「過去も将来も主のもの」

ここで引用される聖書の著作権は日本聖書協会に属します

3週間の入院生活の後で、再び教会の仕事に復帰することが出来たことを喜んでいる。この間、私のために祈って下さったことに対し、心から感謝したい。

今年は毎月一度は「十戒」について説教し、その他の主日は原則として『ヨハネ黙示録』をテキストにして語りたい。今日はその最初の部分である。

著者は自らヨハネと名乗っている(1)。これはよくある名前で、『ヨハネ福音書』や『ヨハネ書簡』の著者とは関係ない。自己紹介によると、この人物は「パトモスと呼ばれる島」(9)に幽閉されていた。紀元95年頃のことと考えられる。当時のローマ皇帝は有名なドミテイアヌスであって、キリスト教がこの皇帝の下で厳しい迫害を受けたことは広く知られている。こういうわけでパトモス島に流されたヨハネは、ある日曜日に幻を見た。それに触発されて、ローマ帝国の属州である「アジア州」(現在のトルコ西部)にある七つの教会に激励の手紙を書き送るところから、この文書は始まっている。

私はここで、『ヨハネ黙示録』は迫害の下で書かれた文書であるということを強調しておきたい。これが、この不思議な文書を理解する鍵である。

苦しみの中にある時、人の精神は純化される。

私は3週間入院していて、そのことを改めて感じた。重い病気で苦しんでいる人々に比べれば「苦しみ」とは言えない位の小さな経験に過ぎないが、それでも、そう思ったのだ。毎日、恥ずかしい姿勢を取らされて傷口のガーゼを交換して貰う。しかもこの作業は、思わず「うめく」ほど苦しい。終わった後、毎日のように、「ああ、今日も一仕事終わった」と言って看護婦さんに笑われたが、そんな時、クリスチャンである主治医の先生が、「教会の皆さんが祈っていて下さいます」と言ったりする。私は、まるで子供のように素直な、澄み切った心でその言葉を聞くことができた。

迫害に遭って流刑されたヨハネの精神も、純化されていたに違いない。精神が純化されるということは、あることをひたむきに見つめ、それに向かって精神を集中するということであろう。ヨハネの精神は純化されて、主イエスに集中した。「イエス・キリストの黙示」(1)という一句が冒頭に置かれたていることが、そのことを端的に表している。

「黙示」とは、ギリシャ語で「アポカリュプシス」である。「覆っているカバーを取り除ける」という意味だ。だから「イエス・キリストの黙示」とは、隠されている真実が主イエスによって余すところなく明らかにされた、ということである。「イエス・キリストの証し」(2)とか、「預言の言葉」(3)という言い方も、すべてこのことにつながる。そしてそのイエスは、「御自分の血によって罪から解放して下さった方」(5b)、「死者の中から最初に復活した方」(5a)に他ならない。

苦しみの中にいる人を救うことが出来るのは、同じように、あるいはもっと深く苦しんで、しかもその苦しみを乗り越えた方だけだ。ヨハネの精神は今や純化されて、この苦難と復活の主イエスに向かう。

ちょうど、強制連行されてアメリカで奴隷労働をさせられたアフリカの人々が、あの苦しみの中で、 "Nobody knows the troubles I've seen,nobody knows but Jesus"(私の経験した苦しみは誰にも分からない、イエスのほかには誰にも分からない)と歌ったように、ヨハネはイエスをひたむきに見上げる。そしてこの方のことを、同じように迫害を受けているすべての信徒に証しし(2)、この方から「恵みと平和が」来るように祈る(5a)のである。

「今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。『わたしはアルファであり、オメガである』」(8)というのも、迫害の下で苦しい生活を強いられている人々に向かって語られた言葉である。同じ言葉は4節にも出てきた。苦難と復活の主イエスが今、苦しんでいるあなたがたと共にいる、というのである。

ここでヨハネは、恐らく出エジプト記三章の記事を思い起こしていたのではないか。モーセがホレブの山で神に召され、エジプトで苦しんでいる同胞を救うために派遣される時の話である。自分を派遣された神の名を人々に聞かれたら何と答えたらよいか、とモーセは問うたのだ(出エジプト記 3,13)。すると神は答えた。「わたしはある。わたしはあるという者だ」。文語訳では、「在りて在るもの」となっていた。古来、この言葉は様々に解釈されたが、よく分からない。

だが、マルチン・ブーバーは「私はそこにいるだろう」と訳した。これが一番良いのではないか。あなたが苦しんでいる所、そこに私もいるだろう。あなたがうめいている所、涙を流している所、神も仏もあるものかと嘆いている所、そこに私もいるだろう。いかなる所にも、私はいるだろう。私が共にいないような所は、この宇宙にはないだろう。(詩編139,7-10)あなたの過去、あなたの現在、あなたの将来、すべては神の恵みの下にある。

ヨハネが言いたかったのは、このことなのである。


 
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