助け出して、彼らが偶像崇拝を退けたことに対して、是認を表明されました。 

神はみ使いを遣わし三人を火の燃える炉から奇跡的に助け彼らの行いに対する是認を表明される 国家への崇拝はさまざまな方法で表明されます。通常は、国旗への崇拝などを拒否すると、何らかの収入の良い職を失ったりすることがあります。確かにそれは痛手ですが、そのクリスチャンはエホバ神からの是認を失っていませんから、その後も、エホバ神からの助けを経験できるでしょう。事態の進展によっては、そのような立場そのものが、そのクリスチャンの命を助けるという事態も起こりうると思います。

(2)政治支配者への崇拝ではなく敬意を払うことは求められている 

 しかし、一方、地の王たちにしても、クリスチャンにしても、他の政治指導者たちに出来る限り敬意を払い誉れを帰すことは、神が求められていることです。 しかしながら、聖書は、政治支配者が敬意を求める場合には、敬意を払うように勧めています。聖書は政治支配者に関して、「恐れを[要求する]者にはしかるべき恐れを,誉れを[要求する]者にはしかるべき誉れを」与えるように勧めています。(ローマ13:7) これは一般的な常識であるマナーでもあります。これは、政治指導者たちと話をする際、あるいは彼らに言及する際に敬意のこもった丁寧な言葉遣いをすることを意味しています。  

聖書は政治支配者にふさわしい誉れを帰すよう勧めている  

 今は、環境改変兵器や電磁波武器が存在するので、秘密裏に軍事攻撃ができます。そのため、南の王、あるいは、その他の国々の王ににらまれた人たちが標的になるということが起こり得ます。 ダニエルの友も、ネブカドネザル個人の怒りの感情の犠牲になりそうだったのです。その当時、ネブカドネザルは生殺与奪の権をふるうことのできる立場にありました。わたしは、今日においては、そうした武力を行使する最高権威が与えられている人の考え、あるいは感情によって物事が決められる場合があるのではないかと考えます。 聖書は、バビロンに住んでいたダニエルが、バビロンや人間の政府が最終的には、滅びるというバビロンの王を怒らせかねない預言の説明をしましたが、最後まで生き残ったことを示しています。これはなかなか難しくて私もうまくできない事ですが、それは、ダニエルが預言の説明をする時に、バビロンの王に出来る限り敬意を払った話し方をしたからではないかと思います。(ダニエル2:29,38)ダニエルはバビロンの王が地上で非常に高い立場と力を与えられていることを率直に認めました。 

ダニエルは人間の政府が終わるという王を怒らせかねない預言もできる限り相手の優れた立場を認めつつ証しをした バビロンの王ネブカドネザルは、エホバの神殿を破壊し、エルサレムを火の海にし、エホバの崇拝者であるイスラエル人を殺した当人であったのです。また、ネブカドネザル王は、自分の思うとおりにならないと、自分の家来を殺すという傾向があったので、同国のバビロニア人でさえ、殺害していたと考えられます。 

古代の残酷なバビロンの王に敬意を払うようエホバ神は勧められた

 ダニエルが、そのように殺人的なネブカドネザル王に敬意を払ったことにも注目できると思います。しかし、ネブカドネザルは、神に敬意を払う一面も持っていたのです。それは、ダニエルが聖書の預言を説明する努力を払ったからでもありました。殺人的な傾向があるからといって、その人に対して聖書から証言をしなければ、決してその人がエホバ神に信仰を抱く結果にもなりません。 

  また、一世紀のクリスチャンパウロは王に証言する際に、そのような機会が与えられたことに感謝しています。さらに、相手の優れた点に感謝を表明して、辛抱して話を聞いてくださるようお願いして話を始めています。(使徒26:2,3) 

パウロはローマの高官に証言する時敬意のこもった話し方をした

 パウロは決して不敬な話し方をしていません。実際は、その王は連れ合いと近親相姦関係にあったようですが、そのことを口悪く非難していません。 

パウロは初対面で王の個人的な悪行を非難せずその職に敬意を払いつつ話した

 正直に、率直に自分の願いを述べたとしても、できる限り感謝を表明したり、相手の優れた立場を認め、良い点に言及するのは良いことだと思います。 実際、初対面の人にその人の私生活の悪い点を指摘するのは、マナーにかなっていません。日本の皇室の関係者や、ビジネスで成功している秘書や販売員はとても丁寧なうやうやしい話し方をします。これは、年取った婦人に対する勧めですが、聖書は「恭しく振る舞」うことを勧めています。(テトス2:3)   実際、そのような話し方をしないと、話をしている相手を怒らせて、外国との外交関係で失敗したり、顧客を失うということになるでしょう。箴言は、「痛みを生じさせる言葉は怒りを引き起こす。」と述べています。(箴言15:1)そうした言葉は、権力を持つ人に対して語られると甚大な結果をもたらしえます。 

 また、聖書は自分の立場がどんなものであれ、神の律法に違反しないことであれば、道理にかなったものとなることを勧めています。(ヤコブ3:17)平和的に謙遜に譲歩することを勧めています。(ヤコブ4:6)これは、神の律法に関係しない分野ではできる限り、融通を効かせることを意味していると思います。 

 こうしたことは、神の言葉を語るクリスチャンの命を左右することになりえると思います。「死も命も舌の力のうちにある。それを愛している者はその実を食べる。」と箴言にあります。(箴言 18:21 ) 

OR  

Roegel                                                                                                                     Dan Pelleg    舌は命か死かという結果をもたらしえます

 ですから、舌で述べることはその人の命と死を左右するくらい大きな影響があります。生殺与奪の権を持っている権威のある人と話す時は、そのことがとりわけ求められます。ですから、できる限り、南の王の政治支配者に対して語る時、敬意を払うのは賢い事です。そのようにして大いなるバビロンが神の民の血に酔うという事態を緩和することができるでしょう。

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