面倒くさがり屋の心理“
ラスベガス日本人教会 砂漠の地ラスベガスから乾いた心に命の水を
今日は、”
面倒くさがり屋の心理”について考えてみました。あなたは”面倒くさがり屋”ですか? しなければならない事をなかなかやろうとしない、そういう人があなたの周りにもいませんか? あるいは、あなた自身がそうかもしれませんね。”面倒くさい”と思うことには二種類の心理があると言われます。一つは、「できるのにやらない」という心理、もう一つは、「できないからやらない」という心理です。1.
できるのにやらないこれは、「やろう!」と思って始めれば、比較的簡単に終わることなのに、面倒くさくてやる気になれないという場合です。別の言い方で言えば、人は「やりたくないこと」をしようとする時に「面倒くさい」と感じます。その場合、「なぜやりたくないと感じるのか?」がやらない理由です。例えば、私自身のことを考えると、いくつもの原稿の期日が迫っているときに、家内に「買い物に一緒に行こう」と誘われた場合、「原稿を書くのを止めて買い物に行くなんて面倒くさい」と思い、しばらく聞こえないふりをして返事をしません。しかし、家内は私の健康を考えて、長時間コンピューターに向かっている私を外に連れ出そうとしているんだ、ということが分かり、「じゃあ、ちょっと出ようか」ということになります。つまり、自分の意志と違うことをしなければならない時、私達は面倒くさいと思うのです。自分が我慢しなければならない犠牲感や義務感、誰かに強制されているような不自由感があるとしたら、「やりたくない、面倒くさい」と感じるのです。したがって、「できるのにやらない」タイプの面倒くさがり屋さんには、「自分がやりたいからする」という自主性を取り戻していくことが必要になってきます。そのためには、それをすることの「意味」を探し、それをすることで自分にとっても誰かにとってもメリットがあるというふうに、何か意味を見出すことができれば、面倒くささも減ると思います。2.
できないからやらないこれは、「やるからには、ちゃんとやりたい。でも、そのためには、あれとこれをしなければならない・・・」と、一つのことを成し遂げるのにしなければならないことがいくつもあると、「全部するのは無理かも知れない。面倒くさいからやめておこう・・・」となる場合です。こちらの場合は、物事を白か黒かではっきり見る、いわゆる完璧主義の傾向がある人に多く見られます。完璧主義者の基準は「完璧にする」か「完璧にできないなら一切しない」の二択です。完璧にするためには、多大な労力が必要です。この膨大な労力をかけなければならないことを想像して面倒くさくなるのです。この場合、「完璧にできなくても大丈夫」と、自分や他人への要求水準を見直すことが必要になります。誰も完璧な人などいません。みんな不完全で弱さや足りなさがあります。ですから、完璧な仕事などないのです。しかし、それでもその仕事をしたことで何かの必要が満たされ、人の役に立つとしたら、それは素晴らしいことではないでしょうか。また、たとえ完璧でなくても、何かのために一生懸命に取り組むあなたの姿は、周りの人々に色んな良い影響を与えるに違いないことを考えれば、結果をすべてのように考えるのではなく、過程を評価する考え方も大いに必要であることが分かり、「完璧にできないなら一切やらない」という極論から抜け出すことができるに違いありません。さらに、取り組むことで成功体験を重ね、達成感を味わって自信を持ち、更なるやる気につながっていくとか、失敗を乗り越えて成長するとか、やってみるからこそ生まれるものがあります。完璧にできなくて大丈夫です。まずは、少しずつ取り組んでみてはいかがでしょう。たとえ最初は少し面倒に感じても、動き出せば意外に楽しいものかも知れません。それから、「完璧な自分でいよう」とする裏側には、「自分は不完全だ」というコンプレックスが潜んでいる場合があります。人間は不完全さを隠そうとして完璧さを求めることもあるのです。人間はみんな不完全です。自分の不完全さを否定するのではなくて、不完全さがある現実を受容してみるといいかも知れません。不完全ながら頑張っているのだとしたら、「よくやってるなあ」と自分を認めやすくなるのではないでしょうか。そうすれば、「完璧にできないなら一切しない」と面倒くさがっていた気持ちが変わり、「ちょっとやってみようかな」という意欲が芽生えることでしょう。
今日の一言: 失敗でも何もしないよりはまし平安鶴田健次
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